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#2-X MSCHF持ちのおばあちゃん
──2024年7月15日、石川県金沢市の喫茶店「斉五」にて。MSCHFのGlobal Supply Chain Telephone Handbagを持ったおばちゃん。
On July 15, 2024, at the café "Saigo" in Kanazawa City, Ishikawa Prefecture. An old lady carrying the MSCHF Global
#2-24 托鉢の人
──2024年3月17日の日曜日、東京は上野。春が近寄る陽気な日差しと花粉のコンビネーションが、街を黄金色に染めあげる──。
この日私は、ちょうど1週間前に買ったK-WAYとPLAY Comme des Garçonsの黄金色のナイロンジャケットを着て家を出た。もうここ何年もの間、黒やグレーのシンプルな洋服しか着ていなかった私にとって、幾分派手なこの黄金色のナイロンジャケットは、学生の時に派
#2-23 葡萄が大好きな人
──2024年2月12日月曜日、振替休日。珍しく朝の9時に起床した。いつも休みの日は12時過ぎに起きて後悔することの連続なので、今日は朝からきよきよしい。30分ほどで身支度をして何の当てもなくカメラと予備の乾電池を持って外にでた。
──徒然なるままに歩いていると、いつのまにか隣駅の桜台についていた。駅前にはほんの数軒のお店がある程度の小規模な駅であるが、その一角に「ラーメン二郎」が軒を連ねて
#2-22 遺愛の人
──17XX年X月X日、江戸は赤羽根。辺りには無数の朱鷺の屍。肩まで積もった朱羽に染まる赤土。金がねえ、仕方ねえと江戸っ子が漏らす予々。辛えカレーと文明開化。赤羽根から赤羽へ、明治4年の維新前進──
──2024年1月30日、時は令和。いくつもの写真の屍を越えてたどり着いた先は、──そう赤羽。
真っ青なモンベルのダウンジャケットと赤羽の赤土のコントラストは、まるで奥山由之の撮る写真のようだ。
#2-21 ウォーキング帰りの人
──2024年1月28日、日曜日。朝の8時に目が覚めた。二度寝しようと思ったがどうして、普段よりも瞼は軽かった。8億年ぶりの早起きに嬉しくなり、朝シャンした後、マルジェラのドライバーズニットとモンベルのパーマフロストライトダウンジャケットに着替え、颯爽と家を出た。練馬駅前のマクナルでソーセージエッグマフィン&アイコーをキメ、またまた颯爽と店を出た。今日の最高気温は9度。朝の冷気が心地をきもちくし
もっとみる#2-19 ラー大の人
──2023年10月16日月曜日。天気は快晴。冴え渡る大空を見渡せる大島の街はビルが低い。特に緑に溢れているわけではないけれど落ち着く場所だ。いくら新宿中央公園が緑に溢れていたって心が落ち着かないのは、ビルが高いから。だからチルでリラックスをフィールしたい時はよく江東ワードに来る。練馬ワード(住)からは電車を乗り継いで1時間かかる。
──この日は江東ワードの中でも、まだ行っていない場所に行く
#2-18 伊藤さん
──2019年11月のある日、私は新宿の西口にいた。仕事終わりの人々でごった返す中、小田急線地上改札口を出てすぐの目立つ場所にその人はいた。小銭がたくさん入った赤色のお椀、ヒヨコの人形、文庫本などを目の前に並べ、地べたに胡座をかいている。
──この日初めて伊藤さんと出会ってから、かれこれもう4年になる。私がまだ前の会社に勤め、神奈川の相武台に住んでいた頃。新宿は相武台から小田急線で一本で行く
#2-17 赤ピステの人(自主)
──2023年5月1日月曜日。
練馬から新宿、新宿から総武線に乗り換えてガタンゴトン、とかれこれ1時間、私は錦糸町にいた──。「錦」は「金」で、総武線、南口のヨドバシカメラ、北口のドンキホーテの「黄」。黄金の町、錦糸町──。
