記事一覧
【ゆるQ】デンマークの赤ソーセージ
『特捜部Q 知りすぎたマルコ』の作中、コペンハーゲンの中心街をマルコという少年が自転車でかっ飛ばすシーンがある。
その際「広場にソーセージ売りがいる」という描写があるのだが、これは写真のようないわゆる「ホットドッグスタンド」の事であると思われる。
◆◆◆
このソーセージ屋、デンマークでは非常にポピュラー。
私が住んでいた田舎街にはマクドナルドすら無かったけど、ソーセージの屋台はしっかりあった
noteを始めて30ヶ月。過去記事を振り返る
久々のふりかえりnoteです。
前回の振り返りから1年半(中途半端だな)の間に起きたニュースを振り返りながら、自分の記事をまとめます。
マガジンのフォロワーさんにのみこっそり公開した記事もあるので、もしかしたら未読のものがあるかもしれません。
どうぞご覧下さい。
イギリスの話題2022年9月、エリザベス女王が崩御。
長男がチャールズ3世として国王に即位しました。
最近はチャールズ3世とキャサリ
【ぶんがQ】『オリバー・ツイスト』に『特捜部Q 知りすぎたマルコ』との共通点を見る
『特捜部Q 知りすぎたマルコ』(以下『マルコ』)は、2012年に出版された特捜部Qシリーズ第5弾の作品である。(なお邦訳版が出たのは2014年)
本作は出版当時、イギリスの文豪ディケンズが書いた『オリバー・ツイスト』と比較するレビューが複数書かれた。
なお私も初めて読んだ時「うわぁ似ている、これって大発見?」と思いネットを検索したら、10年以上前に同じことを考えていた人が複数いて、己の浅はかさ
王家の宝石 | ベルギー王室のナイン・プロヴァンス・ティアラ
概要ベルギー王妃に代々受け継がれているティアラ。
⑴メアンダー模様のベース、⑵11のダイヤモンドパーツ、⑶後から加えられたアーチ型のパーツの3つで構成されている。
各パーツは取り外して、バンドゥやチョーカーのように使用可能。
なお⑵にある11のダイヤモンドは、当時9つあったベルギーの州(※)および王室と植民地コンゴを表していると言われている。
このベルギー領コンゴで採れたダイヤモンドに、アント
ノルウェー映画『ヒトラーに屈しなかった国王』のセリフから、祖国の意味を考える
//おおむね史実に基づいた映画ではありますが、
結末まで#ネタバレ しています//
Alt for Norgeとは、ノルウェー王が代々使用するモットー(スローガンのようなもの)である。
Google翻訳先生によると
「全てはノルウェーのために」
という意味になるそうだ。
ノルウェー映画『ヒトラーに屈しなかった国王』にも、このセリフが登場する。
史実に基づいた本作品の舞台は、第二次世界大
【ゆるQ】デンマーク人園芸家の庭に見るチボリ公園(動画紹介)
〜 「ゆるQ」とは特捜部Qに関係あるような無いような話を1000字以内でゆるく語るシリーズです 〜
特捜部Qに度々登場するチボリ公園は、コペンハーゲンに古くからある遊園地。
多くのデンマーク人にとって、子供の頃ここで遊んだ楽しい思い出がある場所と思われる。
デンマーク出身の園芸家クラウス・ダルビーにとっても同じことのよう。
彼はオーフスにある自宅の庭で 色とりどりのチューリップや日本のいろは紅 もっとみる
【ゆるQ】王室ヨット・ダンネブロ
『特捜部Q - キジ殺し -』は、デンマークの富裕層が登場する話。
主人公の警部補カールが ある上流階級の自宅を訪ねた時、真鍮がふんだんに使われたドアを見て
"王室ヨット全体よりも多くの真鍮が使われている"
という感想を持ったシーンがある。
今回は、この王室ヨットの話をしようと思う。
ヨットの名前は「ダンネブロDannebrog」。
デンマーク国旗を表す言葉で、現在の国王の曽祖母にあたるアレク
《9/9》ボナパルト家を取り巻く女性たち - マリア・ヴァレフスカ編【再婚、その後】
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ナポレオンがセントヘレナ島に流されてから1年余り経った1816年9月。
何とマリアはベルギーで再婚。しかもお相手は、ナポレオンのいとこという衝撃。
お相手の名はフィリップ・アントワーヌ・ドルナノ。
一体どういう人物なのか、駆け足で見てみましょう。
コルシカ島で、父ルイ・ドルナノと母イザベラ・マリア・ブオナパルテとの間に生まれました。
ブオナパルテをフランス
《8/9》ボナパルト家を取り巻く女性たち - マリア・ヴァレフスカ編【ナポレオンの没落】
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マリアの離婚から4ヶ月ほど経った1812年12月。
ナポレオンはロシア遠征が大失敗におわります。
自分の政策に従わないロシアに痛い目見せてやろうと攻め込んだものの、ロシアの厳しい寒さに勝てず、50万人もの兵を失って帰国したのです。
翌年10月にはライプツィヒの戦いでも敗北。
反ナポレオンの国から一気に反撃を受け、1814年4月にフランス皇帝の座を降ろされま
《7/9》ボナパルト家を取り巻く女性たち - マリア・ヴァレフスカ編【出産、パリへ】
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ジョゼフィーヌとの離婚を決めたナポレオン。
ウィーンで愛人マリアの懐妊が分かった後フランスに戻り、11月の終わりにはジョゼフィーヌに別れ話を切り出します。
そして翌年1月には離婚手続きを終えました。
一方のマリア。
…の記録は見つけられず、9月に妊娠→翌年5月ポーランドのバレビツェWalewiceで出産という事しか分かりませんでした。
一説によると、マリア
《6/9》ボナパルト家を取り巻く女性たち - マリア・ヴァレフスカ編【妊娠】
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1808年3月─マリアがパリにやってきて間もなく─ナポレオンはスペイン方面の戦線に向けてパリを発ちます。
それに伴い、マリアはポーランドに帰ったのでした。
ここから1年と少し、マリアの足取りはよく分かりません。
そこでナポレオンの動きを見てみましょう。
◇
戦争を行う傍ら、ナポレオンは新しい計画に向けても動いていました。
一向に子供を授からないジョゼフィ
《5/9》ボナパルト家を取り巻く女性たち - マリア・ヴァレフスカ編【ジョゼフィーヌの場合】
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前回の話から時計を1年ちょっと戻します。
ナポレオンがポーランドに入る3ヶ月前の、1806年12月。
ジョゼフィーヌはナポレオンと共にマインツ(現在のドイツ)にいました。
かねてより対立していたプロイセンが、再びナポレオンと争う姿勢を見せた為です。
ナポレオンはマインツに入った3日後、再び戦線へ。
ジョゼフィーヌはマインツに留まり2人は離れ離れになります