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折り返し地点を迎えて思うこと

私は2019年の1月末に着任して、3月はじめに任地に本赴任した。

任期は着任した日から2年間。
本赴任からカウントすると任地で活動する期間は23か月弱になる。その間、分科会や総会、隊員の任地訪問、その他団体の活動先訪問、国内旅行に任国外旅行など任地を離れる機会も多い。

1年目はうまくいかないことばかりで、自分がここにいる意義を見失って、日本への未練にまみれていて、早く帰りたい、そんなことばかり考えていた。

それでもなんとか踏ん張っていたら気づいた頃には2年目に突入し、任地での活動も折り返し地点を迎えていた。

先週は"先輩任地訪問"という制度を使って、赴任1か月の新隊員さんが私の活動を見に来てくれた。

自分が新隊員として先輩の任地にお邪魔させていただいたときのことがつい最近の出来事のように感じるのに、いつの間にか受け入れる側になっていた。

新隊員さんと話ながら、いまの自分にあと2年という時間が与えられるならばなにをするだろうかと考えていた。

いまなら見える入り口はたくさん思いつく。配属先の業務内容、同僚の仕事、人間関係、性格、地域の特性、なんとなく見えるようになってきたいまなら活動の選択肢の幅はぐっと広がった。でも私がここで活動できるのはあと11か月。終わりのときを考えながらの活動になる。引き継げるひとがいるか、残りの期間でかたちにできるか。

配属先に隊員が入るのははじめてだった。だからヘルスセンターにアジア人がいること、独自の予算を持たないボランティアとしての派遣であること、医療職者だけれど医療行為はできないこと、そんなことを理解してもらうことからスタートした私の活動。だれがなんの職種で、どんな業務内容で、地域にはどんなひとが暮らしているのか。"知ること"そして、"知ってもらうこと"に時間を使った1年目。

限りある時間と能力でなにができるのか。半ば諦めのような気持ちで"いなくても困らないけどいてくれたら助かるひとになる"それが私のテーマになった。

ドナーや保健省からトップダウンではじまるさまざまな新しい取り組みで、業務量が増え、アップアップする現場の様子を間近でみてきた。"空き箱"を積み重ねるようなやり方に嫌気が差して、私は箱のなかに中身を積めるような活動をしようと決めた。

だからマンパワーとして放棄されていた仕事を請け負ったり、雑に扱われてきたデータを整理したり、そんな地味で地道な活動にフォーカスしてきた。

初代の私の役割は、配属先と良好な関係を築いて、土台をつくり、次の隊員へバトンを渡すこと。そう自分に言い聞かせてきた。

でも折り返しを迎え、また焦りと欲で心がざわついている。

言語能力も乏しく、現地の事情にも精通していない、独自の予算ももたず、専門職としての仕事もできない、そんな私は謙虚であるべき。配属先の意向を優先し、自分の手の届く範囲のことをやっていこう。そう決めた。

それでもやっぱり変えるべきだと感じることは目につくし、もっとこうすればいいのにというアイディアも思い付く。そしてせっかくここに来たんだからなにか爪痕を残したい、そんな自分の愚かな欲の存在も自覚する。

"正しいだけではひとは動かない"
"信頼関係が大切"
"物事が動き始めるの2年目から"

尊敬する大人たちからの言葉をなんども反芻する。

言い訳ならいくらでも思いつく。
できない、やらない、変えられない、それを正当化することもできる。それが本当に正しい選択のこともあるかもしれない。

"爪痕を残したい"という自分の欲に任せた無責任な行動は取りたくない。でもなにもしなかったらここでの2年という時間が無駄になってしまうかもしれない。

活動が次のフェーズに入り、悩みも変わってきた。

あと半年もすれば帰国後のことを本格的に考えて結論をださなければいけない。

大人は忙しい。自分で考えて決断し行動しなければいけないことがたくさんあって、学生のころのように悠長に悩んでいる暇はない。

ここで暮らすようになって改めて気づいた普通や平凡な暮らしの尊さ。でも時々すべてを投げ出して気の赴くままに好き勝手生きてみたいという衝動に駈られる。

なにごともバランスが大切だと思う日々。
謙虚でありながらも自分の役割を果たすこと。
大切なものを守りながらも自分らしく生きること。

#私の仕事

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