yurihosakurai

私の窓からみた世界。 書き残した気持ち達を、いつか本にしたい。

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マガジン

  • 生きること。

    日々を生きる中で、感じたこと 考えたことを書いていきます。挫折や葛藤、小さな成功体験、自分らしく生きるために自分と向き合い続けること、などなど。

  • ちょっと面白いトピック集。

    気になったトピックを、ちょっと掘り下げて書いてみるコーナー。

  • 書くこと。

    「書く」つまり頭の中でふわふわしている思考に言葉を与え輪郭を生み出す作業が、私はとても好きで、かつ重要だと思っています。ここでは「書く」をテーマに、いろんな方向から書いてみます。

  • 日記。

    日々のこと。

最近の記事

働き方を変えたい話。

久しぶりのnoteだなぁ。 facebookはオフィシャルな繋がりの方々を含め いろんな人と繋がり過ぎているし、 Instagramだと"ハレ"を切り取る感覚が強いから、 自分の中での落としどころが見つかっていない 悶々とした気持ちを綴りたくなった時に 私はnoteを開く。 とは言っても、誰かの目に止まる文章。 何か気付きがあることを書きたいとは思う。 最近また心身の調子が悪くて、 つらくはないけれど 気持ち的にちょっと苦い日々を過ごしている。 何かを変えなきゃなぁと

    • 「諦める」じゃなくて「受け入れる」。

      昨日「生と死をみつめる 〜それぞれが見た命〜」という 講演会に行ってきた。 自らもしくは大切な人の 生き死にに直面された 3人の講演者の方の体験談を聞き、 プチワークショップを挟みつつ、 私たち参加者に「どう生きる?」と 問いかけてくるイベント。 偶然みつけた時に、 これは絶対に行こうと思ったのだけれど、 その理由はおそらく、私自身が 「どう生きるか」をこの半年間 考え続けていたから。 昨年12月に体の不調が発覚し、 そこからすぐに治療を始めた。 幸い命に影

      • 秋と冬の振り返り

        数日前にすとんと気持ちが決まって、 だからこのタイミングで書いておきたかったこと。 4年と少し前にNEXTWEEKENDと 出会ってから、季節を味わったり 日々の中にわくわくすることを 仕込むようになったりと、 私の毎日はすごく楽しくなった。 それと同時に「週末野心」の考え方は 私の人生観に大きな影響を与えてくれて、 「日々の小さな選択も 時々やってくる大きな選択も 自分の意志で選ぶもの、 だから選択の積み重ねである人生も ちゃんと自分の手の中にあるんだ」 と思うよう

        • 「印象派、記憶への旅」

          箱根にあるポーラ美術館で行われている 企画展「印象派、記憶への旅」へ行ってきた。 昨年の夏にモネ展を見に行った際に "こんなにも光を美しく描く人がいるのか" と強く強く感動したのがきっかけで 絵画に興味を持ち始め、 最近では印象派の展示があると聞くと フットワーク軽く行くようにしている。 さて、今回の展示「印象派、記憶への旅」は 印象派〜新印象派〜ポスト印象派 〜キュビズムあたりが展示されていて、 その切り口が「印象派の絵画」と「記憶」の 関係性を考察するというもの。

        働き方を変えたい話。

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          8本
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        記事

          私の窓からみた春 夏 秋 冬

          春になると心のタンクが開いて、 滲んだ水彩画のように いろんな色がまざりあう。 選ばなかったこと 選びたかったけど 選ばれなかったこと。 いつもは気にならない そういう気持ちたちが この季節になると浮かび上がってきて、 懐かしさと もう戻れない悲しさと だけど「選びとってきたもので 作られている今が ちゃんと好き」という思いが、 滲んで、混ざって、 ちょっと苦しくて、 あたたかな雨に溶かしてしまいたくなる。 空を見上げると、夏だ。 青が濃くて、白が明るくて、 心が開く季節

          私の窓からみた春 夏 秋 冬

          人はなぜ表現するのか。

          京都国立近代美術館(MOMAK)の 2019コレクション展に 大好きなモネの絵があると知って 行ってきた。 コレクション展は5部構成で 第3部がモネの絵がある西洋絵画。 せっかくだから1部・2部も見つつ モネの絵を目指す。 今回みたモネの絵は、 「春、エプト川の柳」と 「積み藁、ジヴェルニー、朝の印象」。 まずとにかく色彩がとても好み。 色が柔らかくて、光があふれている。 こんなに光を美しく描く人を 私は他に知らない。(といつも思う) そしてね、風や空気の湿

          人はなぜ表現するのか。

          この春を覚えていたい

          3日前、待ち合わせまで45分あったから、 スタバに入って ショートサイズのアイスラテを頼んで 外が見えるカウンターに座った。 ラテはアイスが好きだし、 席は窓際が好きだ。 手帳を開き、ペンを出す。 ペンを手にとり、3月も後半なのに まだまっしろだった3月のページを書いていく。 本音がするする言葉になる。 「この春を覚えていたい」 するりと、ごく自然に、しかし明確に、 私の中からこの言葉が出てきた。 ひとたび書いたら、口に出したくなって、 口にした

