長野ゆうほ

色々混ざっているのに惹かれ、違った人々が一緒に住み合っている所にいると気が落ち着きます…

長野ゆうほ

色々混ざっているのに惹かれ、違った人々が一緒に住み合っている所にいると気が落ち着きます。ここ数十年住んでいるフィラデルフィアはその通り。普通の言葉ではなかなか表現できない変わったあるいは深い思いを表す美術音楽人々の力に魅力を感じます。クエーカー

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  • 長野ゆうほのフィラデルフィア・ストーリー

    米国最初の首都、日本から移住して数十年、人種、貧富、考えの違う人々の住む愛するフィラデルフィア。この街にできる限り溶け込んで、心柔らかに生活し続けたい。クエーカー。

最近の記事

スイカと鳩: ひとりの小さな平和活動

「そのスイカ、好き」 フィラデルフィアの街を歩いてるとき、店で買い物してるとき、こちらの眼を見ながら、私の胸のブローチを指し誰かしらそう話しかけてくる。皆、声を上げずに。 「写真撮ってもいい、スイカ?」遠慮がちに聞いてくれる。 それだけで、自分たちが同じ思いで繋がっているのが伝わってくる。 「スイカ」はパレスチナの国旗の代替。その土地で栽培され、国旗と同じ赤、緑、白、黒の色合いだ。 国旗の掲示が違法とされた1967年以来、「スイカ」はそれに代わって人々を結んだ。93

    • いちばん たいせつな おくりもの

      おくりものって聞いたら、何、うかぶ?    プレゼントの山 たいせつなおくりものは?    指輪とか。。。 一ばんたいせつなおくりもの?    ヒヤッ〜、考えちゃうなあ、それは 自分の一ばんたいせつなおくりもの      それは、コワイや こわいって?    自分の中、のぞき込まなくちゃ、答え、出てこない そうだヨネ ソレ、日本語教師やってたとき、宿題に出してたんだ。一人一人のこと、知りたくて    へえっ。それで、書いてきた、みんな? うん。読んだ

      • つか子と「あの人」

        #創作大賞2024 #恋愛小説部門 家族の猛反対の中、東京で自立した20代のつか子。40数年後古い日記が見つかり、米国で住むつか子が20代の自分と「出会う」。つか子の胸に「あの人」との逢瀬と別れが蘇る。 命尽きる前に今一度「あの人」に会いたいと願う。ヒマラヤの麓ネパールのポカラでの再会を夢みる。思いがけなく夢が叶うがあの人は沈黙を守り自分の人生を語ろうとしない。 旅の最後の晩一つの思い出に助けられ二人は最初で「最後」のどこまでもやさしい親密な一時をもつ。 数週間後ノ

        • 本当の思いを言わ/えない本当の理由

          親しかった友人の連れ合いが亡くなった。顔も何もかも大づくりで快活、声も大きくどこに行ってもすぐ人と打ち解け合うような人柄だった。徴兵にもあい、生前、葬式は軍隊式にしてほしいと云っていた。 けれども、葬式埋葬は弟がユダヤ教に則って式の全てを取りしきった。お棺がおろされ、人々が慣習に従って次々に一つかみの土を握ってそれをお棺の上に投げたが、友人はその場に立ったまま動こうとしなかった。 20年以上も一緒に住んだ友人たちは結婚しなかった。二人が結婚という枠にはまらず、それぞれ独立

        スイカと鳩: ひとりの小さな平和活動

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        • 長野ゆうほのフィラデルフィア・ストーリー
          6本

        記事

          プロローグ5:わたしのダブルに会っちゃった

          (『プロローグ4』より:港を出る舟は 希望を求めるにあらず 希望を逃れるにあらず そは 狂える舟は 嵐を請うとや 嵐の中に安らぎを見るとや)              『プロローグ5』        なぜ、「あの人」にそんなにひかれたの?何て言ってる、その娘? 『同じ考え同じ感じ方するから』    なるほどネ 好きだったのは『楽しいところ、やさしいところ、あいまいなところ、情熱的なところ、どうしようもないところ、 踏みはずしそうなところ、理想と現実のはざまで、あきら

          プロローグ5:わたしのダブルに会っちゃった

          プロローグ4:わたしのダブルに会っちゃった

          (『プロローグ3』より:『2000年の日本にみんなの作ってきたルールがある』う〜〜ん。2000年のルールねえ。それは重いヤ。どうこたえたのその娘 ?『それを彼はヨシとし、わたしはアシとしてる』ずいぶんハッキリ言ったんだネ。今のつか子はどう思う? みんなの作ってきたっていう「みんな」って誰なのかって、考えちゃう)              『プロローグ4』 しかし世の中甘くないなあ。これ、当たり前らしいけど、一人で移ったと云うことで、犯罪を犯したことにもなるらしい    

          プロローグ4:わたしのダブルに会っちゃった

          アフリカ系アメリカ人・一瞬たりとも

          一瞬たりとも フィラデルフィアに着いて初めの頃、「アメリカで驚いたことは?」と聞かれていたなら、同じコースを取った教室でのクラスメートの一言を言っただろう。「物心ついてから、自分が黒人だという意識なしでいたことは一瞬もない。」 凜とした態度、その表情。あたりは、数分、静まり返った。周りにいた、つか子も大勢の白人のクラスメートの誰も、しばらく声が出なかった。「一瞬たりとも。」つか子は、同じ、非白人であっても、全ての権利を剥奪され奴隷として無理矢理連れて来られた祖先をもつ彼女

