クォモリ

きほん文が下手です。(偏差値が30代だったのもあります。)

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「幸福」を憧れるのをやめましょう

(1,291文字) 感動したいと思ったら、”人気の感動映画”を観れば感動して涙を流すことが簡単にできます。性欲が溜まればポルノを見て一瞬で快楽を満たす事ができ、腹が減ればコンビニで何か買えば良いわけで、要するに便利な世の中ですね〜 でも実際のところ、世の中が便利になってもあまり幸福感が増えたようには考えられません。むしろ減ったんじゃないでしょうか。 近年、多くの人が感動できる映画よりも、自分にしか分からないかもしれない良さのある映画を大切にすることが減ってしまったような

    • 日記_朝

      目覚めはいつも曖昧に、だが突如として私に襲いかかる。 まだ身体は寝ていて、ただ意識だけが「朝の湖」にただポツンと浮かんでいる。水面に波を立てることはなく、ただ平穏な湖を見つめていたい。 だが、現実はいつだって酷なものだ。湖にノイズが響き渡る。神聖な湖はいつも数秒しか続かない。 〈生活〉が始まる。 私の朝はどれほど神秘に包まれているのか。 そんな夢を、期待を毎朝考えている。 だが、いつも現実は酷で、今日もラジオ体操の朝だった。 昨日に続き、なんとも朝にしては野太いような声が

      • 【人生】野菜を食べない偉さ

        「正論」は正しい事が好きな奴の感情論だ。 てか世の中の全部は感情論だ。 だから、正論は選択の一つであって、義務じゃない。 正論が絶対な風潮は人生にも悪い。 野菜食べてて偉いけど野菜たべないのも偉い。 俺は楽しく生きたい、やばくなったら死ぬし

        • 09/28 日記

          朝起きてラジオ体操をした。日課にしたいと思っているラジオ体操だ。 身体の筋肉を伸ばし呼吸が自然と意識の中心にあるのを確認したのち、呼吸を一気に深める。健康とはまさにこういうものだろう、と考えながら顔と歯を磨き、いつもの学校用の服に着替え、車に乗り込んだ。 片耳にかけたヘッドフォンから"ジェイ - Z"の名曲たちを流しつつ、いつもの道を通る。Spotifyは毎回海外アーティストの表記がダサいな〜とか考えつつ、今日はいい1日になるだろう、といつもより小さじ2杯分、期待を多くして

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        「幸福」を憧れるのをやめましょう

          やっべ、悩みが無ェ!

          最近気づいたんですけど、私は悩むのが趣味みたいです。 それも「なんで生きるか」とか「どうやって生きたら良いのか」みたいな抽象的な悩みなので、てっきりそういう悩みは一生抱えて生きるのかと思っていたのですが、現代思想を知ったことで「バランスで生きていくしかない」っていうちょっとつまらない答えを導き出してしまい、今は悩みがなくなってしまったような気がします。 考えてみるとちょうど1週間少し前くらいにも現代思想を読んで、今日と同じように、バランスが大事なんだなって事に気づきはしたん

          やっべ、悩みが無ェ!

          『現代思想入門』1章だけ噛み砕き尽くす

          私は頭が悪すぎるので、分かりやすいとされている千葉雅也先生の「現代思想入門」を読んでいても、まるで読んでいてもチンプンカンプンだったんですが、今日久しぶりに読んだら大枠の意味が分かってきたので自分なりに1章だけ解説していこうと思います。 難しい文を読むコツ私は難しめの文が読めないのですが、難しい文は意外と結構似ているようなことをずっと書いてくれているので、ちゃちゃ〜っと流し読み感覚で読んでみると、内容の主体性や大事な部分が見えてくるのでおすすめです。 読者は(特に私は金欠

          『現代思想入門』1章だけ噛み砕き尽くす

          美味しくないものの良さ

          情報化が進んでいる世の中では評価のベクトルがかなり局所的に固定化されています。 『食』で例えると「美味しさ」と「インスタ映え」の2択くらいしか評価基準がなくて、もっとベクトルが増えれば人生楽しいのに、とつくづく思います。 というのも私は『美味しくないもの』の良さってすごいあると思っていて、美味しいということと同じくらいに美味しくないって素晴らしい可能性を内包していると思うんです。 『美味しくなさ』の良さは、コンビニ飯を食べている時につくづく思います。うわこれこんなに高いのに美

          美味しくないものの良さ

          〇〇啓発本とかいう毒

          ビジネス啓発本なんかは人間の読むものではない。あれは最低だ。 本屋で●●啓発本の類の本棚に行くとわかるが、どの啓発本も、違う作者、違うテーマなのに、どれも同じくらいの厚みなのだから笑ってしまう。 しかもそれがデカデカとブースになっているのだから、これは傑作だ。 なぜ人によって違う思考や方法が同じくらいの情報量になるのか、私もそういった類の本を読んだことがあるが、本当に同じことを繰り返して読んでいるようなもので、大切なことはちょびっと言って、あとはそれから派生させ、無理やり

