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『ディベート道場 ― 思考と対話の稽古』特別対談①「人生の可能性を広げ豊かにする」友末優子さん(STEMヘルスケア株式会社プロジェクトマネジメント責任者、グロービス・マネジメント・スクール講師)

友末優子 プロフィール
STEMヘルスケア株式会社プロジェクトマネジメント責任者、グロービス・マネジメント・スクール講師。名古屋大学工学部卒業、筑波大学大学院修了。戦略系コンサルティングファームにて、新規事業開発を中心に経営戦略立案・実行支援に従事。その後、欧州系診断薬メーカーの日本支社にて新規事業開発を担当。カリフォルニアオフィスに異動し、プロダクトマネジャーとして新製品の開発・導入に従事する。欧州系製薬メーカーにてマーケティング責任者として新商品をリード、その後、複数のベンチャー企業で取締役として活躍してきた。

友末優子

田村:ディベートを始めたきっかけは何ですか。

友末:大学1年の4月、ESS(English Speaking Society:英語研究会)の新入生歓迎会でディベートに出会いました。高校のときに1年留学したので、大学でも英語を勉強しようと思いまして。ESSにはドラマ、スピーチ、ディスカッション、ディベートの4のセクションがあって、ディスカッションとディベートで迷いましたが、きれいな女性の先輩が多かったディベートセクション(以下、ディベセク)にしました。

それと、年子の理屈っぽい兄がいて、物心がついたときから常に言い負かされていたので「いつかコテンパンにしてやろう」とずっと根に持っていて……。

田村:(笑)

友末:物事を組み立ててロジカルに話すのが苦手なのは自覚していたので、一念発起して正面から取り組もうと思ったんですね。その同学年にはディベセクに入った人が多く、メンバーに恵まれたのも大きいですね。私を入れて男女8人くらいいました。ゴールデンウィーク明けにディベセクの先輩のディベートを初めて聞いたんですけど、その人、NDT(National Debate Tournamentの略。アメリカの大学対抗ディベートトーナメントの総称。)スタイルにハマっていて。超早読みで全く聞き取れず、ちょっと怖じ気づきましたね。

田村:何だこれは! という感じかな。

友末:いまだにその衝撃的な声のトーンは覚えています。それから、勝負がつく面白さにずるずるハマっていって。自分は勝負ごとが好きだということを初めて知りました。

田村:それまでは知らなかったんですか。

友末:私はとにかく勝負ごとが弱かったんです。作戦を立てるのも苦手。物事を論理的に考えるのも苦手。ゲームは必ず負けるし運動神経も悪かったので、それまでは、あらゆる勝負ごとを避けていました。負けるのが嫌いだということに気がついたのは、ディベートをやり始めてからです。

田村:いつ頃気がついたんですか。

友末:ディベートを始めた頃、試合にはけっこう勝てたんです。それは多分、英語ができたからだと。でも、1年の12月の大会で負けて一番になれず、悔しい思いをしました。それから泥沼にハマるようにディベート生活にハマっていきました。

田村:泥沼のように(笑)

友末:いまだにやめられません。大学のときはディベート漬けでした。午前中は授業、午後から実験、夕方5時になったら図書館に行って、夜8時までプレパ(ディベートの準備:preparation)して、それからみんなでご飯を食べて、9時から友達の家に移動して、さらに練習試合、プレパみたいな。

 私はリサーチがけっこう好きでした。当時はもちろんGoogleなんてなかったので、図書館で本を漁ります。論題に関係しそうなジャンルの棚から、今まで縁のなかったようなタイトルの本を大量に持ってきて山積みし、ななめ読みしながらポストイットを貼りまくり、パラパラめくるうちに面白いエビデンスを発見して、ウキウキしてチームメンバーに言いまくるという。
私は興味の幅が狭い人間だったんですが、必然的に本をたくさん読むようになりました。プレパには必要なことだったので。

田村:もともと読書家ではなかった?

