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何者にもなれなくてもいいと思えたある日のこと


アフリカに帰ってきて、半年が経って、一時帰国をして、またアフリカでの生活がはじまった。

荷物に紛れていたノートを開くとちょうど1年前に表参道のカフェで書いたメモが出てきた。1年前の私は、4年付き合った元恋人の結婚式に出席するという何とも憂鬱で苦しい夢で目覚め、朝イチでひとり渋谷の映画館に向かい『場所はいつも旅先だった』を観ていたらしい。そういえば試験に合格し、アフリカ赴任の切符をつかんだものの治安の悪化で進退が決まらず、不安でたまらかなった時期だった。”キャリアセミナー”という文字が目に入ればなりふり構わず申し込み、キラキラした先輩方のキャリアと自分のキャリアを比較し、まだ間に合うとか間に合わないとかそんなことばかり気にしていた。もしアフリカに戻ることが叶わないなら先に進学しようか、30代になってから現場に戻り、そのままJPOに挑戦しようか。でもこのままじゃ出遅れてしまうし、いっそのこと国際保健のキャリアなんてやめて公務員を続けながら婚活でもしてやろうかなんて投げやりなことも考えていた。

20代後半周りがどんどん結婚し母になり家族を作っていく中で、仕事もプライベートも宙ぶらりん。不安でしかたなかった1年前。自分の軸がほしくてキャリアを築きなおさなければと焦っていた。国連で何がしたいのかなんてなにもわからないのに、JPOの”35歳まで”という年齢制限に常にせかされていたような気がする。

あれから1年。あのとき夢の中で他のだれかと結婚していた元恋人がまた私のパートナーになり、2度目のアフリカ生活がはじまってから半年が過ぎた。

仕事は楽しいかと言われれば答えに困ってしまう。だれのためになにをしているのかが見えず、最低限事故が起こらないよう目の前のタスクをこなす日々。調べたり教えを請わなければなにもわからずはじめてのことばかり。周りのひとの仕事を増やしているようで心苦しいし、常に自信がない。同世代が何倍もの仕事量を情熱をもってサクサクとこなしていく姿がまぶしいくてたまらない。医療従事者であることなんてなんの強みにもならず自分のアイデンティティが1つ2つと欠けていっているような気持ちになる。

それでも『国際協力を仕事にしたい』と思ってから15年、国際協力(国際開発)の仕事をしてアフリカで暮らしている。やっとここまでこれたんだ。

3年という任期付きの仕事、31歳で任期を終える。次はどうしようか。そのまま進学すれば1回か2回はJPOにも挑戦できるかもしれない。35歳の年齢制限に間に合うかもしれない。

でも私は国連でなにがしたいのか。
そもそも、この業界でなにがしたいのか。

そんなことを考えていたら半年が経っていた。
やっと一時帰国できるときが来た。

気になっていたお店を1か月前から予約して、誕生日を迎えるパートナーのお祝いをした。心地の良い空間、おいしい食事とおいしいお酒、丁寧で超いい接客、そして大切なひとが目の前にいて幸せそうにしている。
すごくすごく幸せで、この幸せを大切にしなければと強く強く思った。
この任期が終わったら日本に帰ろう。日本で大切なひとと暮らそう。

華やかなキャリアは手放すことになるかもしれない。何者かにはなれないかもしれない。逃げ出したことになるかもしれない。それでもいい。ここまで草の根も上流も経験してキャリアの土台は築けたし、挑戦もしてきた。いつか戻りたくなったら戻ればいい。ゆるやかに国際保健と接点を持ちながら大切なひとのそばで暮らしていこう。

歳を重ねながらいくつかの喪失を経験した。30歳を目前に、それまでぼやけていた大切なものや幸せの輪郭がはっきりとしてくるという経験をしている。年をとるってこういうことか。何がしたいのか、幸せとは何なのか、答えを探して霧の中をさまよい続けた20代。でも立ち止まらなかった私は偉かった。しゃがみ込んだままだったらきっとまだ霧の中にいたかもしれない。

数年前の私に声をかけることができるなら、『きっといつか答えがみつかるからそれまで走り続けてみればいい』と伝えてあげたい。これからも突然靄がかかることがあるかもしれない、道を見失うかもしれな。でももうきっと大丈夫。

過去の自分が一番の見方になって欲しい言葉をくれたことが何度もあった。だから未来の自分のために書き残しておく。
過去の自分に励まされてまた日常に戻っていけるように。



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