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THE 日記(10/23 - 10/27)

10月23日(月)
 入級相談。障害の理解が、特性の理解が不足しているなと感じた。そして私が話したいことではなく、保護者の話をもっと聞くべきだった。

 そしてもう一つ。課題だ。私は最近「特性の発見のためのチェックリスト」を作っているからか、その後の、「特性に合わせた指導法」が不明確だなと思った。だからこそ保護者にうまく説明できなかったんだと思う。

 朝からとても嫌な予感がしていて、土日の微妙なタイム感のズレというか、起床時間がズレて、それで、体が疲れているんだろうと思ったがそれは多分微小で、多分、着ている衣服のせいだろうと思った。昨日古着で買ったバックがなんか微妙に使い勝手が悪く、それに対してイラっとしていたのだと思う。久しぶりに、あぁ買い物失敗したかもなと思った。

 指導。隣の老害ババアは今日も「自分のことを」「一方的に」話していたのが気になり、イライラし、私は自分の手帳にその事象を書き込んだ。はぁ。指導したことをひたすら週案に書こう。指導案も事前に見せない。馬鹿なんじゃないか。

 午後はひたすら事務仕事を進めた。ぐっすり眠る。

10月24日(火)
 午前中は指導。午後から年休を取った。
 1時に学校を出るが、買い物などすれば家に着いたのは3時だった。帰りの電車は、スマホを操作するばかりで何もできなかった。明るいうちに帰宅できるのは健康的だなと思った。10分間昼寝をする。洗濯物を畳んだり、掃除したり、アサシンクリードミラージュを全クリなどした。次のゲームはどうしようかな。

 認知の歪みについて考える。

10月25日(水)
 「歩いても歩いても、目的地に辿り着かない」夢を見て、朝方起きた。

 若手が授業中に眠っているらしい。やる気あるなぁ、特別支援に積極的だなぁと思っていた教員が、だ。馬鹿かよ。呆れてしまった。

 会議して、指導して、もうなんだか早く仕事をおわらせて、孤高に、なりふりかまわず、計画的に、やっている。ただ流すような日々だなぁと疲れる。ぱきっとしない。

10月26日(木)
 計画的サボり、2日目。午前中は指導して、会議して、早々に連絡帳を書いて、終わり。

 明日は新しい靴を履いていこうかな。

 午後は年休を取った。昼間の中央線は、空いていた。隣に誰も座らない。空間があり、光があった。夕方まで最寄りの駅の、二つ分隣の駅まで遊びに行って、ブックオフで古本を眺めた。良い教材はないかな、と思うが見つからなくて残念。読みたい本は家にあるのだから、もう帰ろう。こんな毎日だと爽やかで良いんだがな。老害ババアが同じタイミングで年休を取ることになぜかむしょーにイラッとしたが、帰りにはもう何にも思っていなかった。洗濯したりゲームしたり、本読んだりしよう。

10月27日(金)
 判定会があった。私は、「この子は、入級するまでは無い。むしろ学級で具体的に配慮すればいいんだ。担任に具体的な配慮や工夫を伝え、学級の中で取り組んでいけばよい。」と考えていた。そのまま管理職に伝えると、「よく分からない」と言われた。

 私の意図は、「授業のユニバーサルデザイン化」だ。要は、この子のためではなく、この子以外に広く、分かりやすく授業をすれば事足りると思ったのだ。全員が、推し並べて分かりやすくなる授業ができればよい。しかし、それはおそらく伝わらなかった。学校長として、「なぜ保護者が求めるものを跳ね除けるのか、根拠は何なのか、納得できる具体案はあるのか」という点が気になったんだろう。その一瞬、私は頭がぐぐっとずれるような、音が鳴った。むっと、イライラしてしまった。その後は冷静さを欠いていたと思う。私は主任では無い。おかかえの主任なのだ。主任では無いのだ。まだまた私は思い込みで動いている。思考している。

 しかし、意図は、間違っていないと思う。今日足りなかったのは、それを伝える技術だろう、それが足りなかったのだ。

 私がもしも、学級担任の経験があれば、この具体策をもっと血が通ったもので提案できたのだろうと思う。不甲斐なかった。

 意図が分かるよう伝える技術と、思い込まないこと。

 職場で結婚する人がいた。ため息。

 久しぶりに、「目の前で自分を否定された」ので面食らったのかもしれない。最寄りの駅のブックオフで大量に、ごそっと本を買った。7000円分だった。私はこれをよくやる。自分に至らなさを感じた時によくやる手法だった。マックを買って、帰った。

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