見出し画像

THE 日記(6/19 - 6/24)

6月19日(月)
 年休を取った。今週は6日間あるので、年休を取ることで、5日間に振り戻したのである。計画的間引きをした。
 朝、副校長に電話をして、終えた瞬間は、この世の幸せを一手に噛み締めるみたいな気持ちになったが、だんだんと暗くなっていった。休んだはいいものの、あまり心は休まなかった。やんわりとした腹痛が一日中続いた。

6月20日(火)
 出勤する。しかし、なかなか朝は起きれなかった。目は覚めているが、布団から身体をなかなか起こせない。嫌なんだなと思った。一度行ってしまえば大丈夫になるはずだ。だんだんと慣れていく。
 研究授業を仕切るのが嫌なんだろうか。そんなもの、誰も私に期待や興味を示さないだろう。気にしなくて良い。
 朝の中央線のサラリーマンたち。混雑している。俺はこいつらより。俺はコイツらより。人生を悔いなく生きたい。

 研修だった。後輩の指導案に赤を入れること1ヶ月半弱。講師の先生が「褒め上手だよ」と言っていた。あぁ、これでいいんだな、と思った。お疲れ様でした自分。すぐに自分もやらなきゃいけないことがあるからあまり休むことはままならないので、あわあわしながら帰宅した。マネジメントすることが、もしかしたらもっとできたかもしれない。仕方がない。また次に繋げよう。

 会が終わったすぐ後に、「あの仕事って終わってますか?」と後輩に聞くと、「私が完成といえば完成です」と、意味の分からない返答が返ってきた。なんだそれ。ちゃんと答えろよ。馬鹿かよ。と、イラついた。

6月21日(水)
 家事の分担に関してイライラして、寝たんだか寝てないんだか分からない。疲れた。体がだるい。なんなんだよ。自分の時間がない。捻出できない。昨日はゲームをしなかった。それはそれでいいんだけど、何かが足りないというか。この電車を降りたら、コフトカリュウを飲もう。

 朝から後輩の老害ババアの一言にイラついた。イラついてしまった。昨日の研究授業の講評から、なんだか調子に乗っているように見て取れ、更にイラッとしてしまった。「指導案を配る方が良い、主任として管理職に確認してくれ」そんな調子だった。

 確かに、落ち度があった。「管理職に見せにいく」というタスクを想定していなかったのだ。なぜか。当たり前だからだ。そして、自分自身も「どうせわかんねぇよな」という気持ちがあるからだ。だからそこに、スポットライトが当たらなかったのだと思う。無意識に。

 しかし言った。「指導案ぎりぎりだったじゃないですか」「指導案ギリギリと、みなさんに配る印刷作業とを天秤にかけた時に、あきらかに指導の方が大事だと思ったから、印刷は無しにしたんです」と言い返した。言い訳もあったと思う。
 すぐ管理職と話し、「彼女は、周りの人に助けてもらったんだという感謝を感じることが必要だし、まだ、その力はないんだと思うよ」と。成仏された感じがして、少しだけ気が楽になった。フィードフォワードだ。反省するだけじゃなく、次またこのようなことが起きぬよう反省し、行動を具体化しよう。

 5年生の子が「こんなちょっとしたことを、褒められたことないから、なんか申し訳ない」と照れながら言っていた。今朝、わざわざ職員室に来て、「〇〇先生、今日4時間授業なんだけど、ことばってどうすればいいんですか?」と聞きに来た。それはこちらとしても大切で有り難い行動と報告、質問だったよ、と価値付けた。まぢか、と照れていた。でも本当にそうなんだよ、と、ストレートに賞賛した。漢字書くのもちょっと苦手だけど、ちょっと苦手ぐらいでもさ、人とそうやって真面目に関われる力の方がよっぽど大事だよ、とここまでクリアに言えたらよかった。

6月22日(木)
 専門家が学校に来た。

 以下、学びだか気づきだか反省だかを、フィードフォワードにして記す。

☑︎まず自分が「発音」にそこまで注力していないことが分かった。発音指導に関して、努力して知識をアップデートしていない。だから、説明も辻褄が合わないような、根拠がないような話し方になってしまった。
→単純に知識のブラッシュアップ
 書籍にあたる
 疑問は全員でシェアする
 謙虚さを持って学んでいく
 その考え方も一理あるかと思う

☑︎わかる人に教わらなければわかるようにならない。
→通級として、学校現場でどうやってその専門性を維持することができるのか考える。

☑︎資料を見て、「これ、もっと短くなります?」と一言
→短いver.というか、必要最低限でいいのか。あと、初診時の様子とか評価とかが大事で、そこからどうしたのかを書けばいいのか。
→ある一方で、は?でもあるな。必死に作ったのに、という過程を評価してもらいたいと思えば思うほど怒りに変わるから意味ない。

