個人店でちょっと高めの商品を買うこと

コンビニから徒歩45分の森の中に住んでいる田舎暮らしの28歳女です。

個人店など「誰か一人のこだわり」が詰まった商品・サービスを受け取るのが好きだ。

せっかくなら誰がどんな想いで提供しているのかが明確なものを受け取って、実利価値以外のものまでめいっぱい受け取りたいと願う。

ただ個人店の商品・サービスは、大量生産のものに比べると割高である。もちろん色んな価値が含まれているので満足度としては問題ないけれど、価格だけを見るとちょっと高いことがある。

たとえばコーヒー。チェーン店なら300円くらいで飲めるが、こだわりの個人店に行くと700円くらいする。価格だけを見ると2倍だ。

たとえば宿。ビジホなら6000円くらいだが、個人の変わった宿に行くと20000円くらいすることもある。

たとえば服。GUなら1900円で買えるアイテムが、一点物の店だと20000円くらいする。

わたしはお金持ちというわけではないから、高価格帯のものばかりで身を固めると、シンプルに貧困になる。「なるべく上質なものを」「なるべく心のこもったものを」と思う心は大切だけど、消費ばかりしてたら、シンプルに貧困になる。

つい「いいものを選んでるからノーカンだよね」「必要経費だよね」と思いたくもなるけれど、買ってる時点でノーカンとはいかない。上質だろうが何だろうが消費である。

だからといって、たくさん稼いでセレブのようになった上でバンバン上質なものを買って消費するのも、なんとなく違うように思う。そういう感じの人間ではない。

じゃあどうしたらいいのか。どんな形を望むのか。

それは、

自分で作れるものはなるべく作って、買う必要があるときはこだわりの上質なものを買うこと。これが望む形。

たとえば梅干しは自分で作れるから梅干しは作る。甘酒も作れるから作る。漬物も作る。味噌も作る。

でも醤油やお酢は作れないから、こだわりの上質なものを買う。

こういう使い分け方がいいな。

必要なものを消費として手に入れるのではなく、なるべく自然なものから作ってみる。

漬物を食べるなら、買うのは漬物じゃなくて、大根でもなくて、大根の種を。

梅干しを食べるなら、買うのは梅干しじゃなく、梅でもなく、梅をとらせてくれる近所の人と知り合っておくことを。定住先が決まったら梅の木を植樹する。

作れるかもしれない、と感じたものは、投資のような形で、なるべく大元のものを買うか分けてもらう。大根の種や梅の木など。

お金の使い方の話になると、よく投資・消費・浪費というワードが出てくる。田舎暮らし自体がニッチだから例として登場しにくいけど、種や木は投資に当たるだろう。この投資部分を増やして、作れるものは作りたい。

作れるものは作る。

作れないものは、少し高くてもいいからこだわりのものを買う。

この精神で生きていきたいし、少しずつ実現し始めている。

種から育てた大根を漬物にすべく干している

カフェなどに行くときは、実利価値以外に何かを受け取れて、循環の中に入り込めそうか?を意識したい。マスターと知り合いになれそうか?もポイントになるだろう。マスターや店全体から何かを受け取り、また心から感謝できるような自分であれる場合に、積極的に訪れたい。

いっぱい稼いでいっぱい使う、じゃないタイプの生き方。物々交換も大歓迎の生き方。経済活動にはカウントされないので数値としては歓迎されない人間かもしれないけれど、調和や循環の観点から見れば、わたしはこっちの方が好きだな。

毎日投稿61日目。晴れると自然のことに目がいくので助かる。

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