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THE 日記(5/29 - 6/2)

5月29日(月)
 代休。
 靴を買った。

5月30日(火)
 朝から定期を忘れて気持ちが萎えた。
 起床したら、「なぜ母親の尻拭いをしないといけないんだろう」と思った。

 朝の通勤ラッシュの中央線で聴いて、泣きそうになった。めちゃくちゃ良い。アジカンにのんさんの歌声がちゃんと乗ってる。「最強なんだ、私は」のサビが一番好きだった。

 p2を取り、15時半に最寄駅についた。ガス抜きだった。

5月31日(水)
 中学校の先生から電話があって、「診断書が無いと、テストのルビ振りは認められません。」とあった。まぢか、と思い、「合理的配慮って言って、保護者や本人が求めれば、学校はそれに建設的に応えなきゃいけないんですけど」と話した。しかし、昔からそうやっている(診断書必須を条件)の一点張りだった。んー。
 午後の最後の枠の子に、「私が卒業アルバム作るまで先生辞めないでね」と言われた。嬉しかった。宝物の言葉だった。人間は、必要とされるだけで前を向ける。こういう言葉は、人を前に進める言葉だ、と思った。

6月1日(木)
 朝、駅から自転車に乗って走る途中の、学校が見えてくるちょうど坂を下った辺りから具合が悪くなる。色々な薬を飲んだ。寝不足、と思った。22時にはもう眠っているはずなんだが、どうも体調が悪くなった。機嫌も悪くなった。

 1枠の子の天真爛漫さ、純粋さ、素朴さに毎週、癒される。その子のお父さんが、その子曰く「先生が異動するときに、なんか、服とかあげようかなって思ってるんだって。もしあげたたら、でも迷惑かなって言ってた。」と、お父さんの発言を伝えてくれた。また、励まされた。必要とされる感覚。嬉しかった。だから精一杯、漢字を覚えられるよう持てる知識をぶつけるぞみたいな気持ちになった。朝方の具合の悪さは無くなっていた。
 来週木曜日は、この前買ったNIKE SBを履いて行こうと思った。

 職場の人に、「明日の飲み会は来ないの?」と言われた。別に何も準備せず、心構えもなく、「疲れているので行きません」的な感じで返答した。嘘をついても良かったのに、体裁よく取り繕えば良かったのに、そうしなかった。「私はとても忙しいのに、行くんですよ」とかなんとか言っている人もいて、んー、と思った。腹が立って、はい、はい、とか適当にその場を済ます感じになった。嫌な気分だ。でも、嫌なものに嫌だと言えたのは良かったのかもしれない。
 そいつに、指導案を点検して、返却すると、ひどく面倒な顔で「今、はい、やってるんで」と言いながら受け取っていた。
 あ、ここだ、と思った。俺と違うのはここで、ここが成長できるか、できないかの分かれ目だ、と思った。

 早く帰るから仕事が楽なのかぁという価値観もうっすら見えた。だせぇ。その次元はだせぇ。
 晩飯は奥さんがいないのでカレー買って食べた。イライラする。気圧も低くなってきた。明日、休もうかな、とか考えている。別にいいよなぁ。

6月2日(金)
 休まなかった。結果、なんとかなったのかもしれない。朝起きても、鬱屈とした気持ちが湧かなかったから、学校に行けた。
 午後の子が、「めんどくたい」とずっと言っていた。僕もだよ、と思って適当に仕事をしていた。めんどくさかった。何もかもが。

 そんな感じで、午後にある研究協議会も全く出ずに、何も感じることがなかった。早々に着替えを済まして、台風大丈夫かな、と心配になりながら、今日も、誰にも見送られることなく退勤した。あと一年、一年だけだ。
 後半はほとんど仕事ができなかったように思う。心が無かった。低気圧と気温とジメジメがもう気分を損なっていた。

 老害のババアの前の職場の、たぶんこいつも老害のババアだろうが、LINEが来た。ウルセェなぁと思った。テキトーに返事をした。

 帰宅。へとへとだった。一年だけだ。若手教員は「来年度通級を辞めたい」と言っている。一年だけだ。徒労感が、体を支配している。話を聞く人がいない。

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