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難民キャンプの笑顔と、根深い問題【イスラエル・パレスチナ旅行記4】

こんにちは、yukiです。

今日はイスラエル・パレスチナ旅行記の4回目。
全6回を毎日更新しています。


今、この地域は大変な事態になっていますが、
報道では分かりにくい現地の様子を
旅行者目線でお伝えしようと書いています。

今回は、
パレスチナ中部の街ナブルスで
朝を迎えるところから始まります。

それでは、どうぞ。

(※この記事は、2016年の旅を“旅行記”としてまとめたものです)



ジェニン難民キャンプ


まだ夜明け前の朝4時ころ、
窓の外から、まるで歌のような
朗々とした声が響いてきました。

アザーンです。
(イスラム教の礼拝の呼びかけ)

イスラム教の国をいくつか巡ったので、
早朝のアザーンには
ある程度慣れていたのですが、

モスクがすぐ近くにあったようで
あまりの大音量に飛び起きてしまいました。

さて今日は、ナブルスから、
さらに北にあるジェニンに向かいます。

セルヴィス(乗合バン)乗り場へ行くと、

「やあ!どこ行くんだ?
 ジェニンならこっちだよ!」

と何人もの方が声をかけてくれるので、
何も迷うことはありません。

日本でバス探すより楽かも笑

到着したジェニンは、
ややこぢんまりした町。

ジェニンで宿泊した宿には、
数名の外国人が泊まっていました。

難民キャンプの子どもの成長を追って、
ドキュメンタリーを撮っている
ドイツ人ジャーナリスト。

ドイツ人映画監督、
助手の女性、その女性の彼氏さん。

旅行者のイタリア人女性。

皆さん、本当に感じの良い方達です。

ジェニンには、
パレスチナ難民が生活している
難民キャンプがあります。

キャンプといっても、
最初にパレスチナ難民が発生してから
すでに70年近く経っているので、
立ち並ぶのは普通の家々。

(言いかえれば、70年近く経っても、
 元の場所に戻れていないということ)


ジェニンを歩いていて
ひときわ目を引くのは、
馬の形をしたオブジェです。

つぎはぎのオブジェは、
瓦礫を繋ぎ合わせて作られたもの。


ジェニン難民キャンプは、
2002年、イスラエルによる
大規模な軍事攻撃を受けました。

イスラエルの名目は、
「自爆テロを繰り返す組織を殲滅するため」。

大義がどうであれ、
キャンプに住む多くの一般人が殺害され、
建物も破壊されてしまいました。

「虐殺」だったとも言われています。

この馬のオブジェは、
そのときの瓦礫で出来ているもの。

身体に浮かぶ「AMBULANCE(救急車)」の文字…
駆けつけた救急車までもが、
攻撃を受けて破壊されたのでした。



しかし、
難民キャンプを歩いていても、
暗い空気は感じません。

たくさんの人が明るく声をかけてくれて、
お茶やフルーツを振る舞ってくれたり、
あたたかく「ウェルカム」って言ってくれます。

なんか、パレスチナの男性って、
ボウズ率が高い気が…!

道で声をかけてくれたおじちゃんは、
自動車教習所の教官らしく、

「これから実技講習があるから、
 一緒に乗ろう」

と言われました。

大型トラックの実技に挑む、若い男の子。
その横の席に、おじちゃんと僕。

気が散るよね、申し訳ない…汗

実技講習が終わってから、
オフィスに連れて行ってくれました。

教官というか、教習所のボスでした笑

お茶をいただきながらお話しする中で、
テーブルの人物写真に気づきました。

「ご家族ですか?」

「ああ、そうだよ。
 この写真は、私の兄弟だ。
 でもイスラエルによる爆発で死んだのさ。
 こっちは息子だ。
 捕まってしまって、
 まだ帰ってきてないんだ。」

と、淡々と語られていました。

ジェニン難民キャンプは、
2002年の大規模攻撃の後も、
度々イスラエルの攻撃を受けています。

少しでも疑わしい者は、
連れ去られたり、
殺されてしまうのだそう…。

平和が訪れることを、
パレスチナもイスラエルも
望んでるはずなのに。

どうすれば、
双方が同時に平和になれるのだろう。

難民キャンプの子どもたちは、
元気いっぱい。

子どもが悲しまない未来を願うばかりです。

(ジェニン難民キャンプは、
 今年2023年7月にも大規模な攻撃を受けました。
 子どもを含めた死傷者が出たうえ、
 多くの家が破壊されたそうです。
 心から平和を祈っています)

「君はどう思う?」


ジェニンには4日間滞在しました。

ある日、町を歩いていると、
体格の良い靴屋のおじちゃんから
声をかけられました。

仲良くなってFacebookを交換し、
その夜にメッセージをやり取りしてたら、

「明日の朝、
 一緒に朝食でもどう?」

とお誘いが。

「行きます!」

と返信し、翌朝、お店に行きました。

おじちゃんと、お友達と、
3人で朝食をいただきました。

パレスチナの定番メニューです。

ナンのようなパン、
ホンモス(ひよこ豆のペースト、激ウマ)、
ファラフェル(ひよこ豆のコロッケ)。


おじちゃんは、
スマホで動画を見せてくれました。

「見てくれ。
 イスラエルのテルアビブに、
 旅行に行った時のビデオ
だよ!」

わあー楽しそう。
地中海で泳ぐの、気持ちよさそうだな。

「イスラエルって、
 普通に旅行できるんですね」

「できるさ!
 イスラエルには友達も沢山いるよ」

それを聞いて少し嬉しくなりました。



お話ししているの途中、
おじちゃんはやや真剣なトーンで
ある質問をしてきました。

「ムスリムにテロリストがいることは、
 君も知っているよね。
 イスラム教はそういう宗教だと
 世界の多くの人が思ってる。
 君は、ムスリムのことをどう考える?

