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全ての流れは我々がお金に踊らされ続けてきた結果の末路

この世界が大株主を中心とした巨大ピラミッド構造だと解ってるなら、なぜ各国政府が労働プロパガンダを掲げて民間企業の職に従事させようとするのか理解できる。

我々はそのピラミッド構造の中に生きている奴隷だから。政府の役割はそこから逸脱させないように我々を監視して管理する、調教する役割を担っている。

全ては通貨と経済の支配者のため、底無しの欲望を持つ者達のために。だから無くてもいい労働でも何でも良いから民間の職に従事させたがる。普通に考えればお金さえ稼いでくれたら政府はそれで良いように見えるけどそうじゃない、政府は企業のために政治をやるので奴隷労働者を維持したがる。

そのせいで我々は低賃金の長時間労働を当たり前のように強いられ酷使されてきた。全ては歪で不愉快な欲望にまみれた支配のピラミッド構造を維持するために。

株式システムや市場経済、GDPなんてものは我々を支配するためのきっかけにするための数字で、マスメディアで騒ぐのは何でも数字、そもそもから政府やマスメディアなんてものは数字のプロパガンダしか垂れ流さない。グローバル化した昨今、世界常識となる経済的な動きは全て巨大グローバルモンスター企業を中心にして考えられる。

個人レベルで物を作り売るならグローバル化などまったく関係ないはず。しかしそれも現代社会では通用しなくなり、大量生産で物を生み出す大企業に富が一極集中させられるようになり経済活動の基準自体がグローバル化してしまった。

普通に考えれば国営の企業ではない民間企業の職に従事するなら安定した雇用の確保にはならない。皆が平等で公平な賃金と安定した職を確保するには誰もが働ける場所の構築、国営企業の存在が必要。共産主義と言うならそこまでやらなければマルクス主義など成り立ちはしない。

とりあえず無責任に労働プロパガンダを掲げて自分達の有利になるよう負担もなく人々を洗脳し従わせゴイムにする、強制ではないが、そうするしかない状況に追い込んで鞭を打ち続ける。それが中途半端なマルクス主義となる社会主義における勤労の義務である。

確かにおかしな話、その土地、国に生きているだけで何故か経済を支えている民間企業にではなく支配特権を持つ行政機関である政府に税金を治めるなど、その使い道を自由に決めさせるなど社会保証を理由にした滑稽な支配特権の行使にしか見えない。

そう考えれば全て民営化でかまわないとも思える、極限まで小さな政府とすること、それができれば政治家の不正など発生する事もない。しかしその支配権力が民間企業に分散されるだけで特定の者による支配が無くなるわけでもないので今までと大差ない、と言うより今よりもっと酷くなる。

公共事業を民間に渡した場合その事業を民間企業が行うには利益が無くては商売は成り立たないので税金に変わる何かしらの費用負担は必ず発生する。道路工事など行う場合は、その道路を有料にしたり、保険料のような徴集方法でビジネスを維持する必要がある。

そんなのはたまったもんじゃない、一歩外に出れば何かしらの料金が発生する、何かをするにしても必ず何かの使用料が発生、そんな世界になったら自己負担をする費用が莫大になる。嫌なら使わなければ良いと言われても現代社会に生きている以上は所有者のいない山奥にでも暮らさない限りはそこから逃げることもできない。

完全なる無政府は実現不可能、それならやはり政府は大なり小なり必ず必要であり、税金も必要不可欠な制度となる。しかし一方では都市部を中心に公共事業や、少子高齢化による社会福祉事業の増加で我々が背負う税金の負担は更に大きくなる。増税ばかりで人々は不満ばかりを蓄積し、この政権はダメだと、この首相ではダメだと、金太郎飴のような頭のすげ替えを何度も望むようになる。政権が変われば変わったでまた新たな批判と不満が時の政府への批判へと世論を動かし続ける。それを煽るのが特定の思想主義者と反政府主義者である陰謀論者、マスメディアの役割。


なぜこの世はこれほどまでお金の力に支配されてしまっているのか。何をするにしてもビジネス、まずお金を稼ぐ、その根底にあるのが世界規模での通貨とピラミッド型株式経済会の支配であり、富の蓄積に上限が無ければその欲望も底無しとなる。その結果持つ者と持たぬ者の格差が大幅に広がった。100対1のような酷い格差が世界規模でまかり通っている。それだけの力を持つ資産家を政府がどうにかできるわけもなく、政治家も人間であり拝金主義の誘惑には誰も敵わない。人は心弱き生き物なのでお金の支配には誰もが負けてしまう。


世の中は人間的な臨機応変さが悪いことのような意識を持つようにされ、それが常識的とされているが、その臨機応変さとは人工知能にはできないことで、それは人間の判断力があるからこそできること。ロボット的な業務、決まりとして淡々とやるなら人間でなくてもかまわない、全ての労働において人工知能やロボットに担わせても何の問題もない。もう既に企業労働者は臨機応変さがまったく無いルールや決まりに縛られたロボット労働者のようになっている。

それを絶対的な決まりとして従わせるためだけなら、もはやそこに人間の力など必要ない。人間的な感情をぶつけても無意味と解る人工知能や決まった通りにしか動かない自動化されたロボットだけで充分。

YouTubeなどのコンテンツもそうなりつつある。健全なコンテンツを運営するには健全なマニュアルを健全に守りましょうと、パターン化されたありきたりな、当たり障りのないビジネスとして見せることができる個性も何もない量産したしっかりとしたビジネス動画を作りなさいと。その健全なマニュアル通りに作られたありきたりなビジネス的な動画に企業広告を貼り付ける。メインは我々のような素人が作る雑な動画じゃない、メインゲストは企業広告様であり、それを目立たせることができるしっかりしたコンテンツ、それが重視されている。

要するにYouTubeも検索エンジン上位表示に羅列されるアフィリエイトブログと同じで、広告を見せるためのオマケでしかない。ユーチューバーやインフルエンサーはテレビで言うところの芸能人、ピエロの役割となり今まで活躍してきたが、今では年々視聴者層が高齢化、衰退するテレビ業界、その中でピエロをしていた芸能人ですらYouTubeに多く殺到している。その結果YouTubeもテレビと同じ状態になっている。YouTubeのテレビ化が始まっている、と言うよりもうそうなっている。今の時代からなら、ここに素人が入り込み多く見られようとする事自体無謀なことになってしまうのかしれない。


しかし自分としては、企業広告を見せるためのピエロに甘んじることなど、とても我慢はできない。言いたいことを言いたい、お金のために何も言えなくなるのはお金に支配されてるのと同じ。

だから、何事もお金が絡みメインがビジネスになるなら、つまらなくなって行くもの。

テレビがつまらないとあちこちから聞こえてくる呟き、今後はYouTubeもそうなって行く、健全なるコンテンツを増やし、その健全なるコンテンツに企業の広告を付けるために。おそらく不適切とされるものはどんどん規制され淘汰されて行くと思う。

ちょっとしたものでも敏感に、画像や言葉1つに不適切だとするブロックが入るようになる。それが広告ビジネスの中に組み込まれたYouTubeの流れ、テレビ業界で言えばスポンサー様、広告を出す企業に配慮した必然的な健全なコンテンツへの流れが今後も進む。

仕方がない、これが拝金主義社会の現実だから。陰謀論でも何でもない、全ては我々がお金に踊らされ続けてきた結果の末路。




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