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3年が経って思うこと

5年後、10年後、こんな日常が懐かしくてたまらなくなる日が来るんだろうな。

夕焼けを見ながらそんなことを思った。
向こうに見える山、教会から聞こえるお祈りの声、飛び立つ飛行機の音、子どもの声。

5年後の私はどこでなにをして、今日のことを思い返しているだろうか。

友達の子どもが小学生になっていたこと、看護師時代に買ったPCの充電が持たなくなっていること、そんなことで時の流れを実感する。

随分遠くまで来てしまった。ただのあこがれや執着だけでたどり着いたようなこの場所。
行動力だけは誇りに思ってもいいかもしれない。

5年後の私は貧困、健康格差、不平等、世界にあふれる不条理との向き合い方に答えをもっているだろうか。
エチオピアで過ごした日々を肯定することができているだろうか。
世界の美しさを語れるひとになっているだろうか。

30代を目前にし、失敗は怖いし自信はない。それなのにがむしゃらに努力することを忘れてしまった中途半端な大人になってしまった。それでも立ち止まったまま歳をとるのはイヤというなんとも滑稽なプライドで少しずつ少しずつ前に進もうとしている。

3年前、26歳の誕生日をザンビアで迎えた。日本を離れてアフリカ田舎暮らしを始めたことを肯定しようと必死だった。これでいい、なにかが変わる、前進している。そう言い聞かせた。いまとなっては当時の自分がいとおしくてたまらない。不安だったし寂しかったし怖かった。それを認めることさえ難しかった。揺れ動き定まらない自分を肯定することができなかった。

あれから3年が経った。大した成果も、華やかな成長もないけれど、弱さみじめさ泥臭さを肯定できるまでには大人になった。いまでも世界の不条理との向き合い方がわからず、いったい何に悩んでいるのかさえ見失いそうになるけれど、それでも立ち止まって蓋をするよりよっぽどましだと言い聞かせる。今やっていることが正しいことなのか、自分の倫理観と合致しているのか、何かに貢献できているのかはわからない。でも、正解を知りにここに来たわけではない。現実を知るためにやってきた。だからいいんだ。そうやって肯定できるようになった。

日が沈んだエチオピア。街灯や家の窓から漏れる光で町が明るい。空を見上げても星は見えない。上流に来て、生活はうんと楽になった。でもなんだかいつも物足りない。
アフリカに戻ってきて4か月。まだまだ続くここでの暮らし。
忘れたくないな、ここでの葛藤、疑問、喜び、感動。

5年後の私へ。
私はエチオピアのベランダで真っ暗になった空を観ながらこんなことを思っています。
自分と向き合う暇がないほどあわただしい日々を送っている姿が目に浮かびますが、時々アフリカで過ごしたいとおしい日々を思い返していることでしょう。問いへの答えはでないままかもしれませんが、疑問も悩みも含めて語れるひとになれていたらうれしいです。


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