錦糸町にきた時は必ず立ち寄る場所がある。南口の大道路を渡ったところにある「WINS」だ。いつ行っても紙とペンを持ち、競馬中継を食い入るように眺めるおじいちゃんたちで溢れて
#2-15 太ズボンの人
──2023年8月15日、朝8時。窓から差し込む燦々とした陽の光で目が醒めた。予報では台風7号が本州に上陸し、私が住む街東京も朝から雨のはずであった。しかし、雲は見えるものの、雲間からの太陽で街は照らされてている。前日の夜から、明日は外に出られないなと身構えていた私は肩透かしを食らった気分だった。東京の天気予報はよく外れる。
この日は1日家に籠るつもりだったが、せっかく晴れているのでカメラを持
#2-13 白髪ロン毛の人
──2023年4月16日。この頃写真を撮るのが億劫になっていた。写真を撮ると決意してから3年間、おじいちゃんとプラスチックとずっと同じものを撮ってきた。いわゆるマンネリというやつかもしれない。じゃあ他の写真を撮ればどうなんだと考えて外に出てみても、やはり同じようなものに惹かれて最終的には同じモチーフに辿り着いてしまう──
写真を撮らない間、写真集でも買ってみることにした。僕は基本的に日本の写真
#2-12 東長崎の八百屋の人
──2023年2月11日、晴れた日。絶好の写真日和だ。しかしベッドの上で目が覚めたのは昼の12時。昨日夜遅くまで飲んでいたのが響いてしまった。痛恨の寝坊に焦りを感じつつ、シャワーと身支度をして家をでたのは13時。冬の夜長で既に日は少し傾きかけている。
小岩…蒲田…阿佐ヶ谷…、本日の撮影スポットの作戦を頭の中で練る。脳みそのスパコンをフル回転させ様々なスポットへの所要時間、各々の場所の日当たり、
#2-11 釣り道楽の人
──2023年1月4日、年始の巣鴨。年始と4のつく縁日のダブルコンボで地蔵通商店街はとびぬけて賑わっていた。お好み焼き、玉こんにゃく、豚バラの串焼き、焼きソバ、鮎の塩焼き、五平餅、唐揚げ。通りは露天から溢れるおいしそうな匂いで充満している。玉こんにゃくや五平餅なんかは花火大会の露天では見られないようなチョイスだ。流石は高齢者の街「巣鴨」、縁日の露天も年配の方向けのマーケティングが行われている。
#2-10 只者ではなさそうな人
──2022年3月15日、この日は昼過ぎから浅草にいた。この時期は浅草にハマっていたので、休みの日は浅草に写真を撮りに行くのがルーティンワークになっていた。都営浅草線に揺られること30分、3月も半ばの浅草寺は春の訪れを感じる日差しと、冬と春の間の匂いで充満していた。いつのことか、ある記事で鬼海弘雄が昔の方が浅草はカオスな空気が溢れていて、それに比べて今は面白くなくなったという風なことを言っていた
もっとみる#2-9 カスタムする人
──2022年11月2日、この日はとあるファッションブランドの撮影のため6日間の休みを取っていた。ぶっちゃけ撮影自体は2日有れば大丈夫だが、冬の鋭い光が差す晴れの日に撮りたかったので天候の予備日も考慮しての6日間だ。
有難いことにこの日は快晴。最高気温も22°といい撮影日和だ。正午、ぼくは池袋にいた。ほんとはもっと早くから撮影したかったが寝坊してしまった。ファッションブランドの撮影ではおじいち
#2-7 中野区シルバー人材センターの人
──2022年5月5日、その日はゴールデンウィーク最終日。私は中野にいた。初夏の訪れを感じる強い日差しだった。どこからだろう、長いこと歩いてきた気がする。かれこれ1時間は歩いた。方角も決めずぶらぶら歩いているとここ中野にたどり着いたのだ。
初めての土地に若干の興奮は覚えたものの、暑さと疲労が限界だった。早く建物に入って涼みたい。とにかく中野ブロードウェイという建物とアーケードの商店街があること