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あの時隣で泳いだ友人は、将来のトップスイマーだった

「プールに行きたい」

以前、父親がそんなことを言ってきたので、久しぶりに一緒に泳いだことがあった。
よぼよぼの父親がおぼれるように泳いでそのうち死なないようにするためにただ観察する、いわばお守みたいなものだ。
私自身は頑張って泳いだわけではなかった。

もっとも、少し水に触れば、己の衰えは手に取るようにわかる。まず腕も足も筋肉が限界を迎えるのが早く、すぐにまともに水が掻けなくなる。筋肉が落ちすぎて、水の中でひじが立たない。

昔のようにはいかないものだと痛感しながら帰路についた。


年に一回くらいだろうか、小さいころに水泳を一緒にやっていた友人たちと会って話す機会を持つようになった。
いつもの変わらない顔ぶれのなかに、水泳選手として活躍している一人の友人がいる。

彼は小さいころから非常に速い選手で、ジュニアの時代から第一線で活躍していた。
言うまでもないことではあるが、同じプールで泳いではいたものの、およそ追いつけるようなレベルの選手ではない。
そして今でも日本選手権に出るような、日本トップクラスの選手である。
何より、小さいころからプロの水泳選手として活躍するのだと言っていたから、幼いころ描いていた夢に一番近づいているのはほかでもない彼である。

しかし、2020年には新型コロナウイルス感染症の流行を受けて、試合が中止になったり、スポンサーが手を引いたりしており、懐事情が非常に厳しいとの話をしていた。それでも彼はあっけらかんとした表情でその日、終始笑って過ごしていた記憶がある。

最近になってみると日本選手権で決勝に残ることも珍しくなってきたようだ。若手が台頭する中で、タイムという名の「数字」は、残酷なまでに現実を見せつけるようになっている。本当に厳しい世界だ。
「あのトップクラスの彼でさえ頂点に立てない世界があり、そして口に糊しているような境遇にある」――そんな事実に、一人考え込んでしまった。

ふと、ほかの友人の顔を浮かべる。
警察官僚を志していた幼馴染は、いま大手のコンサルでゴリゴリと働いている。同期より昇進も早いらしい。
よくプールから一緒に帰っていた、音楽に詳しい友人は、IT会社をやめて独立し、会社を経営している。
記憶力が尋常ではないほど良い友人は今や研究の道に進み、フランスで学んでいる。
三国志が好きだった声の小さい友人は新聞社の記者になった。

いろんな人がいる。夢を追っている人もいれば、夢を形にできず現実に妥協した人もいる。
年を重ねていけば、間違いなく「夢を見なくなって現実に妥協した」ひとたちが増えていく。周りを見ればそれは明らかだ。

幼年期たくさんの夢を抱いていても、現実を見続ければ次第に夢は輝きといろどりを失い、そして夢は手のひらに収まるような小さなものになっていく。そのうちに夢は「昔抱いていた未来」という、思い出になっていく。
そんな思い出を抱えたまま生きていれば、小さいころに語っていた、無垢で、おぼろげな、まぶしく、途方もなく大きな「夢」は、いったいどんな色をしていたのか――考えても考えても、いつの間にか、思い出せなくなっていく。こうしてたくさんの大人が夢を失うのだろう。

現実を言い訳に夢を見ることを諦めてはならないし、夢ばかり見ていてもだめだ。子供であれば夢だけでもいいが、大人はそうもいかない。だからこそ、人生は夢と現実のせめぎあいのなかにあるのだと思う。

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