見出し画像

何を嫌いかが大切だ

初めまして、嫌いな食べ物なんですか?

——なんて初対面に言われたら、ちょっとおかしい人なのかなと思うだろうが、これは「好きな食べ物」よりも大切な聞くべき情報なのかも知れない。

文化や人格が多様化していく中で多くのコンテンツが生み出されてきた。
そのため現代では「何を好きになり、何を嫌いになるか」もより色濃くなってきているのだろう。全てを好きになろうという人もいるのだろうが、好きなものを多く知れるということは苦手なものも知ってしまうようなものだ。

だが全てを知ってしまうことができている以上、人は好きなものばかりをネットに垂れ流しているのも事実だ。SNSではみんなが好きな食べ物や風景を載せている。好きではないかも知れないが、重要なのは「嫌い」があまりにも少なすぎることだ。
そして、「嫌い」が少なすぎているのはネットではなく世界中でもそうだ。某国の「猫を食べる習慣」みたいな文化も、おそらくもう無いに等しい。理由はやはり、嫌われているから。それだけだ。
嫌われるものは消える運命にあり、現代ではその消失が大幅に加速していった。だから逆に言えば差別も戦争も消えないのはそれは多くの人が好きだからなのだろうが。

と、考えると、その人が嫌いなものが嫌いなのには、嫌いなものには相当な理由がある。それはその人のリアリティと言って良いだろう。
この時代に人に好かれるものは多すぎるが、嫌われるべくして嫌われているものはそう無い。その中でどこに嫌いの焦点を当てるかを1回聞くのかは、何が好きなのかを10回聞くのに相当するだろう。

もちろん、これは自分自身にも言える。
何を好きになるかよりも、何を嫌いなのかを知り、できればもっと嫌うことが大切だ。このご時世、嫌いなアイツは好きよりも想いが強い。
そうやって生きることが生活や人生の豊かさになると思っている。

何を嫌いになるかは何を好きになるかよりも、思考のレアリティは高い。
だからもっとみんなは色んなものを嫌いになっていけば良いと思う。そしたら違う何かをもっと好きになれるし、生きている実感が味わえるだろう。

ちなみに私の嫌いな食べ物はバナナ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?