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書き続けることの意味。
わりと毎回、ぎりぎりなのである。
今年でもう8年だ。ぼくはここの note を、週日更新している。週日とはウィークデー、すなわち土日祝日以外の「平日」という意味だ。そしてきょうは金曜日。明日と明後日は書かなくていい。これだけ長く続けておきながらも、金曜日にはいつも思う。「明日は書かなくていいんだ」と。
よほどの事情がないかぎり、10年は続けてみようと思っている。そしてよほどの事情がないかぎり、
仕事を辞めて夢を追いたいと言われたときの話 自分で正解にするしかない
仕事を辞めて「選手生活をしたい」類の話はここまで何度も聞いてきたし、特段珍しい話ではないのですが、他業種でその業界を代表するような商品や人材を育てている仕事人から出た言葉だったりすると「おいおい。落ち着けよ。」となります。そんな相談が僕の目の前に転がってきました。
彼女とは10年以上の関わりです。彼女の努力と能力に偶然が重なって、以前の僕のアドバイスが転機になっていました。それも一度だけではなく
自分の選択を正解にしていく話と共感が大事な話
近況報告を兼ねて友人とご飯を食べていたら、友人の彼氏がアメリカのナッシュビルに住んでいる話になって、今から12年前の2010年にナッシュビルでギルバートメレンデスに負けたことを思い出しました。
12年経った今、もう一度ナッシュビルに行ったら何かを感じるだろうし、そこから生まれる何かがあると思って友人に「行こう」と誘ったら友人の返事は前向きだったのに、言い出した僕が行く気になっていません。なぜなら
『言語化』と『言葉化』の違いとは——。人生を変えた唯一の本
言語化。よくスポーツ業界でも聞かれるようになった言葉である。それを聞くたびに何かしらの違和感を感じていたので、今回は「言語化とは何か?」というテーマで思考を進めていくことで、その違和感を取り除きたい。
言語化の言語化である。壮大な殴り書き(になる予定)。
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なにかの「言葉(ワード)」が独り歩きして、本来の意味よりもいくらか浅く、安く、薄い姿になってしまうことは、人間界ではよく起こること
英語とスペイン語を同時に習得した学習法|自分を描写する学習法
最近、ある雑誌の連載が決まって、自分の「学習法」と向き合わなければならない機会がありました。僕は特別学歴が良いわけでもないので、何を偉そうに、と自分でも思うのですが、確かに何かを「学習」することは好きです。中学を卒業するまで勉強をした経験がほとんどなく、成績表も5段階評価の1と2ばかりでした。高校生になって、赤点をとると部活が出来なくなるからという理由で初めて勉強というものを覚え、なんだそこそこや
もっとみる試合後の賢者モードと日々の積み上げの始まり。
試合を終えての高揚感も帰国のタイミングで激減して賢者モードに突入。
試合は上手く行きすぎて、こういうときこそ日々の生活を気を引き締めてかねばいかんなと思っております。勝利はどんなに気を引き締めても気の緩みや慢心を作り出します。その慢心を無くすには孤独に追い詰めるのが一番です。ただ孤独は孤独で自身を蝕むものだから塩梅が大事になってきます。
日々の積み上げがどれほど大事なのかは実体験としてあるので
強さとは内面的なもの。選択や組み立てができることを大事にしている話。
試合が決まって気が張っているのですが、疲労感が抜けずに練習したら、見事に肘を打ち込まれました。盛大に格闘家らしいカットをしまして、友人の経営する病院で縫合してもらいました。友人が医者だと助かりますし、こんなときに彼は医者だったんだと気がつくので定期的に怪我をしたり、メディカルチェックがある格闘技選手をしていると友人関係を良好に保てる気がします。
ちなみに相手と技は3月名古屋大会でRIZINデビュ
サウナ徹底攻略 青木真也のサウナの入り方
試合用の練習が始まりました。
試合用の練習の疲れを癒す意味合いよりもメンタルを正常に保つために週に半分以上はサウナに行きます。今週1週間の練習を終えた今。金曜日の夜も近所のサウナにおります。サウナの脱衣場でサウナの記事でも書こうとiPadで書き始めました。
何故サウナに魅了されるのか。どうすれば俗にいう『整い』を得れるのか。
最近はすっかりサウナブームです。
全国の有名店はどこに行っても混雑し
状況を把握する力を学びで得ようとする話。
1月のジェームスナカシマ戦で右フックが当たる。
自分でも当たると思って打っていないし、当然だけど効いたとも思っていません。もちろん打った本人が驚いていました。
後で映像を見直すと当たっていて効いているのが分かるのですが、試合中はわかりません。セコンドの宇野さんが「効いた!」と言ってくれているのですが、「そんなわけないじゃん」と思っていました。
試合中に「状況を正確に把握できる」のが戦局を優位
格闘技はPDCAが回し難い話。
4月29日の試合から1か月が経ちました。
1か月の間も変わらずに活動していました。試合後だからと変わることない日常を過ごしています。練習量を多くするよりもコンスタントにやり続けるほうが成果を得やすいのではないかとこれまでの競技生活を通じて感じています。失意泰然 得意淡然であります。
試合から1か月。九州へのプロレス遠征からの帰京しました。
当初のスケジュールでは29日に四国中央市で「チャクリキ」
土曜日の朝の技術練習と自分自身が監督になれって話。
土曜日の朝に選手用に技術練習をしている。自分の練習ではなく教える側として練習を仕切っているのだ。選手を教える時間は1週間でこの時間だけだ。
最初は1時間で始まった練習。今は量が膨らんで1時間半になっている。技術練習なので、スパーリングも無ければトレーニングもない。基礎技術の反復と疑問に答えるのに終始している。もう少し量を減らしてコンパクトに収めたいところではあるが、あれもこれもになってしまうのは
格闘技選手の自己責任論。自己責任で生きていくのが選手生活ではスムーズな事実。
僕は自己責任論が強いと自覚しています。
弱いお前が悪いし、勝てないお前が悪い。強くなりたければ勝ちたければ練習すればいいし、自分の手駒の中で登っていく策を練ればいいです。それをしないお前は悪いし、登っていく中でときにズルも不義理(自分では筋を通したつもりでも、不義理と言われることは多々ある)もしなければいけない時があるだろうが、後ろ指を刺される覚悟で登っていくのが芸事です。
世の中は不平等が大前