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水だけあったらよかった夏
夕方、涼しくなる頃合いを見計らって出かけた。蒸し暑いけど。手を繋いで。
コンビニに入るとむしろ寒くて、水だけ買ってすぐ帰った。それでよかった日々があったじゃないか。
それどころか水さえなくて、あてもなく歩いたとき、会話もなくて、それでもよかったけどな。乾燥した会話より、蒸すような沈黙がいい。
ふと、夏の夜の直前を思い出す。
また会いたい人・会いたくない人
どれだけ世界に疫病が蔓延ろうと。
会いたい人には会いたいし、どうでもいい人には会いたくないものだ。
むしろ会わない絶好の言い訳ができて幸運とさえ思うこともある。
そして反対に、
会いたいけど会う勇気がない、そんな自分への言い訳としても絶好なのであった。
週末を望んできた
こんなふうに、いろんな言い訳につかえる週末が来ればいいなってずっと思ってたっけ。
自分だけ不幸なんて、つらいじゃない。みんなで一緒にがいいよなぁって。
命を守りましょう、なんて言われても
守る価値なんてないよって思うよ。そんなに大切じゃない。自分も、他人も。
なんて言っても、当たり前にまた夏がくる。水色の夏が色を失っていく。
なんか純文学のような一日。
素敵な人たちが沢山登場。そこで起こる出来事、会話。なにかありそうで、何もないような。何もないようで、なにかありそうな。
突然知らないオジサンが飲み代奢ってくれた時は、アオハル的な何かを感じた。多分違うけど。あと、純文学なんて読んだことないけど。
辛いこと、悲しいこと、嫌なことがあってさ、
メモ帳にそれ一言だけでもキモチ書いてさ、
(ふぅ、書けた)って、
【今日出来たこと】になるの、
いいね。
今日もおつかれさま。
きもちよくいたくて
ここにずっといていいんだ、と思える場所は、これからもずっと見つからないのだろう。
「居場所」とか言ってるけど結局のところは、
自分をいちばんに扱ってほしい
大切にしてほしい
赤ちゃんかよ。
嫉妬深い僕を、
小さな自己を、
どうか見捨てないでください。
とけるようにやわいこのうつわが、いつまでもこの形でありますように。
見慣れた景色が続くと、無性に不安になる
理想の自分や、理想の状態をイメージして、現状とのギャップを埋めるために努力して、成長していく。
勉強でもスポーツでも生活でも、だれでも無意識にやったことがあるはずだと思うけど、
それは際限なく、ギャップが埋まれば次のギャップがまた現れる。
常に、欠乏感。成長していない停滞感に追いかけられることになる。
今しか書けない文章、
今しか描けない絵、
今しか感じられないキモチがあるなら、
成長なん