友末:読書も苦手でした。ディベセクの仲間に支えられながら自分の苦手分野を一つひとつ克服できたのが良かったです。
それまで、自分は主観的で思い込みが激しいタイプでした。でも、ディベートでは自分の思っていることとは違うことも考える訓練をしなければいけない。そうしていくと、当初の自分の考えとは全く逆のことを考えられるようになって、別の人になったような体験ができます。今振り返ると、それも面白かったんだと思いますね。自分の石頭が少しずつやわらかくなっていくのがわかるようで楽しかったです。

田村:ディベートは大学で初めて知ったんですか。

友末:はい。前述のESSの新入生歓迎イベントまでは全く知りませんでした。ディベセクの先輩たちが楽しそうに(当時のディベートの論題である)原子力発電の話とか核戦争の話を、ああでもないこうでもないとウキウキ話しているわけですよ。それで「この人たち何なの! 面白い!」と。

田村:ディベーターがディベートの話をするときは本当に楽しいですからね。

―― 苦手だった論理的思考がだんだんできるようになってきたな、という実感は当時ありましたか。

友末:当時は無我夢中で自分の中の変化は認識していませんでした。20代後半にコンサルティング会社に転職して、そのときに「全員がゼロから考えているわけではない」ということに気がつきました。
ディベートには議論の型や作法がありますよね。その訓練のおかげか、ゼロから考えることは苦になりませんでしたし、議論していてロジックがつながっていないと、ディベーターの性(さが)として本能的に気づくことは多かったですね。“頭がいい”ことと“考える力がある”ということは、別物かもしれないと思いました。

その職場では高学歴の人ばかりいて、頭の良さや記憶力では全く太刀打ちできません。自分の付加価値をどう出し、表現し、顧客に提供していけるのかを必死に考えました。ディベートを通じて、“反対のことを考えることで思考を進化させる”という能力には自信があったので、話の流れに乗らずに自分でゼロから考え直したり、全く別の視点で思考・議論を構築することで、他の人が気づかなかったような論点やインサイトを出すことができるんじゃないかと。私はそこで勝負していこうと思いました。

田村:ディベートで培われたものは、他に何かありますか。

友末:踏ん張る力です。別の言葉で言えば「気合いと根性」。大学3年生の夏の大会では、関西と東京の予選を勝ち抜いてベスト4に残りました。でも、準決勝でなさけない試合をして負けました。それがショックで……。夜行バスで名古屋に帰り、明け方、最寄り駅から自宅までの坂を泣きながら歩きました。その悔しさと比べたら、仕事なんて大したことないと。
当時は惨めな気持ちでいっぱいでした。ふつうは大学3年の夏で引退しますが、私は悔しくて諦めきれず、秋の大会も出てしまいました。

田村:夏で終わりなのに。

友末:自分は本当に負けず嫌いというか、往生際が悪いんだなということを思い知らされましたね。今でも思い出すと悔しいです。
その後は切り替えて、ピースコ(他校にディベートを教えるボランティア)を始め、近所の女子大に教えに行っていました。考える訓練をほとんどしてこなかったメンバーでしたが、一から教えたら、みるみるうちに開花していき、とても教え甲斐がありました。教えたことをまず実践してみるという素直さを持っていたのが良かったと思います。

1年生の大会では、その女子大が名古屋で確か一番になって、メンバーは自信をつけました。教えたことをまずは実践し、練習試合や大会で何度も繰り返しているうちに、消化し、着実に身につけていたんですね。それまでメンバー自身が苦手だと思っていた「順序立てて話すこと」や「相手の反論に対して答える」能力がディベートを通して身についたわけです。そして、実践し、かつ、それに楽しみを見いだすことができた。苦手意識をひとつ克服したのです。ディベートを通してできることがひとつ増え、メンバーの思考を豊かにしました。それは、人生の可能性が広がったことを意味します。思考の訓練をすることで、自分自身の努力で脳みそのシワを増やせる、これがディベートのすごいところです。ディベートを通じて一歩進んだ深い思考ができるようになる。自分を高められる。私もその恩恵に浴しています。ディベートは人生の可能性を広げてくれます。仕事に活かせる場面も多数あり、そして、人生を豊かにします。

田村:今はどんな仕事をしているのですか。

友末:現在は抗がん剤のブランドマネージャーという職務に就いています。当該薬剤の価値を最大化するため、ユーザーの治療戦略のどこに位置づけるのか。どのデータを用いて、どのようなメッセージで訴求するのか。そのためには、どういったツールが必要なのかを考えて、計画を作成し、KPI(重要業績評価指標)を設定するという、一連のマーケティングに対して全責任を持つ仕事です。
計画を策定し実行する過程では、関係者の巻き込みが必須です。そのためには、当該薬剤のマーケティング方針を、社長を含む多様な関係者に何度もさまざまなかたちでコミュニケーションするのも重要です。また、ブランドの仕事だけではなく、事業部の人材育成方針を考えたりといったことも行っています。

