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「諦める」じゃなくて「受け入れる」。

昨日「生と死をみつめる
〜それぞれが見た命〜」という
講演会に行ってきた。

自らもしくは大切な人の
生き死にに直面された
3人の講演者の方の体験談を聞き、
プチワークショップを挟みつつ、
私たち参加者に「どう生きる?」と
問いかけてくるイベント。

偶然みつけた時に、
これは絶対に行こうと思ったのだけれど、
その理由はおそらく、私自身が
「どう生きるか」をこの半年間
考え続けていたから。

昨年12月に体の不調が発覚し、
そこからすぐに治療を始めた。
幸い命に影響がある病気では全然なくて、
ただきちんと治療しないと未来にひびくもの。
私よりもっと大変な人は
たくさんいるとわかりながらも、
薬の副作用に悩まされたり、
気持ちの面でのショックと戦ったりと、
私にとっては結構タフな半年だった。

毎日の生活の中でずっとそのことばかりを
考えているわけではないけれど、
数週間に一回病院に行くたびに、
薄まっていた悲しみが急に濃くなって、
気持ちの傷口がまた開く。
でも、なかったことにはできないし、
逃げられるものでもないんだなと悟った頃、
苦しくてたまらないこの気持ちは、
生きたいという強い意志の
裏返しなんだなと思うようになった。
そして、じゃあどう生きる?と
自分に問いかけるようになった。

「頑張って背伸びできる部分は頑張って、
持てないものは諦めて、
持っているカードで人生は勝負する」

病気が発覚した時から
頭ではわかっているけれど、
"持てないものは諦めて"の部分に関しては
なかなか認められなくて、
少し時間がかかっていた。
認めるのが怖かったのかもしれないね。
だけど、自分自身を認められないのは
もっとずっと苦しいから、
私はこの半年間ずっとずっと
"持てないものは諦めて"に対して
気持ちの折り合いをつけたかったのだと思う。

そして、昨日。
それぞれが何かと戦い、
持っているカードで堂々と
勝負している方々とお会いして、
お話をうかがって。
彼ら彼女らは、「病気なのにすごい」とか
そういうのじゃなくて、一人一人が
人間としてとびきり魅力的で輝いていらした。

その姿を見ていたら、
「諦める」というより
「受け入れる」なんだなと自然と思えて、
気付いたら心の重しが消えていた。
本当に、すっと、気持ちが
私自身を受け入れていた。
今この半年で一番、心が平穏。

「渦中にいると出口はみえにくいけれど、
すとんと事実が心に落ちてきて、
受け入れられるようになるタイミングが
必ず来る。だから大丈夫。」

渦を抜けて、そう思えるようになった。

「諦める」と「受け入れる」の違いは
自分のなかで折り合いがついているか
なんだと思う。

「諦める」は、頭と心が乖離している状態で、
「受け入れる」は心も認めている状態。

頭と心は進むスピードが違うから、
時々心は置いてけぼりになって
そういうときはぎゅっと苦しい。
だけど、心がついてくるタイミングは
必ずあって、だからどうしようもなくつらいときは
無理に大丈夫なふりをするんじゃなくて、
自然と受け入れる瞬間がやってくるのを
待っていればいいのかもな、と思ったよ。

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