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THE 日記(6/12 - 6/16 )

6月12日(月)
 1日中気圧にやられていた。勤務後半は、内臓にも低気圧が響いていたようで、腹痛がした。すぐに帰った。一日休みたいくらいだった。昨日は誕生日だったんだ。でも何もなかった。一日経って、悲しくなった。

6月13日(火)
 朝から嫌な空気のまま家を出た。家を出ると小雨が降っていて、嫌な気分になる。駅に着くと青梅線は大幅に遅れていて、更に嫌な気分になる。
 「午後の研究会、めちゃくちゃやる気がないなぁ」と朝起きてからしばらく考えていた。別に、さらっと流してくれればいいんだが、昨日の夜に部長からLINEが入ってきて、んー、勤務時間外じゃん、と思った。

 「好きな男の子はいないけど、好きな男の人ならいる」と言った子がいて、「だれ?」と問うと、「お父さんと〇〇先生!」と言ってくれた。嬉しかった。

 出張に行く瞬間、二年生の子たちが「先生鬼ごっこしよう!」と職員室を訪ねてくれた。ごめんよーと断ると「じゃ校長先生だ!」と言っていた。これも、嬉しかった。

 午後は研究会。
 一生懸命な人には、ちゃんと一生懸命に応えてくれる、と思った。色々意見とか指摘とかをもらった。量が、他の発表と違った。私はそれを肯定的に受け止めていた。分かりやすく、いい感じに力まずに尖って話せていたんじゃないだろうか。
 一つ懸念だったのは、話していない人がその場に数名いたことだ。若手の人は、全く話していなかった。話せるように仕向けられなかった。自分だったら、「知るかよ」と腐ってしまうなぁと思った。

6月14日(水)
 未就学児の親御さんが来校された。通級見学希望だった。対応した。すごく困っていた。話しながら、「自分はなんてワーキングメモリが弱いんだろう」と少し嘆いた。次に話すこと、今話していたことを思い返せない。自分の認知特性を理解して、メモして頑張らないとなぁと思った。
 研修。少し引くところも正直あった。でも、思いは伝わった。思いだけな気もした。感動劇場。
 ☑︎子どもの願いのその先はなんだろう
 ☑︎

6月15日(木)
 今朝のボイシー。
 ☑︎伝えることが多すぎるとグダる
 ☑︎羅列型(事実)トークはつまんない 
 ☑︎要点を絞って、コンパクトにインパクトに

 年次研の時に、指導案にたくさん赤を入れてもらえたことが、どれだけ幸せだったのかと感じることがあった。
 若手の指導案の修正を入れた。自分の指導の合間に時間を工面して、行った。眠かった。必死に書いて渡したら、「あ、はい」と受け取られた。ありがとうございました、その一言が欲しかった。期待しちゃいけない。だからまぁ別にいい。しかし、自分とは違うと思った。俺はこんなに謙虚さの欠落した人間ではない、と思った。
 指導案に修正を入れるのが自分だけというのも気がかりだった。若手は何もしていない。指示されなきゃ動けない。
 そして指導者の感覚だ。あろうことか、今日は指導を取り直したらしかった。それは、研究授業ではないよな、と思った。魅せる授業的な感覚が、その人の多くを占めていた。

6月16日(金)
 区の養護教諭の先生から電話があって、出張で、通級について話すことになった。だが、なんとなく、思っていたのとは違った。うまく言語化できないが、「期待感がない」ということなんだと思う。12月なのでまた先だが、それまでに、私は誰かにわかりやすく、謙虚に、何かを教えることができるようになっているんだろうか。そういう悲しさなのかもしれない。情けない。週末の疲れだろうか。指導に身も入らなかった。何故だろう。何だろう。孤独だ。リーダーは孤独なんだ。

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