田村:そこでディベート経験が役に立ったことには何がありますか。

友末:マーケティングの仕事は、インタビューやマーケットリサーチを通じて仮説を立て検証し、セグメントを設定し、ターゲットを決めて、ターゲットに響くメッセージを考えて……と、一連の型通りの流れがあります。前例にならえば、だいたい平均点を取ることはできる。特に、製薬はプロモーション上の規制が厳しいので、天地がひっくり返るようなマーケティング策は採ることができません。
リスクを取らずに前例にならってやるという手もありますが、「みんなが想定している業界常識が本当に正しいのか」「もっとよくする全く別の方法はないのか」「これってそもそもやる必要があるのか」等々、物事をゼロベースで考えたとき、全く反対の視点から考えるというディベートで培った思考が役に立っていると感じています。

―― ディベートが人生を豊かにするとはどのようなことでしょうか。

友末:ふつうの学校生活を送っていると、左翼的な思考になってしまいがちですよね。

田村:ああ、アカデミズムですね。そういう意味では、私は10代のときからアカデミックな左翼の学者たちはおかしいと思っていて、高校時代は『諸君』とか読んでいました。

友末:私は大学に入ってから『諸君』とかを読み始めたんです。ディベートでエビデンスを取りたいから仕方なく読むようになったんですが、これがまた面白い。今でこそ「日本は素晴らしい」という論調は多く見られますが、当時は『諸君』に代表される右翼的な雑誌は少なかったですからね。

田村:今はちょっと多過ぎるくらいありますね。

友末:エビデンスを取る過程でそういった本を山のように読んだので、一見「一般的」に見える新聞記事を読んでいても、「この記事はこんなまとめをしているが、なぜそう言っているのだろうか」とか、裏のウラまで考えるようになりました。そうすると、読書が俄然面白くなってきます。雑誌の記事を読みつつ、その背後にある世の中の仕組みなんかを平行して考えるようになって、思考が広がり、人生が豊かになったと思います。

田村:なるほど。ひとつのことをいろいろな側面から見たりできることが豊かだと。

友末:はい。物事に絶対的な正しさはないことに気づきました。ディベートを始める前は、「原発は良くない」「人権は大切」のようなことは当たり前だと思い込んでいました。けれども、ディベートを経験して、物事にはいろいろな側面があることを理解できるようになりました。

田村:そうですね。さまざまなアングルから見て、少しは客観的に物事を見ることができる。これはディベートをやっただけでも高まった気がしますね。ディベートは自分の価値観やイデオロギーとは関係なく試合をします。1試合目で肯定側を、2試合目では否定側をやったりしますからね。頭がやわらかくなるし、いろいろなアングルを自分の中に取り込むという感じがありますよね。

友末:その過程を経ることで、自分がいかに視野狭窄だったかということに気がつくのです。自分の価値観の脆弱性に気がつくと同時に、謙虚になれます。「世の中にはまだまだ知らないことのほうが大半で、自分が知っていることなどほんの少しのことだ」と。

田村:そうですね。人の視野は狭いし、思い込みは激しい。本を読んで知識が増えて賢くなったような気分になっても、対話がなければ視野は狭いまま。だけど、ディベートをするとそれが正されるというか、まさにもっと豊かになる。

友末:そう! そして、物事にはいろいろな側面があることを知り、それを咀嚼したうえで、「これはこうあるべき。これはおかしい」ということがあれば、主張すべきだと思います。

アメリカで5年働いた後帰国してからいろんなことに仰天したんですが、そのひとつに、「○○かな、と思います」という表現が頻発されることでした。当初は自信がないことを表現しているのかと思っていたのですが、実はそうではなくて自分の言いたいことはあるのに、あえて本音をぼかして表現しているのだと。それに気づくのに1年くらいかかりました。帰国後に職場でストレートにものを言っていたら反発が大きくて(笑)

よく周囲を観察してみると、会話もメールも、とてもソフトな言い回しが多用されていて、「いかがでしょうか」とか。コーポレートカルチャーなのかなと思い、別の職場の友人にヒアリングをしてみましたが、わりと普遍的な現象らしいとわかり。

田村:「コーポレート」というより「ジャパニーズ」なのかもしれないですね。

友末:「○○だから、これをお願いします」とそのまま伝えていましたが、それではさっぱり受け入れてもらえず……。

田村:風当たりが強くなるということかな。

友末:その前に、話すら聞いてもらえない。それに気づいてから、相手の話をよく聞くようにしたのです。ディベーターですから、つい突っ込みたくなるのをグッとを押さえて、最後まで聞く(笑)

最後まで聞いてから、「あなたは○○をしたいのですか」とか「○○というのは、△△ということですか」と相手の主張をひも解いていき、それで「こういう手もいいのではないでしょうか」とか「○○に加えて××についても1週間くらい考えてみてください」と、伴走しながら、寄り道しながら進めていく。そこまですると、そろそろと動き出します。ロジックだけだと人は動きませんから。ディベーターと話すのは本当に楽だなと思います。

