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人の道徳とは実体験に形取られていくのか 事実を受け止める心と想像力をもつこと おまけ

その1その2その3と思いのままに書いてしまった。推敲もすることなく、ぶつけたままって感じに。

でも、本当に思う。道徳って何だろう。しかも、これを教えるってどういうことなんだろう。
善悪を教えるだけならば、学校という場で、毎週これを授業として教えるという必要は感じないもの。だめなものを「だめっ!」って教える必要はあるのはわかるが、これはしつけの範疇。道徳心に訴えかけて、自らだめだという結論を導き出させるのを待つというのも考え方の一つではあろうが、間違った考えを導き出してしまった人に対して、黙認するようなことがあっては、生徒指導は成立しないし。

うむむ。

私は漫画が大好きだ。
漫画からいろんなことを教えてもらった。だから、ふと思った。
毎週1時間、漫画を読ませよう。担任が信じた漫画を。

紙媒体の本を毎週用意したり本を毎週全員に配ったりするとなると大変だ。
けれど、いよいよ全国的に予定を前倒ししてタブレットが全児童生徒に配布されるんだから、本なんぞ配る必要はない。ランドセル重い問題も一気に解決だ。マンガも担任が自分のクラスのタブレットに配信すれば安易に読める。そういう活用の仕方じゃなかったら、どういう活用をしていくのだろうか疑問しかない。

情報を手軽に共有できるとか、手軽に発信できるという、本来の良さに目を向けて機器を活用していく。正しい使い方を教えるからこそ、正しくない使い方が正しくないと判断できる。
しかし、ケガを恐れて責任を転嫁するために、切れない包丁を渡して、短時間で料理を何品も作れるようになりなさいってのが根強い考え方として残っているのも事実。だから、市によってはYouTubeなどの動画も見られないように設定してしまっているところもある。

それは道徳心からしている規制なのかな?
学校の子どもと現場の教員を信用していないとしか思えないんだが。

道徳心とは……。

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