それ、何のためにやってんの?
みなさん、色んな趣味があると思いますが、その中には上達させたい趣味もあるのではないでしょうか。絵にしろ小説にしろ、「何のためにやっているのか」を考えたことはありますか?
ぼくは以前、というか最近まで、ただひたすらストイックに絵を描いていました。ぼくが当時どのようにストイックに絵を描いていたかというとですね、まず「自分の絵は将来絶対ビッグになる」と、自信を抱くところから始めたんですね。その前提でぼくは、創作する上でこういうことを考えていました。
「下手でもとにかく仕上げる。」
「次描くとき、どうすれば良くなるかを考える。」
「おれは下手だなぁという負の感情を抱かない」
まぁ、こういうね、言葉にすると意識高い系に見られるからあまり言いたくないけど、以上のようなことを考えながら絵を描いてました。
TwitterやPixivに挙げて反応が貰えなくても、「この先描いていけば絶対にファンがついていく」と信じて描き続けてたんですね。
当時の本気具合からすると趣味という感じではなくて、もはや手に職をつけるような感じで絵を描くことに執着心があったんですよね。
でもね、ぼくある時思ったんですよ。それらは果たして、「何のため」にやっていたのかって。
以前書いた記事に、「ぼくは漫画家になりたいと思っていたんだけど、本当はそんなことなかった。」って書いたんですけども、今から書く話はこれと関係します。
ぼくが毎日漫画を描いてたのは「自分が描きたかったから」と思ってました。しかし、それは大きな間違いでした。正解は、「喜ぶ友達が居たから描いていた」。だから、毎日漫画を描いても飽きなかったし、楽しかったんです。
じゃあぼくが毎日絵を描いていたのは、何のためだったのか?「喜ぶ人がいるから」?「絵を描きたいから」?違いました。
正解は「何も考えてない」でした。
その時気が付いたんです。その頃、なんか画風やスタイルがどうも定まらなくて、なんか絵を描くのがつまらなくなってて、純粋に絵に飽きてきて、なんでこんな感情が湧いてくるんだろうなぁとイライラしてたんです。
なぜイライラしてたのか、それは「何も考えていなかった」からです。それからぼくは、絵をマジメに練習するのがアホらしくなって今に至っています。
今ぼくが文章を書いているのは「喜ぶ人がいる」のと、「自分が書きたいから」です。ふたつですふたつ。良いとこ取りです。毎日楽しいっす。
前から仲良くしてくれている絵を描いてる人も、また別の界隈の方からもぼくの文を読んでくれているおかげもあって、毎日続いています。続いているという言い方はおかしいな。気付いたら毎日続いちゃってます。
この今のところの流れを読むと、「こんなことなら絵なんてマジメに練習しなきゃよかったじゃんね。」と思われがちの方もいらっしゃるでしょうが、全くそげなことは思っとらんです。
なぜならあの時代がなければ、「下手でもとにかく仕上げる」というステップアップの方法をぼくは身につけることは出来無かったからです。
「とにかく終わらせる」ことの大切さは絵を描いてた頃のぼくから教わったものだし、今でもその精神で書いてます。
ただその頃のぼくと違うところは、「ただ楽しい」という点です。これは自分の中でも、かなり進歩したなぁ〜って思いました。
もしこれを読んでいる皆さんが何かを上達させたいと思っているけど、なかなか気持ちよく創作活動できない、と悩んでいるのであれば、まず「何のためにやっているのか」を「一言」で言えるようになるといいと思います。
「つらいつらい」と思いながら創作するよりも、「マジ楽しい」と思いながらやった方が100%マシです。ぼくはそう思いま〜す。では、今日はこの辺で!
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