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この時を生きる私たちがアフリカの人々から学ぶこと

一時帰国から一か月以上が経った。

自己隔離の14日間が終わって以降、ほぼ毎日おばあちゃんと一緒に過ごしている。

おばあちゃんは今年で79歳になる。生まれてからずっとこの土地で暮らしてきた。私の地元はいまは”市”の一部だが、かつては”村”だった。おばあちゃんはこの村で生まれ、この村に嫁ぎ、この村で暮らしてきた。

おばあちゃんはよく昔話をしてくれる。おばあちゃんが語る60~70年前の日本の風景は、不思議なことに1か月前に私がザンビアで見ていた風景と重なることがある。

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家で家畜を飼い、ヤギのミルクや捌きたてのニワトリを食べていた話。

洗剤の代わりに灰を使って食器の汚れを落としていた話。

かまどで煮炊きしていた話。

女性で仕事をしていひとの家には子守りがいて、就学していない少女が子守りの役割を担っていた話。

ある家では母乳の出が悪く、乳児が立て続けに亡くなった話。

どれもおばあちゃんが子どものころの話なのに、ザンビアで暮らしていた私にはどれも身近に感じられ不思議な感覚に陥る。

60~70年も前と同じ暮らしをしているザンビアは、ある側面から見れば”遅れている”国なのかもしれない。でも、先進国と呼ばれる経済大国が新型ウイルスの猛威に参っているいま、ザンビアの人々の暮らしはたくましく思える。

今月はじめ、半年前から闘病中だったおじいちゃんが旅立っていった。私たちの地域では、”組”や”村親戚”という帰属単位があり、その地域でだれかが亡くなるとその翌日、家に”組”のひとたちが集まり会議を開く。葬儀業者の担当者とともに、どのように葬儀を運営するか、葬儀での役割分担などを話し合う。親族は同席するが、”組”の葬儀委員長が中心となって話し合いを取り仕切る。

葬儀業者に頼みさえすればすべてお任せでも済んでしまいそうなものだが、昔からのやり方が継承されている。ザンビアに行く前の私だったら、”こんな面倒なことなんでやるんだろう。古臭いな。これだから田舎は面倒だな。”そんな風に思っていたかもしれない。でもザンビアで様々なレベルの人々の暮らしをみてきた私は、一見”面倒”に見える地域のつながりや伝統的な帰属集団の価値や重要性を再認識するとともに、それが今の日本でも引き継がれていることにひどく関心した。

いままでの私は、面倒な田舎から逃げることばかり考えていた。保育園、中学校、高校と約12年間この地で暮らしてきた。でも地元への愛着はなく、不便で退屈で面倒な地元から早く離れたくてたまらなかった。連絡が取れる地元の友達は片手で数えられるほどだし、近所を歩いていても誰がどこの人だか判別することはできない。

ザンビアでは家から一歩外に出れば、だれかしらに名前を呼ばれ、行き先が同じなら世間話をしながら一緒に歩いたり、相手が車に乗っていれば車で送ってくれたりした。”元気?家族はどうしてる?最近寒いね~”そんなたわいもない会話をする顔見知りが何人もいた。ザンビアで暮らしたのはたった1年ちょっとなのに、12年間暮らした地元より私のことを気にかけてくれる人がたくさんいた。毎朝のランニングを日課にしているが、すれ違う近所のひとたちに挨拶をしてもは、彼らは私に”見慣れない若者”への怪奇な視線を向ける。そんな視線を感じるたび、違和感を感じる。

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緊急事態宣言が発令され、いままで以上の外出自粛と都市間の移動が制限されている今、いかにいままでの都市での私たちの暮らしが脆弱だったかを痛感させられる。若者の多くが高校卒業とともに地元を離れ、家族は離れた土地で暮らし、近所付き合いは軽薄になり、人と人との関係は対面からSNSへと移行し、食糧は育てるモノから買うモノになり、物流に支えられお金が価値の中心になった社会。

今、私が地元から離れた場所で一人暮らしをしていたならと想像する。もし、発熱し自宅での隔離が必要となったとき頼れるひとはいただろうか。食料品や日用品の補充、病床に臥しているときの食事の用意、万が一のときの生存確認。都内であれば、宅配便や出前、テレビ電話などを通して何とか日々を暮らすことができるかもしれないが、それらが破綻したらもしくはそれらが発達する前の時代だったらどうだろう。多くのひとがだれにも気づかれず、孤独ななか死を迎えることになっていたかもしれない。

《”ウィズコロナ”時代は5~10年続くかもしれない。》

そんな報道をおばあちゃんと一緒に見ていた。
物流が止まって、"食べ物が買えなくなったらどうしようか"、そんな話をおばあちゃんとした。
"庭でニワトリを飼えば、鶏肉と卵は手にはいるね。お米もなくなるかもしれないから古米を取っておいたほうがいいかもしれないね。担い手がいなくなった田んぼは人に貸してしっまったから、お米の代わりにじゃがいもかトウモロコシを作った方がいいね。"
そんな話を笑いながらした。悲観的な想像のはずだったけれど、自給自足の生活を想像することは少し楽しかった。