田村:ディベーター同士だと、先輩後輩といった上下関係があっても、遠慮なく話しますよね。

友末:極めて遠慮ないですね。周囲の人がみんなそうなると私は楽なのですが、そういうわけにもいかないですよね。

田村:心理学博士の方が書いた『ディベートが苦手、だから日本人はすごい』(朝日新書)という本があります。Amazonのレビューにも書いたんだけど、これは日本文化論としてはすごく面白い。日本人は角が立つような議論をしないことで、いろいろうまくいってるということが書いてあります。それは一理あると思いますが、言うべきことや言いたいことを言わない、あるいは言えないという弊害の部分をドロップしています。日本文化の素晴らしい部分もありながら、ディベート的な健全な対立をよしとする部分を統合していくと、もっと良い文化になると思いますね。

友末:仕事でもときどきやります。以前、チームメンバーの意見が全く折り合わないことがありました。どちらも主張はあるけどロジックもないし具体性もない。そこで「1週間後に主張を整理して、具体案を加えて、お互い15分でプレゼンしましょう」と提案して、やってもらったことがあります。

田村:日本文化の“和をもって貴し”とする良い部分を台無しにせず、ディベート的な対立文化の良い部分を取り入れ、統合することは可能だと思いますね。たとえば、国全体を改革しなくても、会社組織のトップがそういうことをやればいい。

友末:誰でも必ず良いアイデアを持っています。対話を通してそれを地道に拾い上げていく。表立った対立はあまり好まれないけれど、対話を通してアイデアをうまくつなげて昇華させるよう、できるだけのことをやるようにしています。

田村:私は最初に就職した会社で、会議が終わった後に「おまえはなぜ先輩の顔を潰すようなことを言うんだ」と言われたことがありました。そんなに議論していなかったと思うし、違うから違うと言っただけ。でも、そうやってだんだん会社のカルチャーに矯正されていく。明らかに間違ってるからそう言ったんですけどね……間違いを指摘された方も、メンツが潰れるなんて思わなければいいのに。

友末:私自身は、間違いを言ってるほうが恥ずかしいですけど。

田村:「あっ、間違ってたんだ。ありがとう」で終わればいいんですよね。
 ある会社のリーダーシップ研修で、戦略づくりのファシリテーションをしたことがありました。少人数だとみんなで仲良く和気あいあいとやります。仲が良いのはいいけど、あまり仲良くやってると反論が出ないんですよね。そこで、複数のチームでお互いプレゼンし合った後、駄目出しタイムを設けました。「では今から駄目出しタイムです。プレゼンした人はみんなに背中を向けて、メモの準備をしてください」「駄目出しする人は始めてください」と言ったら、みんな生き生きと駄目出しし始めた(笑)

友末:いいですね。それ、私もやってみます。

田村:終わった後、「今、楽しかった人は手を挙げてください」と言ったら、全員手を挙げました。だから、「これじゃ駄目だな」と思っても、みんなふだんは言えないだけなんですよね。言えないというか、言わないようにしている。

友末:人格と議論の内容は全く別物で、分離させるべきなのに、なかなか……。

田村:そう。分離する習慣とかシステムがあるといいですよね。

友末:どうしても意見と人格がくっついてしまいますからね。

―― ディベート教育についてはどう思いますか。

友末:思考の訓練は、家庭でも小さい頃からしたほうがいいと思います。私は娘が幼少の頃から「どうしてそう思ったのか」「どうしてそれをやりたいのか」を聞くようにしています。田村さんはお子さんにどんな教育をされていましたか。

田村:自分が子どもの頃、私が何か言い返すと父親は「言うことを聞け」「理屈を言うな」とよく言っていて、それがすごく不満だったんです。だから自分が親になったら、もし子どもが理屈を言ってきたときは理屈で返そうと決めて実行していました。ディベートはしてませんが、けっこう達者になりましたよ。

―― ディベートをしてお兄さんに勝てるようになりましたか。

友末:あまり議論を吹っかけてこなくなりました。多分「こいつの反論はヤバい、面倒だ」と少し認めてもらえたのかもしれません。

田村:なるほど。

―― ディベートに興味がある人に何かメッセージをお願いします。

友末:まずは一歩踏み出す。まずは自分で試合をやってみる。1回やったらやめられない泥沼の世界へようこそ! ディベートはあなたの人生を豊かにします。これは保証します(笑)


(『ディベート道場 思考と対話の稽古』より)


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