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THE 日記(7/10 - 7/16)

7月10日(月)
 この土日は、昼からだいたい16時まで、試験勉強をしていた。疲れた。準備があまり間に合っていないことを家族のせいにしようとしている時点で不合格だろう、と思った。でも、受かりたい。

 朝、支援教室の理解啓発があった。正直、「独善的だな」と思い、ピンと来なかった。教室がどこにあって、こんな指導をしていて、という側だけの説明だった。これを子どもが聞いて、さらに、自己肯定感は低くならないのだろうか。分からない。分からないものに行く恐怖。得体の知れない不安感しか残らないな、自分が子どもだったら。
 支援教室の主任は、学校全体の中心的な役割は担っておらず、運動会など行事の際に、あーだのこーだの茶々を入れるような人だ。伝えるものが独りよがりにならざるをえないよな、と思った。学校を全体で捉え、その中で主任として自分が全体に貢献すべき役割は何か、主観のみに陥らずに、俯瞰で動けるように俺はなりたいし、それを毎日の業務で実践しよう。主任業務の体系は何となく掴めてきた。まだ分からないし、落ちるかも知れないが、知れたことがスタートだ。仕方がない。という言葉で逃げたいのかもしれない。

 若手教員の指導の様子を聞いて、その後、フィードバックしたが、言葉が足りなかった。「いいね」と評価しているその言葉自体が誤りであるのに、気づかせられなかった。

7月11日(火)
 吃音の指導。なかなか難しい。楽しいけど、知識として身に付いたか微妙なところだった。低学年だから、と見切ってしまえばそれまでだが、それだけじゃない。低学年の吃音指導は、要点をいかに抑えるか、が肝要だなと思った。
 それよりも、若手教員が活動案をまったく考えていなかったことに呆れた。「考えても、思いつきませんでした」は、「考えていない」と同義だろう。

 午後は、研修出張だった。顔を合わせて、あぁだこうだと話す。私は色々物申して会話をしようとするのだが、若手は推し並べて、みんな不服そうな顔で黙っていた。

7月12日(水)
 あまり覚えていない。疲れた。よくもなく、悪くもない一日だった気がする。ぬる湯をしたら、一気に寝やすくなった。

7月13日(木)
 午前中、未就学の子の保護者が来た。お母さんは、たくさんの質問をされていた。不安感と、切迫感と、焦りが感じられた。その気持ちに共感することを第一に考えた。

 「○○先生はすごい良い先生だよって評判を聞いて」「神様だよ」

 言葉が反芻した。嬉しかった。やりがいを感じた。必要とされる感覚だった。そのお母さんと話したあと、しばらくぼーっとしていた。

 でも、課題は残る。事前に公開日を網羅しておけば良かったし、k式発達検査を勉強しておけば良かった。資料を見ても、分からなかった。通り一遍のことしか言えなかった。誠実じゃなかった。だからこそ、中途半端だったからこそ、後に残るものがあったんだと思う。尾を引いていた。嬉しい言葉をもらった反面、俺は、何をやってるんだと。

 地域の指導教諭が来校し、研修した。昨年度から決まっていたことだった。色々考える。私はまだ、自校で通級について話すらしていない。劣等感を感じた。

 私は主任ではない。主任として学校全体の特別支援教育推進に関われていない。そこに絶望感を抱いたから、こんなに疲れたのだと思う。

 最後、質問コーナーを設けた。手は上がらなかった。ある低学年の主任の先生が、

7月14日(金)
 一夜明け、仏のように起きた。良い目覚めだった。ゆっくり、雲のように5時に目覚めた。かなり深い眠りだったようだ。
 気分も良好だ。今日は昨日に比べて精神への負荷も少ないはずだ。頭の中がクリアになっている。清々しい気分だった。朝の満員電車も三鷹で座れた。そしてこれを打っている。

 昨日、あきらかに頭の中はパンパンで、キャパオーバーだった。要は、
☑︎「自分は主任としての責務を全うできていなかった」
☑︎「中途半端なまま知った被る態度をしてしまった」
☑︎「学ぼうと吸収する中堅の人、受け流す若手の人の差に辟易した」
この3点が体に応えたのだと思う。一日経って、やっと整理できた。昨日は何もしたくなかった。

7月16日(日)
 試験。どっと疲れた。やれることはやった。

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