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THE 日記(10/16 - 10/20)

10月16日(月)
 久しぶりの入級検査の日だった。何というか、担任レベルの面談で色々解決できたろうに、と思った。徒労に終わる。仕方がない。家族の、子育てのしにくさが、「心配の種」になり、やがてそれが「もしかしたら障害かもしれない」と進んでいっているのでは、と感じた。なかなかそこに入って、助言もしにくいが、何か打開できる工夫を提示して、お断りしようと思う。一日しか休みがなかったので怠く、風邪の最初のような具合だ。疲れた。午後は出張。研修。勉強する。

 研修。「うまく喋れない子がいて、適当に流した方がいいんですかね?」とヘラヘラしながら質問していた教員がいた。ふざけんな。お前のその「適当」という言葉に、お前の教育観の全てが滲み出てるんだよカスが。

10月17日(水)
 午後から出張して研究授業を見た。通級2年目の先生が授業者だった。私は一目見て、「誠意がある」と感じた。だから真剣に助言できるよう言葉を紡いだ。私にできることはないか、私ならではの視点はないか、色々考えて話した。
 姿勢がぐちゃぐちゃのその子は、どうやら愛着関係に複雑な要因を抱えているらしかった。私は単純に、裏腹な言葉や乱暴な言葉を担当者に投げかけているその子を見て、「もう辛いんだ。相手してよ。これ以上傷つけないでよ。」と言っているように聞こえた。しかし意見を見ると、「姿勢について指導した方が良い」という、これまた表層的な、物事の一部しか見ていない、一部に左右されるような意見が散見された。呆れた。深く子供を見るべきなんだ。変わるべきはやはり大人なんだよ。親のいない子に向かって、「ちゃんと座りなさい」という一言が、何のためになると言うのだろう。だから私はその場を救うため、授業者の先生に新たな、誤った指導観を植え付けないよう愛着について話をした。それでよかったのだと思う。担当者は辛い。気分のムラに左右され、辛いのだ。私も経験があるから共感できたのだ。しかしそんな辛さも、時が経つほどに何か報われるような気持ちになる。必ずなる。勉強し、研鑽を積み、その子のためにと心を砕けば砕くほどに、その破片は必ず教師人生の糧となるのだ。それを伝えられたはずである。最後、私の名前を使って自評したその先生を見て、なんだか、その子にとっての安全基地になってくれてありがとうという気持ちになった。

10月18日(水)
 午前中は会議に向けた資料作りや教材作り、保護者や教育委員会へ連絡をひたすら進めた。楽しめている。
 午前中、デフリピアンが来校した。少し参加する。健気に、「よろしくお願いします」「ありがとうございます」と覚えたての手話を使っていたのが可愛かった。いいね、とグッドサインを送った。
 帰り際、選手に手話を使って色々話したかったがそれはやめて、やめてというか遠慮がちになって、なってというか諦めて、怖くなって、やめた。

 午後は指導。通級は、一人の子にきちんと向き合えるからいい、と思った。

 前職の教諭が来ていた。「今の先生はね」と、まるで自分のことを高めているようで嫌な感じがした。
 帰りがけ、初任の教諭が話しかけてきた。まったく埒があかなかった。解決の仕方を求めているようで、何も求めてはいないような、話していて空虚さを感じた。具体的なアドバイスに対しても、んー、というだけだ。私に対し助言を求めてくる機会は増えた、増えたがしかし、学年主任に言われている作為的なもの?とも思えて、というかもう早く帰りたい気持ちが先行して、話に集中できなかった。

 私は天狗になっているのだろうか。主任として働いた。働いている。しかしそれは、井の中の蛙なのだろうか。他校の主任と話していて、あぁ、私は今天狗なんだなぁと思った。あまりに偉そうにしているなぁ、謙虚さを忘れているなぁと思った。

 その教諭が、「前の主任が戻ってくるといいですね」と言っていたのが、どうにも気になった。

10月20日(金)
 私がいくら言っても、何も動こうとしなかった保護者が、とうとう動いた。その時はあまり何も感じなかったが、時間が経って、あれはどういう意味合いのものだったのだろうか、と考える。

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