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知るだけで瞑想が上達する「雑念」との付き合い方。 ── 今からはじめるマインドフルネス入門⑭

 マインドフルネス瞑想の基本的な瞑想「集中瞑想」の実践方法について、ここ数回に分けて細かくご紹介しています。自己流で瞑想をしている方も、基本的な瞑想の方法を知っておけば、自分なりの瞑想を深めていけるようになります。

 今回は雑念について一緒に考えていきたいと思います。


 以前ご紹介したとおり「集中瞑想」は大きく4つのステップに分かれています。

集中瞑想の4ステップ
  1. アンカーを観察する。

  2. 雑念が浮かんで来る。

  3. 雑念に気が取られたことに気づいて、受け入れる。

  4. 雑念を手放して、またアンカーに注意を戻す。

 この①〜④の繰り返しが、集中瞑想をしている瞑想者のなかで行われている意識の運動です。

「雑念って、なに?」と友達に訊かれたら?


 さて「雑念ってなに?」と友達から訊かれたとき、あなたはすぐに答えられるでしょうか? 答えた上で、相手に理解してもらえるでしょうか?

「そりゃあれだよ、雑念ってさ、雑念だろ? わかってるって、わかってる、いや急に変な質問されるから考えちゃうだけでさ、雑念って瞑想中に浮かんでくるアレだろ、アレ、雑念、いろんな考えだよ、そう、比較的、比較的雑な

「(こいつ分かってねぇな……)」

 ということには本当にならないでしょうか?(なんの疑い?)

 雑念とは、注意を向けているアンカー以外に、自分の意識に浮かんで来るものの総称です。具体的には「思考」「感情」「感覚」の三つに大別できます。

 たとえばあなたが呼吸をアンカーにして、集中瞑想をしていたとします。その最中、頭の中に……

  • 【思考】昨日、家族から言われた嫌なひと言(「何度言ったら分かるの? コップをここに出したままにしないで!」のような)や、そのシチュエーションが浮かんで来る。どちらも思考の雑念。

  • 【感情】不安、心配、怒り、哀しみ、喜びなど、感情が浮かんで来る。「家族から言われた嫌なひと言への怒り」のような理由がはっきりしている場合もあれば、「なんとなく不安」という理由のはっきりしない感情もある。どちらも感情の雑念。

  • 【感覚】背中が痛い、鼻が痒い、というような肉体的刺激が気になってくる。これは感覚の雑念。


 となります。
 だからもし友達から「雑念ってなに?」と訊かれた、答えはこうなります。

「何かに集中してるときに、頭や心に浮かんで来る無関係のものだよ。大きく三種類あって、考え(思考)と、感情と、体の感覚に分けられるんだ」

「なるほどね」

「詳しくは柴崎竜人の記事を読んでみて」

 最後の一行まで伝えられたら完璧です。


「晴れた午後の公園で読書をする」イメージで

 雑念はよく、空の雲に喩えられます。前回の記事でもそのように紹介しましたね。

 空の雲は一見、写真のようにそこに静止しているように見えます。しかし実際は、毎秒、毎瞬、ほんとうにわずかですがその姿を変えています。どれだけ風がない日であっても、上空の雲は常に姿を変えながら移動しているのです。

「去年の三月からずっとあの位置で引っかかっている雲」なんていうものは存在しません。

 いまこの瞬間も、雲は姿を変え、形を変え、大きさを変えながら、移動し、薄くなり、濃くなり、くっついて、千切れて、そしていつしか空から消えていくのです。

 雑念も同じです。常に、毎瞬、姿を変えています。

「家族に言われた嫌なひと言」が頭に浮かんできたとしても、いつしか最近見たドラマに出演していた俳優のことを考えていたりします。考えの姿は絶えず変わります。

 どれだけ強い怒りであっても、たとえば「去年の3月からまったく姿を変えずに完全固定化された怒り」などというものは存在しません。濃淡を繰り返し、大きくなったり小さくなったりを繰り返しながら、感情も毎瞬変化していきます。

 瞑想中に鼻の頭に痒みを感じても、注意深くその痒みを観察すると、実は痒みも毎瞬変化していることに気がつきます。痒みの強さ、範囲、あるいはチクチクやピリピリといった刺激の形は絶えず変化しています。これは痛みであっても他の感覚であっても同じです。

 そのような意味で「集中瞑想」は晴れた日の公園で読書をすることに似ています。

 ぽかぽかと心地よい陽気のなか、緑の溢れた公園のお気に入りのベンチに座って本を読むわけです。

 最初は本に集中していたけれど、そのうち空に雲が出てきたことに気づきます。

 それでも本を読み続けます。

 しかし、ふと雲に気が取られてぼーっと雲を眺めている自分に気づきます。そのことに気づいたら、「あ、でもいまは本を読んでいたんだ」と心に書きとめて、また読書へと戻って行きます。

 この過程は瞑想そのものです。
 アンカーが本ではなく呼吸に置かれ、空に雲が浮かぶのではなく、頭に雑念が浮かぶというわけです。

 そして雑念の力が大きい場合にはその雑念に知らぬうちに引き込まれ、飲み込まれ、我を忘れてしまうこともあります。
 これは雨雲に近づいて、飲み込まれ、我を忘れてしまうという前回の記事にも繋がるわけです。

 ここまでをイメージできた上で、

  1. アンカーを観察する。

  2. 雑念が浮かんで来る。

  3. 雑念に気が取られたことに気づいて、受け入れる。

  4. 雑念を手放して、またアンカーに注意を戻す。

 という集中瞑想のプロセスをふり返ると、より理解も深まるかと思います。

 ひとまず今回は、「雑念には大きく3種類があり、それらはまるで青空に浮かぶ雲のような性質がある」ことを憶えておきましょう。それだけで雑念と上手く付き合えるようになっていくでしょう。

 


 それでは次回は集中瞑想の最重要ステップとも言える③のプロセスについて、説明していきたいと思います。


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