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認知症になった母を看取るということ。

月日が流れるのは早いもので、
母の認知症発覚から2ヶ月が経とうとしています。

おかぁさんのことを発信してから
本当に沢山の方から声をいただいていて
感謝しかありません(/ _ ; )

まだまだ始まったばかりの
長い介護生活が続くと思いますが、

今回の自分の経験が少しでも
誰かの役立てたり、力になれること
そして誰かのきっかけになれること

認知症に対する社会や医療現場
そして介護者に対する認識や理解が
もっと広がっていけばいいなぁと。

そんな想いで今日も現状を綴っていきます。

少しずつですが、心の準備もできてきて
私自身も当初よりは余裕が出来てきた気はします。

それでもやっぱり、急な進行の原因が分からず
なす術もなく進んでいく毎日がもどかしく感じたり
頭の中が忙しくって
いっぱいいっぱいになるわたし。

だって6月頭、実家帰った時
普通に喋ってご飯食べに行ったやん?

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「65歳以上の5人に1人は認知症を患う時代」
と言われていますが、
どこか人ごとだったんだなーと反省。

コロナ禍において、自粛生活が1年以上続いていて
対人接触が乏しく人との会話が減っている現状では
認知症の発症率が高くなるという報告があります。

今になって悔やんでも
どうやったってあの頃には戻れない。

だからこそ今もし家族と離れてる人や
コロナ自粛で帰省できてない人は
会話をしてほしいと心から思っています。

後悔する前に、後悔しない様に
いつだって無くしてから気づくことばかりだ。

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そんな母が入院後、
1ヶ月で更に病状が悪化。

ADLの著しい低下によって
日常生活動作はかなり制限されていて

入院前は記憶、思考だけの認知だったのが
今ではご飯も食べれなくなったとのこと😢

怒りをぶつけたことによる気持ちを落ち着かせる
薬の副作用で体が右に傾きが出て
歩行中の転倒による頭の強打と出血
そして大腿骨の骨折・・・。

専門の病院への転院と
人工骨頭置換術を行うとのこと。

兄も仕事を休みもらって三重から大阪に🚙

不安になりながらの付き添いでしたが
なんとか無事に足の手術は終えて一安心。

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手術室に運ばれる前と後、
少しの間だけ会うことができた。

顔が見れただけでもほっとしたけど
麻酔で眠っていたのもあって
目を開けて話すことはできなかった。

咳が苦しそうにしていて辛かった
早く会話がしたい、今はただそれだけだ。

コロナで面会ができないことも
認知を進めているのではないかと思う
家族と会えないまんまで
このまま忘れてしまったらどうなるんだろう...

それでも今、わたしたちには
どうすることも出来てないのがはがゆい。

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その後は、市役所で
介護認定の区分変更に行ったり。

入院前、今年の2月に自ら
「要支援2」を受け取っていた母だけど
入院時は「要介護1」、現在は「要介護3、4」
まで進んでいると担当医は話していた。

本来、認知症というものは
ゆっくりと記憶を失っていくことが
ほとんどだと言うのだけれども
母の場合は今年、たった数ヶ月
物凄いスピード感で進行している。

看護師や介護福祉士の方々からしても
不思議だと話しているくらいだ。

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親が認知症になったら、どうする?
ということを少しでも私の経験から伝えられれば
周りの人のためになるのではと思って発信をしています。

私自身、認知症についての知識が全くなかったので
何が起きてしまったのか
何をどうすればいいのか
どうやって接するのが良いのか
どうゆう手続きをしていくのか
本当に分からないことだらけでした。

不安と焦りで焦燥しながらも
必死で色んなインターネット検索で
池田市のページなどを見たり
色んな窓口や病院に電話して行動しました。

まずは、「地域包括支援センター」
という市町村役所ごとの担当窓口に相談。

まずは病院での診断をし、
心身の状況調査と主治医の意見書によって
介護保険「要介護認定」申請を行う。

ケアマネージャーさんと
介護ケアプランを行い、介護サービス利用開始。

被保険者は1割~3割の自己負担で
介護サービスが受けられる仕組みになっています。

今回でわたしが本当に支えられたのは
池田市の医師会包括センターの担当の方でした!

一人で不安になりながら、実家で母の状況を見て
病院などに連絡して連れていくことになった時
すぐに駆けつけてくれて一緒に動いてくれました。

沢山寄り添ってくださって、様々な情報もくださり
ほんとに心強かったなぁ(´•ω•`)🙏

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そんなこんなで、兄とは
夜から一泊かけて実家の捜索を🏠

懐かしい写真だったり
昔のパスポートなんかも発掘されました(笑)

というのも、
まだ元気だった母はもちろんのこと
相続などのことを進めておらず
お金の管理などに厳しい母は
自分自身で全て管理していました。

介護認定の際に
預貯金などの申請も必要なのですが
通帳の場所さえも分からない。

事故、病気、様々な状況で
きっとこんなことって
世の中では沢山あるんでしょうね😅

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若かりし頃の母、そして第一子の兄。

こうして、母のタンスなどから出てくる
想い出たちを見る度に胸が苦しくなるばかりです。

兄の父と、私の父は違って
2回の離婚を経験している母親は
女手ひとつで私たち兄妹を育ててくれました。

子供の頃は、いつも働きにでていて
病気がちなこともありましたが
お金のことで苦労したことがなかったのは
母が本当に努力して稼いでいたからなんだなーと
改めて今となっても尊敬しています!

探せる限りでの書類や、
保険や連絡するべき場所をまとめたり
通帳印鑑などをもって翌日、銀行も回りました。

法律の改正があったらしく、
戸籍謄本をもっての家族関係を証明できれば
通帳や印鑑があれば暗証番号等わからなくても
預金を管理することができる銀行と
メガバンクや、定期預金などの解約には
本人の意思確認がなければ難しかったり
”成年被後見人制度”を使わなければいけないこともあり
かなり難航しております・・・。

この件に関しては、また追って
詳しく発信出来たらなぁと思っています🙇‍♀️

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母の結婚式の写真をみつけました。
めちゃくちゃ時代を感じさせますね・・・笑

今年の8月8日で69歳を迎えたばかり
二人の子育てを終えて
これからのんびりと過ごせるという
タイミングで始まった母の認知症。

治療薬がないこと
進行は止められないこと
医師から告げられる現実に
家族はついていけない日々。

思い出と現実を行き来する母は
今どんな世界を彷徨っているんだろう。

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僕らが生まれてきたこと。

母がいて、兄がいて、私がいて
妹として、家族として。

今わたしができること
精一杯の愛情をもって接すること。

忘れてしまうことはとても悲しい
切なさも苦しさも、そして温かさも。

生まれてきてこれたこと
生んでくれて、育ててくれて
本当にありがとう。

長生きしてね、
たったひとりのおかーさん☺︎


是非とも、あなたのお気持ちでサポートお願いします!言葉を紡ぐこと、人と人を繋ぐこと、わたしの人生を支えてくれる皆様に心からの感謝を☺︎