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「同じ」という安心感が、実は人間関係の悩みの根源なのかも?

初めて韓国に行ったとき、私が一番衝撃を受けたのは同世代女子の服装がバラエティに富んでいたことだった。

外国で日本人と出会う時、遠くから見ても大体それが日本人だと分かる。特に女子。なぜなら日本人は一般的に小ぎれいで、ちょっとぼーっとした感じと幼さ、そして動きに独特の硬さがあるのに加え、何より服装のテイストが皆似ているから。

*女子の服装が似ている理由*

女子の服装が似ている理由。それは多分、多少は流行を取り入れないとダサいと思われるし、自分でも自信が持てない。それでついつい流行を取り入れた服装を身にまとう。そうして結局日本人女子の服装は、皆テイストが似てくるんだと思う。


*「誰かと同じ」であること*

例えば同性同士で、「誰かと同じ」というのは「間違っていない」と思えるし、例えば好意を持つ異性と「同じ」となると、そこには独特の甘さが生まれる。でもその「同じであること」をありがたがり過ぎることについて、ちょっと危ないなぁと思うことが時々ある。


*「同じであること」を重要視することで、逆にかけ離れていく*

同性であれ異性であれ「同じであること」を度々確認したり、ありがたがっていると、そのうち「同じではないこと」を言い出しにくいと感じることが出てくる。

そうこうしているうち、たとえ「同じではないこと」が出てきたときでも、きっと相手は同じであることを期待しているのだろうと思い、たまには良いかと、ついついなんとなく合わせてしまう。けれどそれを繰り返すことで、実際の自分と相手から見た自分とが次第に少しずつかけ離れていく。


*距離感ゼロの危険性*

また「同じであること」が当たり前になってくると、次第に「相手=自分」という感覚になってくる。関係が上手くいっているときは、その距離感ゼロの感覚が甘さや親近感となるけれど、うまくいかなくなると、ぞんざいさとして裏目に出る。そして誰しも育った環境は違うので「感覚がすべて同じ」ということは基本的にありえず、「同じ」という幻想はいずれ壊れる。


*「同じ」という幻想*

日本では基本的に誰もが同じ教育を受けて誰もが同じ言語を話す。それで、育ってきた背景が基本的に同じだから、「感覚もきっと基本的には同じ」という幻想を持ちやすい。でも実際は育ってきた家庭・触れてきた文化・友達や先生など様々な環境によって、一人一人違う。

また、厳密にいえば「ある点においては同じでも、別の点では違う」とか「基本的には同じでも、その濃淡において差がある」なんてことも多々ある。それで結局「同じ」であることを前提とした期待はずれが起こり、人は人間関係に悩む。


*自分の感じたこと・考えることの質量に見合う語彙と表現力を*

人は必ず細かい所で違う。違うのが当たり前。

だからこそ、自分の感じたこと・考えることの質量に見合う語彙力や表現力を身に着け、面倒くさがらずに話すことが大事なのだと私は思う。

誰かと同じという安心感を過剰にありがたがるの、そろそろやめてみませんか?

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