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人はなぜ表現するのか。

京都国立近代美術館(MOMAK)の
2019コレクション展に
大好きなモネの絵があると知って
行ってきた。

コレクション展は5部構成で
第3部がモネの絵がある西洋絵画。
せっかくだから1部・2部も見つつ
モネの絵を目指す。

今回みたモネの絵は、
「春、エプト川の柳」と
「積み藁、ジヴェルニー、朝の印象」。

まずとにかく色彩がとても好み。
色が柔らかくて、光があふれている。
こんなに光を美しく描く人を
私は他に知らない。(といつも思う)
そしてね、風や空気の湿気や温度感が
みている私に伝わってくるんだ。
本当に好きなんだ。

モネの絵はいつ見ても
いつまでも見ていたくなる。

そんなふうに感動しながら
絵を眺めていたらふと、
今のこの時代、シャッターを押せば
「そのまま」をすぐに正確に記録できるのに
なんで人は絵を描くんだろう?
と思った。

写真という極めて忠実な写生からは
こぼれ落ちてしまうものを
人は目の前の情景から感じとっていて、
そのプラスアルファの感じた部分を
残したいから、絵を描く
んだろうな。

印象派と呼ばれるモネの
「モティーフと私の間にある印象を描く」
というのもそういうことだよね。

絵に限らずさ、文章でもダンスでも、
何かを表現するということは
誰が捉えても変わらない事実に
自己の捉えた世界を重ね合わせて
ひとつの作品として生み出すこと
なんだと思う。
「ひとつにまとめあげる」ことにもまた
価値があるのかもしれない。

そして表現したいという
欲求の先にあるのは、
自分以外の人に伝えたい、
理解してほしい、
共感してほしいという願望。

ただ自分のために残したいのなら
人の目に触れない形でもいいものを、
そうではなく世に産み落とす・送り出す
ということは、それをみんなに
知ってほしいということなんだよね。

表現したいは、伝えたい。
理解されたい。共感がほしい。
これらは、他人との関係性の間でしか
生きることができない
「人間」という生き物の、
生々しくリアルな欲求なのかもしれないなぁ

となんだかしみじみ思ったよ。

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