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折れないための準備

辛いことがあってもどうして折れないでいられるのかという話をした時、それは目標が明確だからだと返されたことがあった。
力強い「こうなりたい」は、それを叶えるための大きなエネルギーに変換されるらしい。
そんな話をしている中で、自分がどうしたいのか明確でない私は結局支えが何もないように思えてしまった。

欲がない。
物理的なものではなく、能力的な意味合いの話だ。
自分は欲だらけだと思ってきたけれど、分類してしまうと「どうなりたい」の欲が乏しい。
漠然と優秀になりたいとか優しくなりたいとか、そんなことばかりで具体的にどうなりたいというのがない。
優秀とはどういう姿か、優しいとは何ができたら実現できるのか、落とし込みが全く足りていない。
優秀さが昇進に繋がるとしても私は全く昇進したくないし、優しくなるとはどういうことかも考えるほどわからなくなってしまう。
結局どうなりたいかが、とにかくなかった。

漠然とした答えでいいと言われたとき、私が出すのはこの優秀さと優しさになってくるとは思う。
それなら昇進もしたくない状態で優秀になるとはどういうことだろうか。
優しくなるとは何が実現できたら叶うだろうか。

多分事務系職種として働きながら優秀さを求めるなら、ひとまずは目の前の仕事ができるようになることや考えて動けること、またその先時代のニーズに合わせた変化を受け止めたりさらにそれを形にするために提案できたり、といったことが必要だ。
惰性で出来る部分もあるしそこまでして手に入るものも少ないように思えたりもするけれど、そうすることで得る満足が欲しいなら、そうなる必要がある。
色々な自分の中の不一致を総括すると、行きつく先はここになるのかもしれない。

優しさに関しては、根本から正さなければいけない。
私は多分、悲しさにひたることで安心することをずっと繰り返してきてしまったせいで、だいたい常に、あまり自分の余裕がない。
その状態で優しく思われるための行動をしてきたから、余計苦しくなるというのをずっとやってきている。
先日、優しくなるために幸せにならなければといったことを書いたけれど、これは書いた後で少し苦しくなってしまった。
きっと根本意識を変えたいなら、誰かのためを言い訳にするより自分のためと言ってしまった方が楽かもしれない。
余裕ができたらその先で、心から誰かの役に立ちたいと・支えになりたいと、思える自分を目指したい。

落とし込もうとしてもやっぱり概念的な部分を抜け出すことはできなくて、数値目標にしたり具体的な目指すべき姿が見えてきたりといったことまではなかなか難しい。
でもこうなるための過程と考えたら、少しは折れないための自分がつくれるかもしれない。
結局今考えていることはもう、実際に働ける状態になって働いて実践してみないとわからない部分が大きい。
これ以上のことを見出すための解決策は、とにかくやってみることに終結するのだろう。

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