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状況を把握する力を学びで得ようとする話。

1月のジェームスナカシマ戦で右フックが当たる。

自分でも当たると思って打っていないし、当然だけど効いたとも思っていません。もちろん打った本人が驚いていました。

後で映像を見直すと当たっていて効いているのが分かるのですが、試合中はわかりません。セコンドの宇野さんが「効いた!」と言ってくれているのですが、「そんなわけないじゃん」と思っていました。

試合中に「状況を正確に把握できる」のが戦局を優位に進める上で重要になってくるのですが、僕の打撃に関しては当たってもダメージを正確に把握出来ていないので、行く行かないの判断が正確に出来ずにいると思います。

状況を正確に把握する能力は勝負所への嗅覚にも繋がるので打撃でも組み技でも大事にしていきたい部分です。嗅覚がいいと言葉にすると先天的な力なようにも感じるのですが、学びや訓練である程度は補えるものではないかと僕は考えています。

もちろん先天的な要素があるのは否定はできないですが、全てを先天的なものだとすると格闘技の存在する意味がないし、格闘技者としての腕のなさを感じて如何なものかと思ってしまうのです。似た例で言えば、格闘技でよく使われる「当て感」も僕は嫌いで使わないように心掛けています。どうしても無責任な気がしてしまいます。

試合後のインタビューで右フックに関しては「ラッキーだった」とコメントを残しているのですが、ラッキーだったと表すのは「再現性がない」からであって、それは理屈が自分の中に備わっていないからだと思います。理屈がないのでもう一度やることが難しく、まぐれで偶然だったとなります。

試合後からこのままではいかんなと感じていました。ただそれはまだ伸び代があることだし、学びである程度は解決することではあるので、どのような状態で打撃が効くのかを自分で考え、ときには人に聞いて考えていました。

MMAは他の打撃競技と違い組み技があります。その中での打撃なので間も立ち方も変わってくるので、当然打ち方も変わってきます。そもそもグローブが違います。その中で自分なりに考えて試行錯誤はしているのですが、新たな学びが欲しいと感じていました。

学びは救いの面があって、知識を得ることで自分のやり方を肯定できて、救われることは格闘技以外にもたくさんありました。学ぶことは救いです。

その中で雑誌の企画で剛毅會空手の岩崎さんとお話させてもらって、この理屈は面白いし、間違ったことは言っていないなと思って対談企画の後も連絡させてもらって、アドバイスを頂いていました。

技術のアドバイスを貰おうと練習を見てもらったところが記事になるようでその前段階の記事が早速出ていました。僕はただ習いたかっただけで記事化することが目的ではなかったのですが、岩崎さんと繋げてくれた記者さんが記事化したいとのことで断る理由もないのでお願いすることにしました。それはそれでお楽しみにです。

試合が終わってからも変わらず練習しています。

ただ試合がすぐにあるわけではないので技を練る練習になっていて、新しい技術や考え方を取り入れてみたり、組み合わせを変えてみたりと試行錯誤しています。

格闘技者としてこの時間が一番楽しくもあり、次なる試合に向けて大事な時間です。ああそうだ。次の試合だ。ゴードンライアン戦が彼の引退発表でなし崩しになっているのです。まあ思うことはあるので書きますね。

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