正論から感情へ

私は自分の中での哲学を一旦完成させました。それは考え方としては"毒"でしたが、結果的に私を世の中から隔離させることができ、少なくとも私の中での完全無欠の正論だったのです。その正論から幸せにならなくてもいい、と考えるようになってそれは私の感情や価値基準をまるで変えました。

「今考えればおかしかった」となるような考えだとは考えている今でも思う考え方ですが、そのおかしかったという評価さえも根底から否定する私の哲学は、あらゆる私の思考を停止させ、客観的に否定しました。
つまり「悪の悟り」とも言えるような境地にいるわけです。

さっきこの事をもっと具体的に人に話してみました。今考えてみると人と話してみたいという感情があったようですが、私は自分の哲学から反した感情や思考が大きく肥大したことに話が終わる寸前に気がつきました。

これは私の正論が感情に打ち勝ったことを意味しています。正直今でも生きることなんて無意味だし、生きる考え方なんてもはやどうでも良いとは思っていますが、きっとそんな文字で囚われた思考よりもさらに超越したものが私の感情であり素性なのだと気がつきました。

大切なものとかも、どうでも良いような気がしていましたし感情よりも論理が正しいのは事実です。
しかし、感情は正論との殴り合いに勝ったようです。
もうこうなれば私の人生もまるで変わります。きっとまた幸福を目的として生きないといけなくて、正直辛いです。でもキラキラしててやっぱりそれはそれで楽しいんだろうなって思います。感情がそう囁いています。

正直、人間らしく社交性を持って生きるのは辛いです。でもまた幸せになろうかなって自己矛盾の矛が私を貫き、この文が黒歴史になっていくその日まで、できるだけ幸福になろうと苦労していければ幸いです。
正論が感情に勝った夜です。


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