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THE 日記(10/9 - 10/14)

10月9日(月)
 三連休。まるで憑き物が取れたような休日だった。とにかくさっぱり。校内研修の任が終わり、さっぱりしていた。良かった。頑張った。次はまた1ヶ月後だ。さらに規模が大きくなる。頑張らねばならない。

10月10日(火)
 指導。なかなか発音が治らない子の指導に変化をもたらせるために色々手を使う。次に指導した子は、いつもと様子が違った。しかし後からスクールカウンセラーの方に話を聞けば、原因が分かり、自分の中では解決された。違う視野から話を聞けば、私の中でも変化を起きて、あぁこうすればよいのかと腑に落ちる。もっと書く活動を増やそうと思った。
 校長室へ行き、指導を仰いだ。仰がないという選択もあり得たのかと、その選択をする自分もいたのかとヒヤヒヤした。結果、異動のことも仕事も進んだ。ちゃんと仰ぐことは大事だね。

10月11日(水)
 ひたすら指導を詰め込んだ日だった。疲れた。しかし心はまた次はこれかなと充電された。

10月12日(木)
 言語聴覚士の方をお招きし、研修を行った。私たちの見立ては正しい方向にあるのか、確認することができた時間だった。エールを送ること、送られることはとても力になる。
 私が通級で勉強したことや、方向性は間違っていないことがわかった。
 そしてふと、作った記録を読んで考えると、私はひたすらに勉強しているから、なんとなく専門家が言おうとしていること、言わんとする意図が汲めている。飲み込めている。すっと体に入り込んでくる。だからすぐしっくりくるし、すぐ修正ができる。しかし周りはどうだ。若手は、ひたすらに次何をすればよいか教示を待っている。教材名や指導方針がアドバイスされたら、すぐに書き込んでいた。それ自体は良いが、もっとこう、思考しろよと思う。なんにせよ勉強が足らん、と思った。

 補教に入った教室で、問題が山のように溢れていた。それはつまり、どれだけ毎日「担任が」「圧を」かけているかということの指標でもある気がした。トラブル対応の技術ばかりうまくなるだけじゃないか。バカみたいだ。

 新人の教員に助言するが、頭が悪いのか、まったく考えてないし考えられないし、頭が動かない。イラつく。

 そして、老害ババア。私が何度言っても、訂正されずに資料が起案として上がってくるから鬱陶しい。

 そういえば帰りがけ、外線電話のそばにあるリサイクルボックスに、先日の私の校内研修の資料が捨ててあった。あぁ、響かない人には素通りされるものなんだなと思った。死ねよ。くそがよ。

10月13日(金)
 帰りがけ、2年の学年主任が体調の悪い新人教諭に「今日は早く帰って、明日来れる可能性を上げて」と言い放っていた。帰りの最寄りで、その新人が、ふらふらもたつきながら階段を上がる後ろ姿を見た。今にもレールに身を投げるんじゃないかとも思えた。
 この学年主任のこの発言が、新人に対してまちがった価値観を押し付け、誤った考え方の温床になるんじゃないだろうか。私はこの発言には当然否を唱えたい。違うだろ。逆だろ。今日は早く帰って。明日も無理しなくてイイから。なんとかこっちでやるから大丈夫ですよ、だろ。なんだかなぁと思った。考え方が昭和すぎて草だった。

10月14日(土)
 土曜日授業。おまけなんだ、今日は、と言い聞かせながらいつもより遅い電車に乗って、座って、本ではなくて、動画を見続けた。ぼんやりする。はぁ。うまく自転車治るだろうか。

 未就学のお子さんの保護者と面談をした。

 最後に、「お母さんのせいじゃないてすよ。むしろここまで就学前に動いて、考えて繰り返しているお母さんが素晴らしいです。」と、私は言うべきだった。

 「感謝されたい」という思惑が、私の中で芽生えていた。至らない。本当にふがいない。

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