二宮洋二郎
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「それは本当なのか?」 おれが聞くと、工藤の震えは止まった。よほど強く押さえていたのだろう、目頭にはくっきりと指の跡が残っている。 「こんな顔で冗談を言えるとしたら、僕はアカデミー賞候補だろうね」 「工藤、軽口はいいから、イエスかノーかで答えてくれ」 「イエス」 なんてこった。工藤は「僕らは、狙われているらしい」と言った。僕ら。工藤、マーガレット、だけなんてことはない。「ら」にはおれも含まれている。 スマートフォンをダブルタップして画像を拡大する。血と同じ色のメッセージ
高温に熱した鉄板に肉を載せた瞬間の、じゅぅうううという暴力的なまでに食欲を刺激するあの音に鼓膜を揺さぶられ、僕はたまらず生唾をのんだ。 焼いているのは分厚くステーキカットにされた霜降り牛。 キッチンにあるものは何でも食べていい、とヤカタさんは言ったが、そもそもキッチンには冷凍庫しかなかった。それも、狭い1Kのキッチン部分から今にもせり出してきそうな、業務用とおぼしき冷凍庫だ。 "冷凍庫"にはおよそ肉しかなかった。 手に取る限りの、肉、肉、肉。赤身から骨付き、霜降りか
【心の準備はいいか?】 そう表示されたファイルをダブルクリックした瞬間、パソコンのディスプレイには驚いた私の顔が映し出された。 え、と驚いてから気づく。画面がブラックアウトしただけだ。今の私の顔が反射している。首をかしげると、画面の中の私も同じようにした。 パソコンがシャットダウンされてしまったのかと思ったが、電源ボタンは黄緑色に点灯している。 マウスを動かすと、上にファイル名が表示されていた。【心の準備はいいか?】拡張子は.jpg。一面が真っ黒の画像、ということにな
例によって例のごとくサービス残業を1時間半ほどこなして会社を出たおれは、しかし、いつもとは違う電車に乗って、また西新宿の裏路地にひっそりとたたずむ≪パラダイス≫に足を運んでいた。 夕方以降本降りになると聞いた天気予報に従ってコンビニで雨傘を買ったのはいいが、喫煙所の隅に立てかけておいたのがいけなかったのか、気づいたら忽然と消え失せていた。だからおれは、雨に濡れている。 「ちょっと、フロアがびしょびしょなんだけど」 と、入り口で出迎えたマーガレットはおれのつま先から頭のて
騒ぎは加速度的に大きくなり、いよいよこれはただごとじゃない、と思うようになった。 ただごとじゃない、といえば体を密着させたミサキさんもそうだ。煙のせいで視界不良も甚だしいが、人間の体温はわかる。 「一度、出口のほうに行きませんか?」 ミサキさんの提案には賛成だが、出口がどこなのかわからない。他の人たちも同じようで、バタバタと動き回っている様子はない。何も見えないのは不安だけど、動くほうがもっと不安。それで動けずにいる。 「煙が晴れるまではじっとしていましょう。今はへたに
(…続いちゃった) もうすこし白について語ろうじゃないか。 いいだろう?今日はそんな気分なんだ。 9月6日、世間は「黒の日」なんて語呂合わせではしゃいでいるが、真逆の白について語る。はは、最高にカッコいいじゃないか。 光の三原色を知っているかい? ノープロブレム、知らないなら教えてあげよう。 赤、緑、青の三色のことだ。すべての色はこれらRGBから作られるそうだ。つまり、俺と、お前と、俺、だ。 その三色を掛け合わせた真ん中に頓挫するのが、白。 宇宙にはブラックホールなんての
白か黒かどちらを選べと言われたら,おれは白を選ぶ。 中学までは違った。黒一択だ。男なんか誰でもそんなもんだろ。 余白。 おれの好きな言葉だ。 余りある白,いいじゃないか。 全ての銘文は白紙の上に生まれるし,すべての色の光を集めたら白になる。 すべての辿りつ場所でもあり,すべてのはじまりでもある。 そうだ,あんたにも白をやろう。 せっかくだ,遠慮すんな。余りある白を味わうといい。 あばよ,アミーゴ。 (つづ......く?)
