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教えるということ 先生って大変だ

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できなくてもやるしかなかったこと。子どものこと。こんな授業ができたらってことも。教育の現場から感じたことを思うままに書きます。
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#日記

世の中には均等は存在するが平等は存在しない

世の中には均等は存在するが平等は存在しない

教員の仕事って、今さらだが本当にわけのわからないものがある。たくさんある。それが、ギリギリ子どもに関わることかもなあって仕事ならまだしも、明らかにこれ何のためにやらされてんのって仕事がある。

そう。やらされている。こんな仕事自分からは絶対にしないなって仕事を。こないだもこんな仕事をやらされた。

カリキュラムマネジメントが大切だぞ。
だから未来の子どもたちにはこの5つの資質能力が必要だ。
教科横

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これで良いのだ いや良いはずない

これで良いのだ いや良いはずない

ついこないだの会議。議題は、単元題材等配列表に即した令和3年度グランドデザインへの構想、について。
一読しただけでは、まず最後まで読むことも難しい。グランドデザイン。今から何が始まるのか。

そもそも、教育現場で行われている現職教育(この地域ではこう呼ぶ)とは何を行うべき場であるのか。
授業力をどう向上させていくのか。まずは、それしかない。

確かに、理論は必要である。しかし、理論的なことをいくら

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けテぶれ なのだそうです 宿題編

けテぶれ なのだそうです 宿題編

聞いたことがあるでしょうか。この「けテぶれ」という言葉。

け……計画
テ……テスト
ぶ……分析
れ……練習

なのだそう。
これを教室で実践すると、子どもが自立した学習者に変わるのだそう。
なるほど。わかりやすい。書いてあることは最もだし、PDCAサイクルなんていわれて久しくなるが、それを想起させる部分も見えてくる。

この方法が全てではないと作者は書いているが、それもその通りだと思う。
人は慣

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学習資源とは 時間的な資源 精神的な資源 あなたの現場には資源はありますか?

学習資源とは 時間的な資源 精神的な資源 あなたの現場には資源はありますか?

こういう時代だからこそ学びが必要だとは思いますが、そのための学習資源を確保していくというのは、ある意味でリーダーの責任です。学ぶためには、時間的な資源と、本人の余裕という精神的な資源が要るのです。つまり時間と気持ちの余裕を生み出すための、仕事のダイエットが、実は必要なことではないかなと思います。そうしないと、学びというのは後回しにされてしまいます。

そしてそのとき、先生方の心理的なハードルを下げ

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新しい観点での評価 誰が評価されているのか

新しい観点での評価 誰が評価されているのか

今年度より評価の観点が大幅に見直された。

中学ではまだ始められていないこの観点も、いよいよ小中完全実施が見えてきた。この四月。完全実施である。まだ先まだ先と思っていた中学校教員たちも、高校受験のシステムが何も変わらないまま始まってしまうこの観点の複雑さを肌で感じる頃であろうか。

現場では、それに伴って現職の教員にこんな指導がされている。

 2学期の通知表作成状況より、以下の点で課題があると感

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ものに思う

ものに思う

自分で打って見失ってしまったボールを探さないのに驚いた。いや、別にそんなに大変なところに打ち込んでしまったわけじゃない。ちょっとした草の茂みに紛れてしまい、見つけられなかっただけだ。探さなかったわけじゃない。取りにいってそこになかった。ちょっと草をどけてみたけど見つからなかった。

どうするのかな。

あるまで探すものだと思っている私には、想像にもできなかったことだった。すぐにあきらめて、新しいボ

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温度差

温度差

いや、勉強はしたいと思っているのですよ。
でも、それじゃないんだよ。

職場では、執行された予算を使い切らなければならないのか、急ピッチで“勉強会”が予定され始めた。今まで、コロナのせいにしてやってこなかったものを急激にやり始めた結果、毎週のように学習会という名の押しつけられた自主勉強会がある。予算なんて、来年度に回せないのか。そんな議論は公的な機関では、もう誰もしない。できないのがわかっているか

