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海外協力隊員としてアフリカで暮らす未熟なNsの日々の記録。▶️東アフリカ駐在員になった元…

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海外協力隊員としてアフリカで暮らす未熟なNsの日々の記録。▶️東アフリカ駐在員になった元JOCVの日々の記録。

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    2019.1~2021.1 ザンビアで暮らす2年間の記録

最近の記事

国際協力の”理想”について思うこと

はじめてサブサハラアフリカの地に降り立ってから4年以上が経った。 いま国際協力や国際開発と呼ばれるものについて、思うことを書いてみようと思う。 「国際協力」という言葉に出会ったのは15年以上前、中学生のときだった。 私が生まれたのと同じ日、同じ時間にフィリピンのスラム街で生まれてひとがいて、彼はお腹いっぱい食事をすることができず、学校にも通えず、危険な環境でゴミ拾いをしながら兄弟の面倒を見て暮らしている。そんな理不尽な世界のリアルを突きつけられ、それから私の”国際協力”への

    • 何者にもなれなくてもいいと思えたある日のこと

      アフリカに帰ってきて、半年が経って、一時帰国をして、またアフリカでの生活がはじまった。 荷物に紛れていたノートを開くとちょうど1年前に表参道のカフェで書いたメモが出てきた。1年前の私は、4年付き合った元恋人の結婚式に出席するという何とも憂鬱で苦しい夢で目覚め、朝イチでひとり渋谷の映画館に向かい『場所はいつも旅先だった』を観ていたらしい。そういえば試験に合格し、アフリカ赴任の切符をつかんだものの治安の悪化で進退が決まらず、不安でたまらかなった時期だった。”キャリアセミナー”と

      • 3年が経って思うこと

        5年後、10年後、こんな日常が懐かしくてたまらなくなる日が来るんだろうな。 夕焼けを見ながらそんなことを思った。 向こうに見える山、教会から聞こえるお祈りの声、飛び立つ飛行機の音、子どもの声。 5年後の私はどこでなにをして、今日のことを思い返しているだろうか。 友達の子どもが小学生になっていたこと、看護師時代に買ったPCの充電が持たなくなっていること、そんなことで時の流れを実感する。 随分遠くまで来てしまった。ただのあこがれや執着だけでたどり着いたようなこの場所。 行

        • アフリカに帰ってきて思うこと

          4月19日早朝6時、強い日差しに乾燥した空気、花束で家族や恋人を出迎える着飾った大勢の人々。 2年ぶりにアフリカに戻ってきた。 まさか私がアフリカに帰ってくるなんて。いまだにちょっと信じられない。 それでも空港の外にでて思ったことは”帰ってきた”だった。 つらい、悔しい、なにもできない、向いていないんじゃないか、間違っていたんじゃないか。そんなことばかり思っていたザンビアでの日々。不完全燃焼でザンビアを去ったあの日。 平和で安全で暮らしなれた日本で穏やかに暮らそう。身の

        国際協力の”理想”について思うこと

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        記事

          2021年1月29日 あの日から2年が経った

          2021年1月29日、青年海外協力隊としての任期満了を迎えた。 また帰ってくるんだろうな、そう思いながら任地を去ってからあっという間に季節は進み雪もちらつく凍える冬を日本で迎えた。 たくさんのものを失い、絶望し、言葉にすることが苦痛でたまらなくて、このnoteを開くこと自体ができなかった数か月。 それでも同期がコロナと真正面から戦い、たくさんの人が苦しむなかでじっとしていることが耐えられなくて、帰国後2か月たらずでコロナ対応で戦場のように混乱する保健所で働き始めた。

          2021年1月29日 あの日から2年が経った

          この時を生きる私たちがアフリカの人々から学ぶこと

          一時帰国から一か月以上が経った。 自己隔離の14日間が終わって以降、ほぼ毎日おばあちゃんと一緒に過ごしている。 おばあちゃんは今年で79歳になる。生まれてからずっとこの土地で暮らしてきた。私の地元はいまは”市”の一部だが、かつては”村”だった。おばあちゃんはこの村で生まれ、この村に嫁ぎ、この村で暮らしてきた。 おばあちゃんはよく昔話をしてくれる。おばあちゃんが語る60~70年前の日本の風景は、不思議なことに1か月前に私がザンビアで見ていた風景と重なることがある。 家で

          この時を生きる私たちがアフリカの人々から学ぶこと

          10年間変わらない想いと1年で変わった大切なこと

          帰国して約2週間。 世界中のみんなが姿の見えない敵との終わりの見えない戦いに疲弊し、悲しみであふれる。 感覚や感性を麻痺させて、他人の言動に揺さぶれない強さを持たないと心が壊れそうになる日々。 日本のこと、これからのこと、ザンビアのこと 考えても答えはでないし、心がすり減るだけだからできるだけ考えないように気をそらして過ごす毎日。 ”もういいかな..." 10年前から抱いてきた夢にも蓋をしてただ穏やかな日々を望みたくなる。 実家の自室には”国際協力” ”国際保健

          10年間変わらない想いと1年で変わった大切なこと

          緊急一時退避になりました。

          一時帰国が決定した。 治安の悪化 研修の中止 アジア人へのヘイト 実は中間報告さえもできていない。 数週間前からすっかりペースダウンしていた私は、この一時帰国に対して悲しみや悔しさを感じられずにいる。 むしろそのことが悔しくて悲しい。 だって全力で向き合えてなかったってことだから。 1年目に区切りをつけることも、配属先と共有することもできず、周囲の状況に振り回されるようにして時間が流れていったこの数ヶ月。 でも迷いや葛藤で、一旦休まないと壊れてしまいそうだった私

