言葉にすること、賞味期限

世の中は「言葉」で進化している。
現代で、怒りの鉄拳や怒号はとっくに古くて、できるだけ正しい方、あるいは進歩する方へ向かおうとすると言葉が必要となってくる。

なので私たちは言葉を重んじていて、何でもかんでも言葉にしたくなる衝動に駆られているような気がする。
映画を観れば、そこから得られる教訓やメッセージ性、あるいは制作側に立った視点で評価し、涙を流したら「素晴らしい」みたいな風潮は少なからずともある。

でもそれって映画や生活の経験を「情報」として脳にインプットしようと必死な感じがしないだろうか。自分を育てようとしすぎだと言うことだ。

言葉にすると解釈が限定的(そこまで)になって、感動や感情の消費が高速化してしまう。
——— まるで豆乳のようで、開けるまでは賞味期限が長いんだけど、開けたら2~3日で腐ってしまうように。

でもだからと言って言葉にするのをやめよう、とは言えない。不可能だからだ。
今の私たちに必要なのは、つまり感性や面白さを殺さない方法は、感情で理論を作り上げていこうと言う話だ。
今の社会や個人は、感情が理論に占領されているような感じもしなくはないが、逆にもっと言葉を軽視してみて、元の感性のおまけ程度に言葉を考えてみた方が楽しいし、言葉本来の意味をなすような気がする。


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