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【連載小説】発砲美人は嫌われたくない

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記事一覧

【連載小説】発砲美人は嫌われたくない_8

 高温に熱した鉄板に肉を載せた瞬間の、じゅぅうううという暴力的なまでに食欲を刺激するあの音に鼓膜を揺さぶられ、僕はたまらず生唾をのんだ。
 焼いているのは分厚くステーキカットにされた霜降り牛。
 キッチンにあるものは何でも食べていい、とヤカタさんは言ったが、そもそもキッチンには冷凍庫しかなかった。それも、狭い1Kのキッチン部分から今にもせり出してきそうな、業務用とおぼしき冷凍庫だ。
 "冷凍庫"に

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【連載小説】発砲美人は嫌われたくない_7

 騒ぎは加速度的に大きくなり、いよいよこれはただごとじゃない、と思うようになった。
 ただごとじゃない、といえば体を密着させたミサキさんもそうだ。煙のせいで視界不良も甚だしいが、人間の体温はわかる。
「一度、出口のほうに行きませんか?」
 ミサキさんの提案には賛成だが、出口がどこなのかわからない。他の人たちも同じようで、バタバタと動き回っている様子はない。何も見えないのは不安だけど、動くほうがもっ

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【連載小説】発砲美人は嫌われたくない_6

 僕は腹ばいになったまま、あたりの様子を探った。
 先ほどの破裂音は尋常ではなかった。が、あいにく僕はこのところ尋常ではないこと続きでなにが尋常かわからなくなっている。こういうときこそ頭をリフレッシュするための休暇が欲しいと思うのが人情だが、この世は無常。トラブルと修羅場は立て続けにやってくるものと相場が決まっている。
「ど、どうしましょうか」
 ミサキ、と名乗られたのが名前なのか名字なのかもわか

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【連載小説】発砲美人は嫌われたくない_5

 スエヒロくん、と鱒沢さんの声が飛んできて、僕の背中が上下動した。
「ごめん、驚かせたかな」
 いえ、と曖昧に返事をしてパソコンの画面をチェックする。大丈夫、変なブラウザは立ち上がっていない。
「出張に行ってほしいんだけど」
「出張ですか?」このご時世に、とい言葉を吐き出す寸前で噛み砕く。「オンラインではダメなんですか?」
「クライアントがその手の機械に疎いらしくてね。使い方を覚えてくださいとも、

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【連載小説】発砲美人は嫌われたくない_4

 ヤカタさんに指示された後始末の内容はシンプルだった。
 床の掃除と痕跡の消去、それからカナコの不安を取り除いてやることの3つだ。しかしシンプルと簡単はイコールではない。世の中では往々にして、シンプルなことほど奥が深く、また難しいものだと相場が決まっている。
 まず両手足を縛られたカナコを動かすのが容易ではなかった。
 触れるとおびえたように肩をすくめ、部屋に僕しか居ないのだとわかると「んー、んー

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【連載小説】発砲美人は嫌われたくない_3

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 ぴちょん、ぴちょん、と水音が弱まったということは、シャワーが止められたことを意味する。烏の行水という言葉がある。ヤカタさんがユニットバスから戻ってくるのは異様に早かった。ヤカタさんがカラスだとすれば、続けて読めばヤカタカラスになり、何やらヤタガラスのような響きを醸し出す。ヤタガラスは、カラスであり、神なのだ。この上なく縁起が良いし、きっとあなたたちの出会いは、神の思し召しに違いない。このよ

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【連載小説】発砲美人は嫌われたくない_2

 ぱしん、ぱしん、と残業つづきの体にムチを打つ。隅をホチキス止めした資料を抱えた僕は、やっとの思いで会社の非常階段を上り終えた。
 といっても、資料はものの6人分で、上った階段はたったの3階だ。
 どちらもそう多くない。問題はそれが定時を過ぎてから与えられたタスクであることと、そういう仕事の振られ方が常態化して、僕の体がこってり疲れ切っていることにある。
 ひとつひとつの仕事は小さいが、終わったそ

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【連載小説】発砲美人は嫌われたくない_1

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 ぱあん、ぱあん、とリズミカルな音が聞こえてきて、僕は世界を閉ざした。
 ここのところ、ずっとだ。具体的には、四日連続になる。
 はじめて聞こえたのが三日前で、腹を立てて壁を叩いたのが二日前。それを管理人に注意された昨日から、イヤフォンで大音量の音楽を流すことにした。サブスクリプション・サービスのランキング上位を独占する、素性が謎に包まれた二人組ユニットの曲。
 ハイハット・シンバルを打ち

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