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葛藤 成長 一緒に

昔、先輩の先生にいただいた言葉です。
今でも私の指針であり、支えでもあります。

子どもは葛藤によってしか成長しません。子どもの試行錯誤や失敗、苦痛にきちんと向き合い、葛藤させ、その姿を見守り、そして子どもたち自身も自分が成長できたと実感できる、そんな教え方ができる先生は希有の教育者です。
今日という日にすべてをかけ、きちんと実現できている、いつも自己一致できている先生だからできることです。

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メディアに食いものにされないと言う表現がしっくりきた

メディアに食いものにされないと言う表現がしっくりきた

落語が聞けなくなってしまったと言う記事を書いたことを話していたら、こんな感想をいただいた。単純にテレビで放送する必要が、お互いにないのではないかということ。なるほど。落語というものが寄席で育ち寄席の中で生き続けているからこそテレビというメディアを必要としていないのは、文化の継承という面においては喜ばしいことなんだ。
流行り廃りの激しいテレビというメディアに食いものにされないというのはとても大切であ

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いつでも会える人は いつまでも会えない ~「新教育」より~

いつでも会える人は いつまでも会えない ~「新教育」より~

私が尊敬する先生が、20年ほど前に書かれた文章。今、私は当時のその先生の年齢を上回っている。しかし、その理念は足下にも及ばない。

「抵抗としての教育」

 事物とは本来、いとおしさの涙を浮かべながら見るべきであろう。死んだら、もうこの世界には戻れないのだ――そう、「知る」と「死ぬ」は近
> い。われわれは死ぬことを知っているので、生の有限性を自覚することができる。絶望することができる。知るとは

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始めるのは恋と同じ勢いか

始めるのは恋と同じ勢いか

マキアヴェリの君主論を思い出した。
現実を現実として認識すること。そこに、何も美化する必要なく。

有名な書物であるが、言い得て妙なのは次のものではなかろうか。

始めは善意で始めたことが、全てよい結果になるとは限らないし、寧ろ逆が多い

このような真理をルネサンス期にすでに描いていたのは感服する。

今の学校はまさにこれ。
かっこつけて始めて、やめるにやめられなくなっている。始めるときの勢いは、

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人の道徳とは実体験に形取られていくのか 事実を受け止める心と想像力をもつこと おまけ

人の道徳とは実体験に形取られていくのか 事実を受け止める心と想像力をもつこと おまけ

その1、その2、その3と思いのままに書いてしまった。推敲もすることなく、ぶつけたままって感じに。

でも、本当に思う。道徳って何だろう。しかも、これを教えるってどういうことなんだろう。
善悪を教えるだけならば、学校という場で、毎週これを授業として教えるという必要は感じないもの。だめなものを「だめっ!」って教える必要はあるのはわかるが、これはしつけの範疇。道徳心に訴えかけて、自らだめだという結論を導

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人の道徳とは実体験に形取られていくのか 事実を受け止める心と想像力をもつこと その3

人の道徳とは実体験に形取られていくのか 事実を受け止める心と想像力をもつこと その3

その2で書かれた事実。いや、実態という方が適切か。

人の道徳心に期待するということは、決して間違った行為だとは思わない。むしろ、そこに期待する方が人間らしいとさえ思っている。
しかし、教育現場ではどうだろうか。

子どもは、未熟であるが故に子どもである。したがって、道徳心もやっぱり未熟だ。そこに、恐怖心を植え付けてしまってはいつかの日本になってしまう。洗脳するようなことがあっては決してならない。

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人の道徳とは実体験に形取られていくのか 事実を受け止める心と想像力をもつこと その2

人の道徳とは実体験に形取られていくのか 事実を受け止める心と想像力をもつこと その2

実態とは報道されにくいもの。だから、庶民の私には想像するしかない。その1にも書いたが、市が講じた対策である『道徳教育の充実』が図られたその教育機関のその後はどうなったのかは、そこの生徒と教員しか知るよしはないのである。

『道徳教育の充実』とはどういう意味なのだろうか。道徳の授業の回数を増やすのか。いや、決められたカリキュラムがある以上、そんな勝手なことはできない。教員同士で道徳の授業を見せ合うの

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