・・・率直に答えるしかない。

「正直、イスラム教の国を旅するまでは、
 偏見があったし怖いって思ってました。
 でも、それは狭い視野でした。
 ムスリムの皆さんが
 平和を望んでることはよく分かってます。
 僕はムスリムの方々が好きです。」

彼は無言でうなずきました。
少しの沈黙の後、口を開きます。

「テロリストがやってることは、
 イスラム教に反することなんだ。
 私たちの望むことじゃない。」


お礼を言ってお別れしました。

「またいつでもおいで!」

あとで、
朝食のお返しを持っていこう。

フリーダム・シアター


この日は、
難民キャンプにある「フリーダム・シアター」
演劇を見に行きました。

宿のスタッフの方が、

「今日舞台があるみたいだから、 
 見に行ってみたらどうですか?」

と案内してくれたのです。


シアターの入り口は、
多くの人々で賑わっていました。

チケットの販売をしていたのは、
なんと同じ宿のドイツ人カップル!
ここでボランティアもしているのだそう。

「あなたは無料でいいわ!
 楽しんでね!」

ってチケットをくれました。

言葉は全然わからないけれど、
小さな劇場ならではの迫力、
魂のこもった演技に圧倒されます。

物語は、
第一次中東戦争で発生した
パレスチナ難民のお話
でした。

住む場所を失った人々の中には、
クウェートやサウジアラビアへ
違法な亡命をする人もいたのだそう。

彼らは、
トラックの水タンクに隠れたりして、
国境を越えようとしたのです。


亡命ルートは砂漠。

亡命者たちは、
国境を越えるドライバーに頼み込み、
トラックの空タンクに身を隠す。

強い日差しのもと、
隠れたタンクの温度は上昇し、
酸素も無くなっていく。

ドライバーが国境で長い足止めを食らい、
どうにか入国を済ませたが、
すでに亡命者たちの命は尽きていた。

どうしようもないので、
亡命者たちのポケットからお金を抜き取り、
彼らを置いて去っていくドライバー。

暗すぎるラスト…。


・・・こういうことは、
実際に沢山あったのだそうです。

そしてこれは、過去の話じゃなく、
命懸けの亡命を試みる人は
今でも世界中に山ほどいます。



演劇のあと、
靴屋のおじちゃんのところに
お菓子を持って行きました。

「お、ちょうどいいところに来たな!
 今から結婚式に行くんだよ、
 一緒に行かないか?」

「よそ者が行って大丈夫ですか?」

「もちろんさ!
 タダメシも食べられるぞ!笑」

誘われるがままタクシーに乗り、
町外れの会場へ。

入口で
「ウェルカム!」
って言われて一安心です。

パーティ会場には男性だけが集まり、
アラブ音楽に合わせて皆が踊っていました。

ミラーボールがキラキラと輝く。
クラブみたいで、とても賑やかな空間。

新郎は、
全身にお札をくくり付けられています。
そういう感じなのね笑

皆さんの晴れ晴れした笑顔が、
とても印象的でした。

(ちなみに女性は、
 別の会場で祝ってるのだそう)

会場から町の靴屋さんに戻り、
ちょうど彼の息子さんも帰ってたので、
3人でしばらくおしゃべりします。

「これから長く旅するんだもんな、いいなあ。
 写真見せてくれよな!」

良い1日だったな。

この日もまた、
パレスチナの人々の希望に満ちた表情を
たくさん見たのでした。

イスラエルへ


ジェニンを最後にパレスチナを出て、
イスラエルのハイファへ行くことにしました。

朝、宿のダイニングキッチンで
ドイツ人ジャーナリストに会うと、

「ちょうどこれから
 ハイファに行くんだよ!
 乗っていくかい?」

と誘ってくれました。

ありがたく車に乗せてもらい、
ジェニンを後にします。

しばらく走ると、“国境”、
つまりチェックポイントに到着しました。


パレスチナに入るのは簡単だったのに、
イスラエルに入るのはかなり厳重。

僕は何事もなく入れましたが、
彼は全然建物から出てきません。

小一時間ほどして、

「ごめんごめん、
 いろいろ疑われて大変だったよ」

と、疲れた顔で出てきたのでした。



パレスチナで一面に広がっていたオリーブ畑が、
イスラエルに入ると野菜の畑に変わります。

しばらく走ってハイファに着き、
予約した宿の前で降ろしてくれました。

「ありがとうございました、
 お気をつけて!」

宿に荷物をおいて街に出ると、

「うっわあ…」

イスラエルの街の綺麗さに、
衝撃を受けたのでした。


マンションのベランダ、
国旗が多くてちょっとびっくり。


街を歩いていると、
交差点に立っている人たちが
目に入ります。

看板には、

「Stop the occupation(占領をやめよう)」

と書かれている。

見た感じ、アラブ人ではありません。

イスラエルのユダヤ人にも、
軍事力による占領に反対する人は
いるのだと聞いていました。

近づいて声をかけ、
お話しを聞いていると、
どこからか険しい声が聞こえてきます。

交差点を通り抜ける車の中から、
こちらに向かって
罵声を浴びせる人々がいるのでした。

何人も、何人も。

「私たちがこういうことをするのに
 反対している人たちよ。」

胸が苦しくなりました。
市民レベルでもここまで…。



靴屋のおじちゃんの話から、
少し明るい側面を感じたものの、
やはり問題は根深い。

解決の難しさを想像し、
気が遠くなったのでした。




最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

それでは、今日も良い1日を!



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