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底からみたもの

仕事を終えて帰路につく。いつも使う地下の出入口は、21時を過ぎると閉まってしまうから、1階でエレベーターを降りて、外に出た。 守衛さんが「お疲れ様でした」と声をかけてくれる。みんなに同じことを言っているのだろうけれど、それでもやっぱり、言葉をかけてもらうと嬉しい。

そういえば最近、おはようと言いたくて言ったおはようとか、お疲れ様と思って言ったお疲れ様があまりないなとふと思う。誰かが来たから口にする、誰かが帰るから口にする、そういう気持ちののっていない挨拶ばかりだ。なんだか虚しい。

形骸化という言葉が頭に浮かんだ。

悲しいかな、毎日会話をしていても、業務の話が大半で、人と人としての会話はほとんどない。それぞれが自分の業務でパツパツすぎて、周りに気を配る余裕なんてない。このたび私がやってきた世界は、どうやらそういう場所みたいだ。不謹慎だと言われるかもしれないが、ここ最近はつらすぎて、この世は生まれながらにして地獄なんだ、と思うようにしている。人生デフォルトつらいから、それを受け入れて淡々と生きていくしかないと。

もちろんロングスパンではあぁしたいなとかこうしようとか色々と考えてはいるし、今ここにいるのも自分の意志で選んでいることなのだけれど、つらい今を越えるための発想だ。

こうやって底にいるときは、ここから這い上がれる日が来るなんて、想像できないけれど、必ずそのうちやってくるんだよね(今までの経験から頭ではわかっている)。そして、調子がいいときに、こういう底にいたときに書いたヒリヒリした文章を読むと、意外とそこに気付きがあったり、心動かされたりするんだ。だから、3月5日の擦り減った私を、ここに残しておこうと思う。

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