          〇〇啓発本とかいう毒

          何を嫌いかが大切だ

          初めまして、嫌いな食べ物なんですか? ——なんて初対面に言われたら、ちょっとおかしい人なのかなと思うだろうが、これは「好きな食べ物」よりも大切な聞くべき情報なのかも知れない。 文化や人格が多様化していく中で多くのコンテンツが生み出されてきた。 そのため現代では「何を好きになり、何を嫌いになるか」もより色濃くなってきているのだろう。全てを好きになろうという人もいるのだろうが、好きなものを多く知れるということは苦手なものも知ってしまうようなものだ。 だが全てを知ってしまうこ

          何を嫌いかが大切だ

          『演劇』は”生活への愛”を思い出す芸術だ。

          はじめに(あとがき)今日、人生で多分初めての『演劇』を観てきた。 そしてそこで感じた『演劇』の特殊性や感想を3,300文字で書いてみた。 私の中で『映画』と『演劇』は近しいイメージがあったので、映画と比較しての感想もあるが、それを通して『演劇』の概念を私なりに解釈した面白い文が書けたと思うので是非読んでほしい。 (*演劇名や会場等は諸事情で伏せさせていただくが、今人気の『演劇』である。) 座席に座った時に感じた『違和感』開幕前にまず思ったのは「今ここでしかない」感が凄い。

          『演劇』は”生活への愛”を思い出す芸術だ。

          今日の短歌

          14首

          今日の短歌

          言葉にすること、賞味期限

          世の中は「言葉」で進化している。 現代で、怒りの鉄拳や怒号はとっくに古くて、できるだけ正しい方、あるいは進歩する方へ向かおうとすると言葉が必要となってくる。 なので私たちは言葉を重んじていて、何でもかんでも言葉にしたくなる衝動に駆られているような気がする。 映画を観れば、そこから得られる教訓やメッセージ性、あるいは制作側に立った視点で評価し、涙を流したら「素晴らしい」みたいな風潮は少なからずともある。 でもそれって映画や生活の経験を「情報」として脳にインプットしようと必死

          言葉にすること、賞味期限

          挨拶

          結構文も書けるようになってきて、タイピングもできるだけ早くできるようになってきたんですけど、内容がしょぼいとつくづく思います。 いかんせん、高校までで最低限の文法は習ってきましたけど、文の書き方がよくわからない。文字ばっかの本とかを読んだことがほぼないから。 例えば敬語か敬語じゃない方かどっちで書くかもまだ定まっていないですし、文のリズム的なものも割と早い。なんと言っても何を書きたいのかよく分からないことが多くて、このnoteもなんで今書いているのかよく分からないです。 な

          好きな歌詞、やばい(1)

          あいまいでいいよ - 羊文学 多分、恋愛の歌詞なんでしょうが、私は人生の無意味さに気づいて無力感に苛まれていた時、これを聴いたらとっても救われた歌詞です。 どんなに悩んでもこんな世界「夢」みたいなもんだ、っていう諦めというよりむしろめちゃくちゃ真理をついた歌詞で、ま、テキトーに生きて楽しんで死のうっていうマインドになれました。——最高すぎるかも。 口の花火 - 長谷川白紙 99%意味がわからない。でもそれが良い。 口や喉の《身体》つまりとても根元的で見失いがちな人生の一

          好きな歌詞、やばい(1)

          正論から感情へ

          私は自分の中での哲学を一旦完成させました。それは考え方としては"毒"でしたが、結果的に私を世の中から隔離させることができ、少なくとも私の中での完全無欠の正論だったのです。その正論から幸せにならなくてもいい、と考えるようになってそれは私の感情や価値基準をまるで変えました。 「今考えればおかしかった」となるような考えだとは考えている今でも思う考え方ですが、そのおかしかったという評価さえも根底から否定する私の哲学は、あらゆる私の思考を停止させ、客観的に否定しました。 つまり「悪の

          正論から感情へ

          社交的に生きる面白さ

          私が連日考えている非社交的な思考を、人と話す機会がありました。 割と思っていることをバリバリと話したのですが、やはり話の内容がわからないようで、話した後の今「話さなくてもよかったな」と自分の社交性のなさと自分が内包する世界を自分に誇示できた実感が残りました。 ですが、やはりもっと人ともっとちゃんと話したいという感想も大きくありました。それは私の世界観とは相反するもので、こう言ったよく分からない文を書いてしまっているという恥ずかしさもありつつ、今コレを書いていると言った感じに

          社交的に生きる面白さ