          緊急一時退避になりました。

          落ち込んだ気持ちと向き合い思うこと

          1年前、この地に赴任してきたころとなにも変わっていなくって迷いと悩みと葛藤の日々。 1年も経てば慣れるだろう。 そうたかをくくっていたけれど生きにくさを感じるほどの感受性の強さを持って生まれた私にはまだまだ"慣れ"はやってこない。 あと1年もある。あと1年しかない。 日本に残してきた快適さや大切なひとたちに会いたいときに会えるそんな穏やかな暮らしを思うと、日本に帰るまで"あと1年もあるのか~"と思う。 その一方で、ここでなにがやれたのか、成長できているのか、この土地と

          落ち込んだ気持ちと向き合い思うこと

          ザンビアで国際女性の日を過ごして思うこと

          配属先の女性スタッフと一緒に"International women's day "のイベントに参加してその後の打ち上げにも合流した。 "今日は旦那さんにシマを作りますか~?" "No!!!今日は彼らが自分で作る日よ!!" "女性に権利を!平等を!" "そうだ!そうだ~!" 壇上の司会者と会場に集まった町の女性たちによって何度も繰り返される熱のこもったやり取り。 彼女たちからたくさんのパワーとエールを受け取った一日になった。 ステージでは各所属団体ごとに出し物として

          ザンビアで国際女性の日を過ごして思うこと

          折り返し地点を迎えて思うこと

          私は2019年の1月末に着任して、3月はじめに任地に本赴任した。 任期は着任した日から2年間。 本赴任からカウントすると任地で活動する期間は23か月弱になる。その間、分科会や総会、隊員の任地訪問、その他団体の活動先訪問、国内旅行に任国外旅行など任地を離れる機会も多い。 1年目はうまくいかないことばかりで、自分がここにいる意義を見失って、日本への未練にまみれていて、早く帰りたい、そんなことばかり考えていた。 それでもなんとか踏ん張っていたら気づいた頃には2年目に突入し、任

          折り返し地点を迎えて思うこと

          ふたつの視点から見えること

          今週から、クリニカルオフィサー(準医師)の学生の実習がはじまった。 ある学生と、同僚の看護師の会話。 👩🏽「ミナはボランティアとしてここで働いてるの。看護師だけど、報酬はもらってないんだよ。貯金でくらしていて、経験を得るためにここにいるの。」 👨🏾‍⚕️「俺も日本でボランティアがしたいな~」 👩🏽「そんなことできるの? ミナは兄弟はひとりしかいないし、養う必要はない。だから貯金ができる。でも私たちの家族システムでは貯金なんかできないでしょ。」 👨🏾‍⚕️「俺は末っ子

          ふたつの視点から見えること

          2020年のはじまりに思うこと

          一時帰国が終わった。そしてまた新しい年がやってきた。 ずっと楽しみにしてきたひとつの節目。 まずは一時帰国まで、そう思いながら過ごした1年目。 雨季のじめっとした空気の匂い、赤茶色の土地とメイズ畑、至るところでクラクション音がなる渋滞する道路。アフリカに戻ってきたことを五感で感じる。 1年ぶりに帰った日本は居心地が良くて快適で自分が日本人だということ、ここで育ってきたことを実感させた。"冷徹で、過度に丁寧で、周囲に無関心で、そんな日本がいやだった。"一時帰国を経た先輩は

          2020年のはじまりに思うこと

          これからのこと

          国際協力を仕事にしたい、そう思ったのは中学3年生のときだった。 それからずっと進む先にあったものは国際協力だった。 看護師になることを決めて、大学に入って、国家資格を取って、看護師になって、アフリカに来た。10年かけてここまで来た。でもこの2年が終わったら、国際協力からはいったん離れようと思う。こんな選択をするなんて想像もしていなかったけれど、この思いがザンビアで日々を過ごす中で確信に変わってきている。 私が中学生だったころ、世界はMDGsミレニアム開発目標に向かって進ん

          これからのこと

          災害のあとに思うこと

          路上で生活するひとの語りを聞いたことがありますか。 一人暮らしのお年寄りの家を訪ねたことがありますか。 台東区が住所がないひとの避難所への利用を拒否。そして税金を納めていない人々は避難所を利用すべきでないと区の対応に賛同するひと。 ヘリコプターで救助された高齢女性が搬送中に転落し心肺停止なったことに対して早期に避難しなかったことを批判するひと。 これがいまの日本の現実なの?本気でそんなこと思っているの? それがごく一部のひとだとしても一定数賛同の声が上がっていることが怖く

          災害のあとに思うこと

          9ヶ月間の振り返り

          活動開始6ヶ月で立てた活動計画。 あれから3ヶ月がたちなんだか中弛み期に突入している気がするので自分に渇をいれるために9ヶ月目の振り返り。 まだまだこのゴールには遠いけれど、地域ボランティアさんが体重増加が芳しくない子どもや低体重の子どもを見つけて私のところに連れてきてくれることが少しずつ増えてきて、ごくたまにだけどお母さんから「きっとこの子は低体重だからみてほしい。」と訴えてくることもある。1才で揚げパン食べてたり、体重測定の結果がただの数字どまりだったりまだまだなこと

          9ヶ月間の振り返り