大人に「SOS」を出せない子どもたち
今回は、小学生を対象とした『地域の相談ボランティア』として活動する中で気が付いたことについて触れていきます。
相談内容を事例として紹介するものではなく、相談を受けていたときに私が感じたことが中心です。
大人の立場で、あるいは子どもの立場で、悩んでいる方の助けや参考になれば幸いです。
1.無関係な大人にしか言えない
小学生が接する大人としては、まず親、そして教師、次に習い事や塾の先生あたりが多いです。
ただ、その「大人」には相談できない悩みごとがある、と漏らしてくる子が多かったわけです。
その理由は、「解決しようとするから」でした。
これだけ聞くと、意味が分からないかと思います。
解決しようとしているのに嫌とは何事か。
そう言われることさえ、その子たちは嫌がっていたわけです。
だからこそ、普段の自分とは全く関係のない相手である私にしか漏らせなかったのでしょう。
むしろ、よく来てくれた、よく話してくれたな、と思います。
「誰かに話すこと」は楽にもなりますが、逆に「漏らされるかも」「バレちゃうかも」という怖さを秘めている場合もあります。
私はあくまでカウンセリング──相談を受ける立場であって、能動的に解決することはできません。しかし、今回はそれが良い方向に働いたといえるでしょう。
では、解決しようとしてくる大人の何が問題で、子どもたちは何を回避したがっているのでしょうか。
どうして、身近な大人には言えない、と感じてしまうのでしょうか。
2.大人の思う「解決方法」と子どもの「望み」
簡単に言うと、
大人が思っている「解決」と
子どもが考えている「解決」にすれ違いがあるためです。
たとえば、いじめられていると訴えてきた子は、
「親に言うと転校させられる」と怖がっていました。
また、人間関係のトラブルを抱えていた子は、
「先生がみんなに言ってしまう」と恐れていました。
そして、それの何がだめなのか、どうして嫌なのかをきちんと説明できる子は多くありませんでした。
もちろん、言語化が難しいほか、気持ちを表現することができない、言いたくないという場合も考えられますので、「説明できなかった」わけではないと思います。
簡単にしてしまうと正確ではなくなりますが、シンプルに言うと子どもたちの「ヘルプ」には以下の段階があると考えています。
1.[ただ話を聞いてほしい]
2.[話を聞いて共感してほしい]
3.[解決するための助言をしてほしい]
4.[解決するために動いてほしい]
5.[解決してほしい]
こちらの[1]の段階では、まだ「話を聞いてほしい」だけなので動いてくれなくて良いわけです。
しかし、この[1]で問題を把握した大人が、すぐに[5]の行動を起こしてしまうために、子ども達は「話せない」となってしまうのではないかと感じました。
3.大人の思う「解決方法」では解決できない
例えば、「いじめられている」と訴えつつ、「転校させられるから親に言えない」という場合、
大人は「いじめっ子から引き離して解決」だと考えている(あるいは、そう考えるだろうと子どもが感じている)状態です。
少なくともこのケースでは、いじめられていても転校は望んでいませんでした。
いじめっ子と離れることのメリットよりも、
お友達と離れてしまうことのデメリットが大きいのでしょう。
大人は「よかれ」と思って解決方法を示す、あるいは解決のために行動しますが、だからといって子どもがそれを望んでいるとは限りません。
もっと別の段階にあるか、別の解決方法を望んでいるかもしれません。
早めに話せば解決できたこと
早く手を打てば良かったこと
先に言われていれば対応できたこと
それらをあとから聞いたとき、「どうして言わなかった!?」と思う気持ちはわかりますが、そう反応されることでますます子どもの中では「言わない」のではなくて、「言えない」状態になっていると言えます。
それなら、大人がやるべきことは、
子どもたちが自分から「言える」状態に持っていくことでしょう。
子どもが親を含む大人に「悩みを打ち明けることができない」状態というのは、その子を取り巻く環境の心理的安全性が確保できていないという意味でもあります。
『心理的安全性(psychological safety)』とは
子どもに限らず、自らの気持ちや思いを安心して表現できる状態のことです。心理的安全性が確保されていると、「これを言ってもいいんだ」と安心して自分の状況や思い、気持ちや考えを伝えられるといわれています。
話すことに関して安心感がなく、困っている子が「とにかく話を聞いてほしい」「自分の言葉に耳を傾けてほしい」と求めてきていたように思います。
4.「傾聴すること」の必要性
子どもの話を聞いて、望む解決策を!
といっても、難しい場合もあるでしょう。
また、子どもが望む解決策が間違っていたり、悪い方向に向かったり、リスクがあったり、デメリットが大きいという場合も想定できます。
「子どもの話を聞くこと」と「子どもの言いなりになること」は別です。
必要なことは、
大人の思う「解決方法」や「考え」を一方的に押し付けない
子どもの感じている「気持ち」や「考え」をその子の言葉で聞く
ここにあるのだと思います。
どうしてその子の言葉で、なんて言い方をしたのかというと、
「先生に言うと親に言われる。でも、自分の言ったことと違う言い方をされる」という訴えもまあまあ耳に届いていたからです。
確かに伝言ゲームのようになるでしょうし、
大人の視線や観点で受け止めていたり、
そもそも他人なのだから同じ視点ではなかったり、など
間に誰かが入ることで生じやすい問題ではあります。
「先生から聞いたよ」と伝えることは悪くないでしょうから、
せめて、「だから、話を聞かせて」という方向にもっていければ良いのではないでしょうか。
5.最後に
今回の話は、主に大人、特に親御さんに届けばいいなと感じています。
子どもが肝心なことを話してくれない……
何を考えているのか分からない……
コミュニケーションがうまく取れていない……
子どもが言うことを聞いてくれない……
そんな風に悩んでいる親御さんがいるなら、
ちょっと、こういう感じはどうでしょうか、と一言お伝えしたくて書きました。
助けてと言えない子どもはもちろん、
その周囲にいる大人も、同じように悩んでいる場合もあると思います。
私たちは誰もが、かつては子どもでした。
うまく言えないことや、言葉にできないこと、親に反発したこと
周囲の大人に不満を抱いたこと、何かに悩んだこと
そんな経験をしてきたかと思います。
それでも、そういった記憶や気持ちは少しずつ薄れていってしまって、あるいは少し都合の良い形に書き換えられていくこともあります。
大人の立場では「どうして親に言えないの?」と思うこともあるかもしれません。あるいは、話してくれないことに対して「自分は親なのに!」と苛立つこともあるかもしれません。
そんなときは思い出してみてください。
私たちが子どもだったとき、
「大人だから、親だから、先生だから」と無条件に信用していた時期もあれば、そうではなくなった時期もあるはずです。
コミュニケーションは日々の積み重ね。
一朝一夕で劇的な変化を遂げるものではありませんが、
このお話が少しでも、誰かの参考になれば幸いです。
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