小麦色に灼けた肌がグラウンドを駆け回っている。ハーフパンツからすらっと伸びた脚は、同性のわたしでも見惚れるくらい綺麗だ。 わたしの隣にも見物客がいた。見物客、という言い方は悪意があったかもしれない。陸上部の幽霊顧問として有名な片桐先生はベンチに腰かけてぼんやりグラウンドを眺めているだけで、声をかけることも何か記録をとることもない。 でもそれはわたしにとっては好都合で、陸上部にとっての部外者が隣に座っていても、片桐先生が気に留める様子はない。 単刀直入にいえば、わたしは
僕は腹ばいになったまま、あたりの様子を探った。 先ほどの破裂音は尋常ではなかった。が、あいにく僕はこのところ尋常ではないこと続きでなにが尋常かわからなくなっている。こういうときこそ頭をリフレッシュするための休暇が欲しいと思うのが人情だが、この世は無常。トラブルと修羅場は立て続けにやってくるものと相場が決まっている。 「ど、どうしましょうか」 ミサキ、と名乗られたのが名前なのか名字なのかもわからないまま、僕は「ひとまず様子を探りましょう」とヤカタさんと別れたあたりに目を凝
「おい、工藤!」 「ああ、カジカジ。おかえり。ずいぶん早かっ――」 振り返り手を挙げようとした工藤の左頬を、おれの拳が捉えた。はんぺんを素手で掴んだような感触が一瞬で消える。人を殴ったのははじめてだが、聞いていたほど痛みはない。 「ってて……ひどいじゃないか、いきなり」 わざとらしく薄紅色の頬をさする工藤には、たいして効いていないようだった。 「いい加減にしろよ。もう二度とおれの前に出てくんな」 「ひどいなあ。それを言うために戻ってきたのかい?」 「ったりめぇだ。人の命を
3つの条件がそろった。 けれどわたしは一人でバスに乗り、天海君が隣にいない窓際の座席で、信号待ちで止まるたびにお尻から突き上げてくるようなエンジンのうなりを感じながら、じんわりと外気の熱を伝えてくるぬるい窓ガラスに頭をつけて、見るとはなしに雨の景色を見ている。いくら条件がそろっても、天海君が休んでしまっているのだから、一緒に帰れるはずはない。 思い出されるのは、先週のこと。 どうしてあんなことを言ってしまったのだろうかと、考えれば考えるほど恥ずかしくなる。からかわれて
スエヒロくん、と鱒沢さんの声が飛んできて、僕の背中が上下動した。 「ごめん、驚かせたかな」 いえ、と曖昧に返事をしてパソコンの画面をチェックする。大丈夫、変なブラウザは立ち上がっていない。 「出張に行ってほしいんだけど」 「出張ですか?」このご時世に、とい言葉を吐き出す寸前で噛み砕く。「オンラインではダメなんですか?」 「クライアントがその手の機械に疎いらしくてね。使い方を覚えてくださいとも、こっちに来てくださいとも言えないだろう」 それはそうだ。鱒沢さんが出すことので
あんたは人が死ぬ瞬間を見たことがあるか? おれはない。そんなものは見たくもないし、死ぬのが自分の知っている人間であればなおさらだ。まともな神経をしていれば、考えたくもない。 そうだろ? だからおれは立ち並んだモニターに釘付けになって、見知った背中が人込みにまみれて自動改札の方へ向かっていくのを食い入るように見つめていた。ほんの少し口をつけただけのはずのバーボンの酔いが、ノーガードで食らったボディブローのようにじわじわと効いてくる。心臓の鼓動が早くなっているのが自分で
4 「自分で蒔いた種は、咲かすも枯らすも自由だが、責任を持って面倒を見ないといけない」 なにそれ、ニーチェ? と櫻井美姫が言う。 「おれ」 教室の床に寝そべった歌川萌音を一瞥して、天海陸はため息をついた。数分前の自分に、首を絞められているかのようだ。 「美姫、先に帰ってていいよ。あとはおれがなんとかする」 「そんなに、コイツとふたりきりになりたいの」 「そんなことは言ってない」 「別にいいよ。じゃあね」 櫻井美姫の機嫌は足音で判断することができる。教室を出ていく櫻井
世界の真理をあげてくれといわれたら,あんたなら何をあげる? 起こっちまったことはもう元には戻せないこと。 後悔はする前からわかることが多いこと。 それでも,人間は後悔を抱えて生きていくんだってこと。 それっぽく言やあ,なんだって真理になる。 面白い実験があってな。宅配ピザを頼んで,アルバイトに配達してもらう。住所どおりにやってくると,そこは協会というか奇妙な宗教団体のいる場所になっている。 そこで信者に扮した仕込み人たちは,あらかじめ用意しておいたそ