いまの日本ではいくら事態が深刻化したとしても、物流が止まって食糧危機に陥る可能性はほぼゼロに近いだろうし、恐れる必要はないかもしれない。でも都市に一人で暮らしていたら、不安はいまより大きかったかもしれない。

田畑がある我が家では、天候が著しく悪化しない限り、たとえ物流が止まったとしても飢える心配はほとんどない。家族はみな近くで暮らしているし、地域には古くからの帰属集団があり、なにかあれば互いに助け合える体制がある。楽しみを感じながら、自給自足の暮らしを想像できるのは長年継承されてきた盤石な”セーフティーネット”があるからだったのかもしれない。

成熟した社会では、民間のセーフティーネットは軽視され、政府や行政に対して国民の最低限度の生活を保証する役割が求められ、実際生活に困り頼れる家族もいない場合、公的扶助を受けることになる。しかしこれは、本来私たちの生活は、"自助""互助""共助"の3つの柱で支えられているはずなのに、近年そのバランスが崩れ"公助"ばかりに頼りきった社会に向かっていることの現れなのように感じられる。

政府の財政基盤が脆弱で社会保障が整っていないザンビアでは、"自助" "相助" が中心で土地や信仰、地域への帰属、家族とのつながり、これらが重要視されていた。平常時は、それらをしっかりと維持してさえいれば多くの人が暮らしを営むことができていた。社会的弱者となる人々は何らかの理由で、土地や信仰、地域の帰属、家族とのつながりといった基本的なセーフティーネットを逸脱したひとが多く、"自助" "互助”とに"共助"が成り立つことをより強く実感させられた。

いまの日本では"自助" "互助" への関心が薄れ、社会保障の充実が声高に叫ばれているようで違和感を感じる。とは言え、地元から離れることばかりを考えていたザンビアに行く前の私も同様で、目の前の社会が当たり前になると人の感覚は無意識に麻痺していくものなのだろう。いまこそこれまでの社会の在り方を俯瞰し、考え直すべきときなのかもしれない。


先日、”人生フルーツ”という映画を観た。しばらく前から気にはなっていたものの、観ていなかったこの映画。”すごくよかったよ!”と勧められ、その日のうちに観ることにした。

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すごくよかった。

開発や発展がよしとされ、効率化や便利さを追求してきた現代社会。多くのひとがその是非を疑うことはなく、快適で便利な生活を目指してきた。人々は都市に集中し、人々のつながりは希薄になり、経済的な豊かさこそが幸せの尺度になっていた。人々が発展や開発に邁進する最中、自分の価値観と向き合い、時代の流れと相反する暮らしを自らの意思で選択し実行した夫婦の生き方は、輝いて見えて羨ましく感じた。

2015年には国連が”持続可能な開発目標”を定め、地球全体で方向転換を図るべきときであることを示したが、一度知った効率的で便利な暮らしを変えることは難しく人々は環境を破壊し続け、経済的な豊かさを追求し続けた。みなが変わるべきときの訪れを感じつつ、変われなかった私たちの暮らしが、”ウイルス”という見えざる敵によって転換を余儀なくされている。インターネットという技術を手にし、快適さを手にいれたと思っていた人々が、インターネットを介して流れてくる不確かな情報に踊らされ、不要であること不確かであることを認識しているにも関わらず情報や集団に踊らされモラルに反する行動をとる。経済は停滞し、その一方で環境は回復し、世界各地で大気汚染が改善している。

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私たちはいつの間にか、自分たちを無敵な存在だと誤解するようになってしまったのかもしれな。それが誤解であることにも気づかず、何十年、何百年もの時間、地球環境を破壊し、開発を目指し、物事を効率化し人々の関係は時空を超え実物や実際への価値は下がり、その一方で画面や空間越しの出来事やつながりに価値を見出すようになった。

しかし突如として私たち人間は無敵な存在ではなかったことを”新型ウイルス”という見えざる敵によって、再認識される日々を送ることになった。

今こそ数十年、数百年のこれまでの私たち人間の在り方を見つめなおすべき機会を与えられているかのように思える。

”個”の人間として、大切なものはなにか。それを守るために必要なことはなにか。経済的な豊かさに依存せず、各々が自分にとっての豊かさとは何かを考え、これまでの在り方から方向転換を図るべきときが来ているのかもしれない。

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先に進もうにも前が見えない今。未来に前向きな想像や希望を抱くことができるか。そんな強さが求められているような気がする。

様々なひとの生き方に触れ、歴史に学び、自分と向き合う。そんな風に時間を使えるのは、住む場所があり、食べるものがあり、近くに頼れる家族がいる。だからこそ生まれるこ心の余裕があって、自分と向き合うこともできる。そうでないひとも大勢いるけれど、多くの人ひとが考え向き合い、ひとつでもふたつでも生き方を変えることで社会はいい方向に向かうはず。そんな希望を胸にこの窮地を乗り越えていきたいと思う。

こうして理想を描きつつも実践できていないことばかりの自分へ自戒を込めて。

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