          この春を覚えていたい

          「ちょうどいい」と「ぴったり」の差

          最近使い始めたiPhoneケースが かなり気に入っていて、 会う人会う人に、ついその良さを話してしまう。 (はあちゅうさんがおすすめされていて 気になって買ったajewというところのもの) ・小物を入れられるポーチ付き ・指をひっかけられるリング付き ・リングはフックにもなる ・縦でも横でも自立する 等々、とても便利だし デザインや色も素敵で本当に気に入っているんだ。すごいんだ。 会った人に思わずおすすめした時の相手の反応は もちろん人それぞれなのだけれど、 とある友達

          「ちょうどいい」と「ぴったり」の差

          夢という言葉が使えなくなった時期の話

          「私の夢はね」とか 「自由に夢をみられる社会にしたい」とか 「夢って本当に生きる原動力」とか、 口を開けば、夢 夢 夢 夢(!) というかんじだった私が、 突然 夢という言葉を使うことに 抵抗をもつようになって、 実はここ半年は こっそり使わないようにしていた。 数日前からまた 使えるようになったのだけれど そのとき初めて あ、私しばらく使えなかったんだな と気付いた。 はて。なんでだろう。 それまでずっと、 夢は人の純粋な気持ちで本当に美しいもの どんなときで

          夢という言葉が使えなくなった時期の話

          立ち止まる。

          近頃の私はどうやら 立ち止まる時期らしい。 今までしてきた選択や 習慣として繰り返してきたことを、 これってなんでだっけ 今もこうしたいんだっけ、って 自分の中で味わいなおしている。 人生には、たぶん、 突っ走る時期と立ち止まる時期がある。 突っ走っていた時には 見えなかった色んなことが、 立ち止まると途端に気になる。 (まぁ本当は、突っ走ってきた間に溜まった 無意識の違和感が「一回立ち止まって!」 ってサインを出した結果 立ち止まっているのだろうから、 "途端に"気

          立ち止まる。

          25歳最後の日に思うこと

          25歳は、いろんなことが変わった。 家族との関係性、恋愛の仕方、カラダとの向き合い方、職場と住む場所、自分という存在の捉え方。 意志で変えたものもあれば、変わらざるをえなかったこと、自然と変わっていたことも。 とにかく、1年前の私とは、全然違う。 すごく変わった。 そして変わってよかったなと感じている。 何かを変える時って大抵、「あぁこのままじゃ本当にダメなんだ」という痛みを伴う気付きが発端だから、その瞬間瞬間はとても痛い。でも、多くの場合、数年後に振り返ったときには「

          25歳最後の日に思うこと

          Green book

          公開前に予告を見て気になっていた映画「Green book」が、つい先日アカデミー作品賞を受賞したと聞いて、これは(!)と思い、観に行った。 結論から言うと、とてもよかった。 「良い映画」だ。 観ている間を通して、色んな考えが浮かび続けた。 尊厳や品格は大切で、それを貫く勇気が人を変えることもある。それと同時に、そんなに簡単に人は変われない。そして、変わらないという選択をしている人の多くは、自分には原因がなくて、自分には変わるという選択肢はなくて、「現状」がその土地や

          からだの話

          2018年度の秋と冬は、自分でももはや笑えるくらいに大変なことが続いた。そのなかでも特に大きかった、体の話を書いてみたい。 12月に病院を受診した。きちんと下調べをして予約までした、大きめの病院だ。やや緊張して問診票を書き、待合室のソファーに座る。周りをみると、平日なのに結構多くの人がいる。待合室には、リラックスできるようにか、LEDのキャンドルとブランケットが置いてある。 実は私は高校生の頃からずっと生理不順で、それも結構なレベルでの不順だった。なんだかおかしいな…とは

          からだの話

          底からみたもの

          仕事を終えて帰路につく。いつも使う地下の出入口は、21時を過ぎると閉まってしまうから、1階でエレベーターを降りて、外に出た。 守衛さんが「お疲れ様でした」と声をかけてくれる。みんなに同じことを言っているのだろうけれど、それでもやっぱり、言葉をかけてもらうと嬉しい。 そういえば最近、おはようと言いたくて言ったおはようとか、お疲れ様と思って言ったお疲れ様があまりないなとふと思う。誰かが来たから口にする、誰かが帰るから口にする、そういう気持ちののっていない挨拶ばかりだ。なんだか

          底からみたもの

          日常の延長を。

          文章を書いていると、どうも自分が丸裸にされているような感覚に陥る。好き好んで文章を書いているのだが、書けば書くほどなんだか恥ずかしくなってくるのだから妙なものだ。 自分の中から生まれる言葉は、私という人間を色濃く映し出している。気持ちも考えも、普段は口にしないでそっと胸の内に秘めていることを、言葉にして公の場に出すのだから、くすぐったいのは至極当たり前なのかもしれない。 昔から文章を書くことが好きで、小学生や中学生の頃は夏休みの宿題の読書感想文が楽しみだった。当時の私は、

          日常の延長を。

          春の雨

          雨が、心地よい日だ。 私の場合、気分にあわせて、時々そういう日がやってきて、そんな日にはどうにもこうにも、柔らかいものやあったかいものに触れたくなる。 今日も、あたたかくてふわふわしたミルクチャイをゆっくり飲んでいたら、ふいにやってくる「気持ちの蓋が開く」現象が起きて、普段は気付かない(忘れかけた)まま過ごしている感情が湧き上がってきて、今までの人生で選んできたものや手放してきたもののことなんかをぼーっと思い返していたら、あぁ、私、もうすぐ26歳になるんだな、と思った。