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前髪の代償として得たもの

 つい最近、AGAクリニックに行きました。前髪がなんとなく後退している気がしていたからです。周囲の人からは、「まだ若いんだから気にする必要ないよ」と言われていましたが、やはり不安だったのです。私はまだ21歳ですが、AGAは早い人だと高校生くらいから進行すると言われています。クリニックでカウンセリングを受けて、お医者さんから「な~んだ。まだ大丈夫だよ。」と言ってもらえれば、そんな不安も解消されると考えていました。ただし結果は、思いもよらぬ展開となります。クリニックを訪れたことで、私の不安は解消されるどころか、むしろ、どうしようもなく増大することとなったのです。

 やってきたのは、新宿にある某AGAクリニック。古びた雑居ビルの6階にクリニックを構えていました。まずは問診票を書き、AGAが進行するメカニズムについて分かりやすく教えてもらいました。次に、スコープを使って、自分の頭皮環境を確認することになりました。悲劇が始まるのはそこからです。
 
 後頭部付近にスコープを当てると、毛穴から太い毛が何本も生えているのを確認することができました。ところが、頭頂部、前頭部にいくにしたがって、毛の本数がどんどん少なくなり、一本一本の毛も弱弱しい細い毛になっていました。それをみたら医師は、すぐさま「これはまずいな…」という表情に変わりました。その顔を見て、私はとても不安になりました。そのまま、治療に向けた費用の話に移りました。事実を受け入れることすら追い付かない私に、医師はどんどんと薬の説明をはじめていきます。さらには、注射治療をした方がいいという話にもなって、数十万円もするプランを進められました。「さすがにそこまでは払えません」と言うと、「医療ローンを組めば大丈夫だよ」という話をされました。まだ働き始めてもいないのにローン…?さすがにハードル高いな…。そう考えた私は、「薬の治療ならいくらになりますか」と尋ねました。けれど、その医師は、「いや、今の状態だと注射の方がいいよ。今ならモニタ―価格で14万円で受けれるから」とごり押ししてきます。少し考えさせてくださいと伝えると、「モニター価格は今日しか提供できないからね」と脅してきました。

 正直、その時点で私は泣きそうになっていました。髪のことも、お金のことも、どうしたらいいんだ…。ただでさえお金に苦労しているのに、このままだと「若さ」まで失ってしまう…。目の前が一気に真っ暗になった気がしました。こんなこと言うのは不謹慎だと分かっているけれど、その時の気持ちを正直に打ち明けると「死にたい」、そう思いました。既に禿げている人からすれば、ふざけるなって思うことかもしれません。しかし、21歳の私にとって「ハゲる」というのは、それだけ恐ろしいことだったのです。余分な脂肪は、運動で何とかなります。足りない知識は、勉強と経験で補えます。しかしながら、一度失った髪は、そう簡単に元に戻すことはできません。

 私は今まで「恋愛なんてくだらない、結婚なんてしなくても生きていける」と考えていました。したらしたで楽しいのだけれど、そんなものなくても人生は謳歌できるだろう。そんな心持ちでした。家族なんて作らずに、一人でお金をため、悠々自適な生活を送ろう。そんな風に考えていました。

 けれども、それは大きな間違いでした。愛する人が、愛してくれる人がいなければ、人は簡単に「死にたい」と思ってしまう。「未来なんてどうでもいい」って簡単に人生を投げ出してしまう。ハゲはじめていると分かっただけで、生きることを諦めようとしてしまう。私が「ハゲ」という事実にそれほどショックを受けた原因は、恋愛や結婚に対する欲望を捨てきれていなかったことに起因するかと思います。自分では認めたくないですが。心のどこかで、「まだモテるチャンスがあるはずだ」と考えていたのでしょう。

 「彼女が欲しい」と嘆く男友達のことを、私は、なんてださくてカッコ悪い連中なののだろうと思っていました。しかしながら、強がって自分の心に蓋をし続けたまま何の行動もしていない自分のほうが、よっぽど惨めだったのかもしれません。とりあえずAGAの進行は、月2000円の内服薬で予防するとしましょう。けれど、私に残された時間はもうきっと長くはありません。「孤独」というのは、私が想像していたよりもずっと重くて苦しいものでした。

  私が前髪の代償として得たもの。それは、愛という名の幸福に対する、何よりも強い衝動と欲望だったのです。


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