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ショートショート「未満」

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「会話」や「匂い」などをテーマにイメージを膨らませるショートストーリー エッセイだったり、妄想だったり 模索中
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<初稿>坂道と

<初稿>坂道と

線路沿いの坂道を歩いていく。

うまくいかない仕事と、一人帰る部屋を思うとやりきれない気持ちになる。

周りの家々の灯りは温かく、ふとこの中に自分を待っている灯りはないと思う。

この道をどこまで登っていくのか。自分はどこへいくのか。不意に足元に吸い込まれそうな不安を感じた。世界の音がすうっと遠のき、自分の呼吸の音だけが耳元に聞こえる。

その時どこかの家からお風呂の匂いがした。

それはモワッと

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<初稿>夏の夜

<初稿>夏の夜

ヒグラシが鳴いている。

高く細くやがて空に消えていく音は、昼間のうだるような暑さや、狂ったような蝉の競演を忘れさせてくれる。ゆるく団扇を動かすと、浴衣の襟元から汗の匂いがする。

カチッという柔らかい音がする。

縁側で君が蚊取線香に火をつけている。一瞬もえあがった炎は軽く揺すると熾になり、細い煙が立ち上る。

隣家からかすかに野球中継の音が聞こえる。ぬるい風が風鈴をチリンと揺らす。もう少しこう

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<初稿>夏の少年

<初稿>夏の少年

少年が2人木立の中に立っている。

空はまだ明るいが、さっき通った夕立で蝉たちも少し落ち着き、ヒグラシの澄んだ声が少しずつ森に夕暮れを連れてきていた。むっとするような草いきれに、濡れた土と木肌の涼しい匂いが混ざっている。そこら中から小さな物音が聞こえ、生き物の気配がする。夏の森は命の匂いがする。

少年たちの狙う獲物も必ずこの森の何処かにいる。

土の中か朽木の下か、今はまだ身を潜めている。興奮に

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<初稿>雨の教室

私の学校は港町の丘の上にあって、古くて石でできていた。

雨が降ると所々雨漏りしたし、上げ下げ窓の木枠が膨張して開け難くなった。

雨の日の空は鈍く白く朝か夕かもわからない。パラパラと絶え間なく雨粒が窓にあたり、濡れた石と湿気った木と本とチョークの匂いが鼻腔に充満する。天井のファンが気怠く教室の空気をかき回している。

そういう時、先生の声はどこかに飛び去って、私は空想の世界をたゆたっていた。世界

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<初稿>図書館

<初稿>図書館

大学の図書館にて

女「じゃあ、機械はもう人間のように考えられるってことですか?」

男「考えるっていうのは厳密には違うね。原理原則を教えることはできる。でも、機械は語彙の外にある意味を解釈するのは難しいんだ。
だからまだ人間のようにコミュニケーションは取れない。」

女「なんか難しいな。じゃあ・・・例えばですけど、機械が人間のようにコミュニケーションが取れるようになったら、機械も恋愛しますか」

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<初稿>商店街

<初稿>商店街

夕焼けの線路沿いをジャージ姿の少女が歩いている。
ふと振り返る。
「あ。タケル」
後ろに少し年上の少年。同じジャージを着ている。
「おっ。」

並ぶではなく、少し前後になり歩いて行く。

「・・・・。」
「・・・・。」

坂を登り切る。
「じゃーな!」
肩でカバンを跳ね上げて、商店街に走って行く少年。

背中に向かって少女がつぶやく
「また明日」

<初稿>定休日のお客

<初稿>定休日のお客

夕方の理容室。

ドアガラスには定休日の札。

仏頂面の少女の髪をきりそろえる床屋の店主。
まっすぐに切り揃えられた前髪。
少しうつむき加減の少女の顎先で揺れる毛先。

「はい、できた。」
そっとクロスを外す店主。少女の髪を直そうとして、思い直したように手をおろす。

立ち上がり、カバンを拾い上げる少女。

ドアの前で振り向く。
「ありがとう、お父さん。」
「おう。気をつけて。またな。」

ほんの

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<初稿>髪を結ってもらうということ

<初稿>髪を結ってもらうということ

鏡台の前

浴衣を着た少女が座っている。緊張気味で笑顔はない。
後ろに立つ女性は優しく微笑んでいる。
「お母さんの浴衣よ。あなたくらいの時に着てたの。」
「やっぱり似合わないです…」
「そんなことないわ。待って、髪を結うわね」
「はい」
クシで細く長い髪を梳く。
「細くて綺麗な髪ね〜」
「・・・。」
髪を柔らかく編み込んでいく。

鏡に映る少女の顔。
隣に女性が頬を寄せて覗き込み、少女の耳元に花を

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