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沢山扱っているから分かっているわけではない

いろいろな業界で共通だと思いますが、

例えば呉服の業界などで、職人さんなどが

「オレは沢山のものを扱って、見ているから、他分野のいろいろな技術も創作性の良し悪しも、良く分かっているのだ」

と、ドヤぁ〜!

な感じで主張する人がいますが、実際に分かっている人は少ないように思います。

確かに毎日扱っていれば「変化」は分かります。

カンの良い人なら、もう少し詳細に分かるでしょうし、キャリアのある人なら、さらに深く具体的に分かるでしょう。

しかしそれは、ある程度の経験を積めば、誰だって感じられる程度のことに過ぎません。

もちろんその人がプロなら「その人の仕事の分野に関連することにおいては、深く分かっている」ことが多いです。

しかし、その専門を外れたら話は違います。

多く、ザックリとは分かるにしても、具体的に広く深く分かっているわけではありません。

さらに、

創作的な良し悪しも、数を見ているからオレは分かる、と主張する人も多いです。もちろん、好き嫌いは理解のレベル関係なく言えますが。

しかし、そういう人が、具体的な品評を出来るかといえばそんなこともなく、単にその人の師匠や先輩から受け継いだ古い価値観で言っているだけだったり、どこかの権威だから良いとしているだけだったりします。

まして上から目線で批判するもの以上の作品を、その批評する人が、自分自身で作り出せるか?となると、別次元の話ですし、販売するにあたって売れる作品をチョイス出来るか、という話になると別次元の話です。(創作的に良いもの=売れるもの、というわけでもない)そこまで望まないにせよ、そのご意見はかなり「あいまいなもの」なのです。

もし、あることをプロレベルで知り、分かり、実行出来るレベルになりたいなら「専門的な学習を、一定期間以上する必要がある」さらに「その知識を持ち、かなりの覚悟を持って、一定期間以上、現場での体験をし、自らに刻み込む必要がある」のは当然です。

ただ数を見ていてもダメなのです。その分野のキチンとした学習と実務の経験が無いと、好き嫌いしか言えないのです。しかし、そういう品評をする人たちは自分は他分野の仕事のレベルが全て分かると思っているわけです。

長年やっているプロなら、具体的な努力と学習と訓練で技術と知識を身に付け、さらに厳しい競争のなか、生き残って来ているはずなのに、なぜか、他の分野に対しては、自分はただ見ているだけで分かると主張する。。。

それは「かなり失礼な態度」だと思います。

そういう意味のことを言ってはいけない、というわけではありませんが、言う場合は非常に慎重に、前後の文脈を考えて言うべきだと思います。

例えるなら

門前の小僧が、お経を毎日耳にするので自分でも唱えられるようになった。そしていろいろなお坊さんのお経の巧拙を品評するようになった。しかし、その内容を理解し、自分がその教えに生きているかどうかは「全く別の話」。

ということ。

もし「オレは分かるんだ」と主張する人が、自分の仕事の分野のことを他人から「オレは沢山見ているから、オマエの分野のことは良く知っているし、分かっている」と上から目線で言われたら、激怒することは確実です。

それは「オマエごときは、いや、オマエの業界自体、たいしたものではない」と言われているのと同義ですから。

本当に「分かっている人」は、知れば知るほど、出来るようになればなるほど「断言が出来なくなる」ものですし、他の分野の仕事にも理解が深まり、尊敬を持つようになるのではないでしょうか。


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