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THE 日記(6/26 - 6/29)

6月26日(月)
 実質一日しか休んでおらず、朝は屈辱的な目覚めだった。吃音の本を読みながら、満員電車を耐える。自分と、吃音の六年生の子たちのことを重ねて読んでいると、ぐっときた。
 午前中は1枠指導があり、その後は検査だった。私が隣の教室で検査を見ており、「こうですね、あぁですね」と言って、そばにいた老害ババアは無反応だった。もしも自分だったら、と考えた。「あぁ確かに」とか、「なるほど」とか相槌を打つんだけどな。
 朝、通級の説明を全校に対して行った。「ここか〜」と一年生がプールに上がる前に話したり、2年前によく通級にきていた子が久しぶりに訪ねてきたりした。支援教室の先生が、若手に対して「わかりやすい声だったね」と話していたので、私は、そこは二人のものかな、と思い割って入らなかった。そういう感じで良いんだよな。主任はな。
 レターボックスに入っている色々なものを無言で手渡してきて、その後すぐ、若手の名前を言って「〇〇先生のおかげで」というこれみよがしな態度が鼻につく。思えば、スケジュールまで詳細に話して、だからここは外してくださいなんて、中学生に説明するレベルじゃないかと思った。それぐらい自分で判断してくれよ。言われなきゃわからない、じゃないんだよ。もっと能動してくれ。
 年休を取った。15時ぐらいに最寄駅につき、買い物をした。UNIQLOや、古着や、無印や、本屋を見た。楽しかった。健康だ、と思った。
 奥さんと合流した時、これが、私にとって最強であり、誰にも脅かされない領域である、と感じた。職場の人間関係にむしゃくしゃしたとて、ここには帰る場所があり、比べてはいけないが、老害なんかよりも断然に優れた考えをもつ一人の教員がいる、と感じた。強く念じた、みたいなものに近いかもしれない。保てる。この考えで私は、毎日のあのイライラに対して担保された何かを感じることができる。考えるな、反応するな。

6月27日(火)
 午前中の1枠指導が無くなったので、事務仕事やクラスを見に行ったりした。色々な子が声を掛けてくれて嬉しい。やんわりと関われる。力を抜くとはこういうことなのかもしれない。
 午後は出張だった。初任の時にお世話になった先生と久しぶりに再会した。嬉しかった。下の名前で呼んでくださった。「30歳ぐらいになったの?」「そっかぁ、22歳の初任だったのにね」という言葉がすんなり頭の中に入ってきて、嬉しかった。同時に、10年という歳月を感じた。自分のひ弱さ、か細さを感じた。あれからどしっとしたもんだな、と思った。
 古本を(教材になりそうなもの)8000円分買って帰った。

6月28日(水)

 朝の通勤電車の中で、窪塚洋介さんの動画を見て、家族の話を聞いた。

 後輩の若手が、学級が荒れている先生と二人きりで話した、と言って、「急に泣いちゃって…」とその時の様子を知らせてくれた。
 どうしたらいいですかね、とのことだった。私は、まず、個人の課題とシステムの課題とに分けて話した、つもりだった。特に、「システムの問題が一番許せない」みたいな感覚で話した。

☑︎給食配膳など、何も役割が決められていなかったことを鑑みると、学年単位で足並みを揃えるべきところが各自任せになっていた点
☑︎学年主任ともう一人の男性教諭が強く結びつき過ぎていて、学年団の中に壁がある点
☑︎学年で、ざっくばらんに話せる雰囲気が無い点

 今考えると何を話したのかよく分からない。得意げになっていたんじゃないだろうか。

 私が、「色々なんて言おうか、考えていて」と最近読んだUDの本を取り出すと、まるで抵抗感を示すように、「先生は、学年主任に言った方が良いかもしれないです。もし私がそれを言われたら、グサってなるから。」と話していた。凶弾するつもりはない。ん?と思った。失礼だな、と思ったが、話を聞く。
 「もう、来れてるだけで合格ですよ、って言っちゃいました」と言っていた。あぁ、と流したが、今思えば、それは渦中の苦しい人にとっては、その場では癒される言葉であるが、家に帰った時、あるいは一人になった時に、「行けなかったら不合格になるのか」という重荷になる。主任は難しい。その場その場での瞬時の判断が、後になってこう言えば良かった、になる。なりやすい。
 その先生の隣の男性教諭が、その先生の前で児童を怒鳴ったらしい。その場はそれですぐ治るかもしれないが、その先生は自責の念からか、また全体に向けて指導したそうだが、顔つきは「申し訳なさ」があったそうだ。
 男性教諭に指導が必要だ。なぜなら、「児童から見て、先生の力量差を感じさせる指導はやってはいけない」からだ。子どもたちは正直で真っ直ぐにその場を受け取るから、この先生は弱い、強い、と口にはしないが脳内で言語化してしまう。弱いと判断された先生は、もう手を打てなくなるからだ。ここは明日、もう一度話そう。

6月29日(木)
 吃音の六年生の子と三週間ぶりに話した。なんとも、なぁ、知識はあるにあるが、どう伝えて、どう指導に落とし込めば良いか分からなかった。指導教諭が言っていた。「もっと遊ぼう」と。頭によぎるが、残りの通級日数を考える。流暢性を実感できるよう何か指導したほうが良いのかもしれない。

 夜、風呂に入りながら、長距離タクシードライバーのドキュメンタリーを見ていた。なんでかわからないが、逆撫でしない。落ち着いて見ていられるものだった。疲れが残っている。

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