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夢という言葉が使えなくなった時期の話

「私の夢はね」とか
「自由に夢をみられる社会にしたい」とか
「夢って本当に生きる原動力」とか、

口を開けば、夢 夢 夢 夢(!)
というかんじだった私が、
突然 夢という言葉を使うことに
抵抗をもつようになって、
実はここ半年は
こっそり使わないようにしていた。

数日前からまた
使えるようになったのだけれど
そのとき初めて
あ、私しばらく使えなかったんだな
と気付いた。

はて。なんでだろう。

それまでずっと、
夢は人の純粋な気持ちで本当に美しいもの
どんなときでも前を向く強さを
持たせてくれるもの、と思っていた。

「夢」という言葉自体の響きも
伸びやかで希望に満ちていて好きだった。

感覚としては、
急に嫌いになったわけではなくて
なんだか夢って言うの恥ずかしい…
みたいな感じだったんだよね。この半年。

たぶん、言えなくさせていた正体は、
自信のなさから突如生まれた
自分の未来に対する不安。

ちょっとタイミング悪く色々重なって
どんどん自信を無くしていくなかで、
こんな私が夢って言っていていいのかな…
という気持ちが生まれていたのだと思う。

その裏にあるのは
私の夢に対する価値観。


夢を口にすることは誰にでもできるけれど、
いつかの大きな夢を叶えるためには
夢への道のりを描いて
細かなステップに細分化していって
それをひとつずつ叶えていって
という絶え間ない努力が必要。
その努力ができているかどうかが
私にとっては
自分が自分に自信を持てるかどうかの
バロメーター
だから、
仕事や健康やその他諸々で
頭も心もいっぱいで
夢に向けた努力ができていない状態で
「夢」って言うことは、
なんだか口先だけみたいで
無責任に感じてしまって、
だから夢という言葉を
封印していたのだろうなぁ。

使う言葉に、気持ちは投影されるよね。


ところで、その半年を越えて
また「夢」と言えるようになったのだけれど、
そのきっかけは大学時代の友人に会ったこと。

彼女とは、大学の学科を超えて参加していた
グローバル人材を育てるプログラムで知り合って
プログラムが終わってからも
大学を卒業してからも
ちょこちょこ会っている。

このプログラムは私の人生に
大きな影響を与えてくれた
素晴らしいプログラムなんだけれど
(その話はまたどこかで)、
当時の私は人生の波にのっていて調子が良くて
自分のしたいことや価値観を
超どストレート表現していたから、
そのときの私を知ってくれている人に
会って話すと、裸足の自分に戻れるんだ。

彼女と会って、
色んな方向に引っ張られていた私が
すとんと落ち着くべき場所に戻って来た。

そしたら、夢って言えるようになっていた。


どん底だった気分が
ここ数日で少しずつ変わってきている。🍃
焦って何かを変える必要はないけれど、
考えて考えて そのうえで感じて、
小さなことから大きなことまで
いろいろな人生の選択を
ちょこっとずつしていきたいなぁと思う。

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