溢れる愛を、求めている。
ファミレスで勉強をしていて見かけた母娘。
その姿を見て想いを綴ったものです。
私の個人的な感想であり、想像であるため、
フィクションとしてお楽しみください。
やめて。
そんな目で私を見ないで。
私の声を聞かないで。
声を荒らげる母の後ろから
悲痛な叫びが聞こえた気がした。
感情的になってしまう自分と
自由奔放な我が子の間で
どこに身を寄せればいいのか分からない。
まるで路地裏に迷い込んだ猫のように。
そして、一瞬で笑い、
一瞬で舌打ちする母に対して
わざとわがままを言って
明るく振る舞っているように見える子。
いや、もしかすると彼女の心は
本当に全く傷ついていなくて
これが日常であるが故に
"恐れる"という感情を
忘れてしまったのかもしれない。
あるいは。
その対角線上で、
その姿を見つめる私はどうだ。
言葉の矛先が、その舌打ちが、
例え私に向けられたものでなくとも。
手を伸ばしたって射程圏内に入らないくらい、
遠くで起こっている出来事でも。
まるで、自分ごとのように受け取っている。
まるで、自分が怒られているみたいに。
私は声を荒らげる彼女を"恐れて"いる。
ひとたび、声を荒げられると
両脚の付け根あたりがこわばり、
胸に何かがつかえたような
息苦しさを覚える。
これが"恐れる"ということか。
すーはーと深呼吸をすれば、
一時的に胸のつかえは
どこかへ流れていく。
ただ、完全にはなくならない。
胸のつかえは血液に溶けだし、
やがて身体を巡っていく。
それはいつかまた、胸のつかえとなる。
娘がしきりに母に「ママ、好き」
と声を大にするのは。
何度も繰り返すのは。
溢れる愛を、伝えている。
溢れる愛を、求めている。