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哲学

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西田哲学と宗教4
・日々変化する意識は同一の統一をもつため、同一の精神と見ることができる
・それを自己と自己の根底である神との関係に広げていけば、一人ひとりの精神と神は同一体であるといえる
・私たちは独立した個人である一方で、他の個人でもあり人類でもあって、また自然や宇宙でもある

西田哲学と宗教3
・世界は分化・発展を繰り返し、統一状態に至ろうとする能動性をもつ
・有神論→神の人格性を肯定し、その超越性を主張
・汎神論→一切万有は神であり、神は自然であるとし、神の内在性と非人格性を主張
・西田は有神論に対しては批判的に、汎神論に対しては肯定的に述べている

西田哲学と宗教2
・自然現象の内には一種の統一力が支配していて、精神現象の内にも働いている
・この2つの統一力は互いに密接に関連している
・両者の根底にはさらに大きい統一力が存在→この根源的な統一力が神
・神とは精神と自然の根底にある統一力で、実在の根底・純粋経験の体系の統一者

西田哲学と宗教1
・宗教的要求→意識の本来あるべき統一状態に帰ろうとする意志
・一人ひとりは神の一表現であると同時に、神の発展の担い手として存在
→神もまた人間の経験を吸収し、それを通して自らの経験知を上げている
・無私に近づけば近づくほど、深くものを知り、かつ愛することができる

純粋経験(8)
純粋経験に至ることで人格の実現がなされる
→純粋経験そのものが善
・善の実現には知性・感情・意志の一体化が必要
・西田哲学の背景には禅の影響がある
→禅の教義「色即是空、空即是色」と似通っている
※空(くう)→あらゆるものは因縁によって生まれ、実体がなく空しいこと

純粋経験(7)
・分裂した主観や客観も純粋経験の一部
→精神と物質は純粋経験から派生
・純粋経験は言語を媒介に認識できず、顕在意識に上らない
・「私」によって経験されるものでもなく、「私」の外にあるものでもない
→純粋経験とは「私」を含み、「私」がその一部として存在している体系

西田幾多郎の純粋経験(6)
・純粋経験の統一作用の原動力は本人の意志にある
・一人ひとりの精神は、奥底では人と分離しない統一状態を求めている
・人にはこの統合への過程として、直観が与えられている
・純粋経験は主観と客観の二元論ではない無分別智という、意識の究極的な状態も指している

西田幾多郎の純粋経験(5)
・純粋経験の体系は自ら発展する力を具えている
・判断や意味が生じていないが、意志による統一作用が働いている間は純粋経験を保っている
・それはありふれた無意識的な状態も指し、必死に断岸を登る時、音楽家が熟練した曲を奏する時のような没入状態も含まれる

西田幾多郎の純粋経験(4)
・自分が感じたままの意識状態をそのまま経験した時はまだ主観も客観もない
・知識とその対象はまだ未分化で合一している
・表裏一体である主観と客観の統一が経験の最も素な状態
・過去の思い出から現れたイメージも直接的な現在の意識だから、純粋経験に含まれる

西田幾多郎の純粋経験(3)
・色を見たり、音を聞く瞬間にはただ色が見え、音が聞こえる事実だけが存在している
・まだこれが外界の作用であると主観的に考えていない
・知覚しているのは自分だとも考えず、何色だとかも判断しない
・与えられた経験に理性的思考を加える前の状態を純粋経験という

西田幾多郎の純粋経験(2)
・ただ、赤子の未意識的な統一状態もあれば、芸術・宗教的直観のような超意識的な統一状態もある
・人は大なり小なり、経験そのものを素直に受け止めず、自分の思想を交えて起きた事実のあり方を歪めている
・そこで西田は素の経験を純粋経験と呼んで解明しようとした

西田幾多郎の純粋経験(1)
・純粋経験とは普通の経験と違い、自分の分析や解釈の加わっていない原初的な経験で、まだ主観と客観に分かれていない意識の統一的状態を指す
・事実を事実としてそのまま受け取ることであり、事実を自分の都合で意味づけしようとしないでありのままに知る経験といえる

前提知識なしで読める哲学の入門書
・池田晶子『14歳からの哲学』→自分で考えることの大切さを学べる
・中島義道『哲学の教科書』→問題意識のある人にとっては考え方の幅が広がる
・プラトン『パイドン』→死生観を深めるきっかけになる
・パスカル『パンセ』→理性の限界、信仰の必要性を説く