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エッセイ・コラム

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#夢

若いころと年を重ねた時とで夢の重みは違う

若いころと年を重ねた時とで夢の重みは違う

以前も取り上げた、お世話になっていた先生の話である。
先生に感謝の手紙をお送りしたとき、私は誤って便箋を2枚重ねずに送ってしまったことがあった。目上の人に対する手紙では失礼な行為のひとつだが、その際に先生からの手紙でお叱りを受けたことがあった。
そのとき、「君は記者であるから言っておくが、社会常識を知ってあえて踏み越えるのと、知らずに踏み越えるのとでは大きな違いがある。記者という仕事は社会常識を知

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隣の芝より自分の芝のほうがもしかしたら青いのかもしれない

隣の芝より自分の芝のほうがもしかしたら青いのかもしれない

隣の芝は青いとはよくいったもので、どんなに恵まれても人間は自分にないことを求めてしまう。
金持ちの人であれば「時間が欲しい」といってみたり、金がなく時間ばかりあると「金が欲しい」といってみたり、オムライスを食べながらカレーを頼んだ友人を見ると「カレーのほうがうまそうだな…」と思ったりと、人は実に気まぐれで身勝手な欲求を持っている。

私自身も気まぐれかつ身勝手な欲求を持つ人間のひとりである。
いっ

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私たちは演劇の中に生きている――たぶん、夢以外は。

私たちは演劇の中に生きている――たぶん、夢以外は。

夢を見ることを愚かだとする風潮が、何となくある気がする。大人も大人で若者に「お前たちは若いから現実が見えていない」などと言う。

若者は夢を見ているから現実を見ていないのは至極当然である。しかし現実が見えているからといって何なのだろう、とも思う。

人はなぜ夢を諦めるのだろうか。それは、そこに現実があるからである。

夢ばかりを追っていたらそこには現実的なものが喪われる。
結婚とか育児とか介護など

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あの時隣で泳いだ友人は、将来のトップスイマーだった

あの時隣で泳いだ友人は、将来のトップスイマーだった

「プールに行きたい」

以前、父親がそんなことを言ってきたので、久しぶりに一緒に泳いだことがあった。
よぼよぼの父親がおぼれるように泳いでそのうち死なないようにするためにただ観察する、いわばお守みたいなものだ。
私自身は頑張って泳いだわけではなかった。

もっとも、少し水に触れば、己の衰えは手に取るようにわかる。まず腕も足も筋肉が限界を迎えるのが早く、すぐにまともに水が掻けなくなる。筋肉が落ちすぎ

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きっと今が一番暇で、そして一番青い

きっと今が一番暇で、そして一番青い

短いながらも自分の人生を振り返ったときに、ひとつ気づくことがある。それは、間違いなく年齢を重ねるごとに、やることも考えることも増えてきたということだ。

幼稚園なんてのはすこぶる自由である。私は自分の体のシルエットに合わせて床に木箱を置き、ひとりその中に入って天井を見ながらねっころがっていた記憶があるが、特に批判されることもなかった。

学校にいるころもさほど変わらない。まあ、勉強をしなくてはなら

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諦めたら、夢はかなう、かも。

諦めたら、夢はかなう、かも。

「夢」というものに純粋な期待を寄せ、そしてそれを追っている大人は少ない。

社会人は仕事という毎日同じタスクを繰り返す生き物だ。日々が消費されていくような、何とも言えない虚ろで平凡な日常に耐えるように生きている。

そしてそのうち、時間とともに現実と折り合いをつけて、夢をあきらめていく。いつの間にか、「昔はよかった」と、過去を顧みることばかりにいそしみ、未来を見つめる目を失う。

詩人である寺山修

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