☑︎医療従事者に、共感は無い(かもしれない)。
→教員には共感する力をもっている人が(比較的)多い。

☑︎耳のみに頼らず、目でも評価する

☑︎学校まで向かう道のりの詳細、場所、時間、お前それ自分で調べろよと思うけれどこれは、フィールド(畑)が違うからだろう。

☑︎検査の全部を網羅する
 鼻で笑われるのはもう嫌だ
 馬鹿にされるのはくそだ

☑︎わかるように説明したい、上から目線になるから。

☑︎勉強不足
→先生と話すベースが違った。共有されるべき知識が全く違っていて、そこにズレがあった。

 関係ないが、一つもケースを上げなかった老害ババアが、「良かった、付箋つけといて」って言って勝ち誇っているというか、知ったかぶった感じを出しているのが腹が立って「死ね」と思った。関係ある。お前も関係ある。対岸の火事だからと余裕こいて、てめぇその本付箋貼っただけじゃねーか、本質掴んで読んでんのかよ、と思った。あれがなけりゃ、もっといい雰囲気で自分の中で終われていたのに。

 私は、教育をしたい。その中で子供と関わりたい。医療はファックユーなのかもしれない。てかそうだ。あんなに無感情ではいたくない。去年の専門家も大概だったが、今年も宜しくだった。勉強することは、一理あるなと思うことは吸収し、あとは肥溜めに吐き捨てて見なかったことにしよう。

6月23日(金)
 奥さんがどっかに行っているので(←これはこれでイラついている、捨て鉢な気持ち)今朝はいつもより遅く起床して、少し慌てた。

 最寄駅に行くまでの交差点で、ふと、天啓というか、ひらめきというか、何かふわっとしたものが降りてきた。「なんだよ、あんなの(老害ババア)ただの小物じゃねぇかよ。ゲスイ小物にイラついているようじゃ自分もまだまだだな」とやけに冷静になった。肩の力が抜けるような、冷めた目線となってあいつを捉える視線が変わったことに気づいた。そうだよ。小物に反応するな。必要最低限のラインで指導したい、恩を送りたいところだけど、これだって私が勝手に作り上げた認知の歪み、「べき思考」かもしれないじゃないか。

今朝のボイシー
☑︎to doという仕事術に落とし込むのではなく、「今何をすべきか」というバランス感覚
☑︎自分だけ自己満足で働いているだけでは身が持たない
☑︎自分には何ができるんだろうを考える
☑︎悩み事の9割は人間関係
☑︎気持ちよく働いてるのは自分だけど、他の先生にとってはどうかな
☑︎能力が高い🟰ここぞというときに自分を殺せるか
☑︎だからこそ、おかげさまがある(あの先生に助けてもらってるな)

 職場にいる初任の先生と更衣室で話した。「この前のバレーありがとうございました。楽しかったっすね。」と明るく話す彼が、「なんか、前任校でもそうだったんですけど、特支に携わっている先生って、掛け声が暖かいですよね」と言ってくれて嬉しかった。「そうかな、でもなんか、本質ついてるかもしれないですね」と話した。

 ボーナスが上がった。嬉しかった。「身が引き締まりますね」と話したが、そんなことつゆ程思わなかった。当然だ。あんなババアどもと同じ額もらってトントンなんてクソだ、と思ったからだった。

 帰宅し、洗濯物を干しながら「あ、だめだもう」と起きてられず、わなわなしながら眠った。

6月24日(金)
 すごくイラつく朝だった。

 授業参観日だった。午前中、未就学児の対応を行った。びっくりするぐらい説明ができなくて疲れた。私は基本的に「知識のマウント」を取ろうとするのかもしれない。そしてさらに具合が悪いことに、「中途半端な知識でやり過ごそうと」してしまった。結果、祖母の方には嫌な印象だったかもしれない。他機関のstから、「〇〇小学校の〇〇先生だったら、熱心な先生ですよ」という話に浮き足立ち、話の途中で話そうとしていることを忘れ、もう散々だった
話を聞く時は基本的にメモを取らなければ、私の認知特性的にキツいのかもしれない。不甲斐なかった。だめだった。全うできなかったなぁと、受付業務をしながらボーッとしてしまった。

 全てが終わり、ppの最終チェック。後輩の準備が甘く、グダグダだった。もっとこうしとけよ、と思うことばかりでイラついている自分を感じた。伝えてもいた。結局、勤務時間を1時間くらい後にして、退勤した。すごくイラついていた。

 帰宅した。少し遠くのセカストまでバスで行った。近くのよくわからないラーメン屋に入って、焦がしニンニクの効いたラーメンを食べた。歩いて帰ろうかと思ったが蒸し暑いのでやめた。バスで帰る。どうしようかな、使い捨ての土曜日を、と考えながらトレジャーファクトリーに行った。靴を二足買った。悩んでいたら、気づくと19時になっていた。NIKEとシュプリームのコラボした靴と、ニューバランスを買った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?