          アフリカ系アメリカ人・一瞬たりとも

          プロローグ3:わたしのダブルに会っちゃった

          (『プロローグ2』より)今のわたしがこの娘に会ったら、ゼッタイ聞かれる。「あんた、守りたいと切望するほどの人生、生きてるの? どうなの? 聞きたい。答えて。答えられる?」                『プロローグ 3』 タタかれたの親戚家族からだけじゃないヨ    ふ〜〜ん。 カレのとこ一人で出て引っ越したとき? だれから? 一人は友だちの連れ合い、教育も地位もある男    なんて云ったの、その男? 『「引っ越したと聞いたとき、あぁやったかと思った。。。結局愛し

          プロローグ3:わたしのダブルに会っちゃった

          クエーカーのふつうしないこと: 拍手 :フィラデルフィア

          沈黙のうちにメッセージが一つ、二つ。。。そういったクエーカーの礼拝のあと、夫の誕生日を祝った。その日の礼拝にきた誰もかれも皆一緒に簡単なランチ。クエーカーでない夫の友人たちも来てくれた。持ち寄りのスープやサラダのほかに、この日にはガザの人々へのサポートの気持ちを込め、レバノン料理屋からのラップも出された。 ケーキの後、礼拝の部屋に戻り、夫の話。その後、心に浮かんだことを即興で誰かしら立ち上がって話をしすわった。そのとき、部屋のどこからか、ふだん聞かれない拍手が聞こえてきて、

          クエーカーのふつうしないこと: 拍手 :フィラデルフィア

          母の短歌7:初夏の日ざしのはじまりの日に

          ものうげに ながーく尾をひく 竹棹売り 初夏の 日ざしのはじまりの日に 柳葉も ちぢらす夏の 真昼陽に脈々湧くは 青き青春 七夕の逢瀬のごとく この一夜 話はずませ 来る年を約す (木下タカ作) 母の短歌 [1]   母の短歌 [2]  母の短歌 [3]  母の短歌 [4]   母の短歌 [5]  母の短歌 [6]  母の短歌 [7]   (木下タカの他の短歌作品10点あまりは つか子と「あの人」 (創作大賞2024応募作品) の小説の中に組み込まれてありま

          母の短歌7:初夏の日ざしのはじまりの日に

          プロローグ2:わたしのダブルに会っちゃった

            (『プロローグ1』より)だけど、こわいのは、もしそこに「その娘(こ)」がいたら、どうしよう。そしてくつぬいで、上ろうとしたら「あんた、だれ?」とか言われたら。。。わたしが人生の終わりに近い自分だって知ったらものすごく怒ると思う。。。                    『プロローグ2』    燃えてたんだよね、この頃のつか子! うん。燃えてた、スゴ〜く    カレとのアパート出て都会のまん真ん中に一人で引っこした。家族には事後報告! ウン。それ知った親戚み

          プロローグ2:わたしのダブルに会っちゃった

          プロローグ1 :わたしのダブルに会っちゃった

             今日のつか子、へんだよ。おかしいよ ええっ? ごめん   さっきから、 どっかよそむいてる感じ そうかっ。ワルかった   どうしたの? う〜ん、信じてもらえるかな。自分のダブルに会っちゃったんだ   つか子のダブル?へえっ。どこで? いつ? ウン、2、3日前、見覚えのない日記が出てきて、ちょっと読んだら、ものすごくこっちの胸に入ってくるの、その書いた本人、昔、昔の大昔のワタシなんだけどサ    ヤダ。なんだ、そんなの、気持ちワルい、ほっとけば? でも、

          プロローグ1 :わたしのダブルに会っちゃった

          母の短歌6:遠き日のたぎりたつ おもい よみがえる

          遠き日のたぎりたつ おもい よみがえる 当時の歳の 女性と 在る今 五十余年 おきざりにせし 情熱を 今かきおこす 若きわが友 燠火をば かきおこしくれし 若き女性 けさみしゆめの 姿忘れじ (木下タカ作) (木下タカの他の短歌作品10点あまりは つか子と「あの人」 (創作大賞2024応募作品) の小説の中に組み込まれてあります。お読みいただければ、嬉しいです。ありがとうございます。) 母の短歌 [1]   母の短歌 [2]  母の短歌 [3]  母の短歌

          母の短歌6:遠き日のたぎりたつ おもい よみがえる

          母の短歌5:漂(ただよ)える 甘さの風に身をのせて

          漂える 甘さの風に身をのせて うす虹色の 空に舞うわれ 触れあいのほほより昇る 甘きもの ゆらゆらゆれて わが魂をつゝむ 情熱は 今吹き出して 霧を吹き 虹をつくりて われを 巻き込む (木下タカ作) 母の短歌 [1]   母の短歌 [2]  母の短歌 [3]  母の短歌 [4]   母の短歌 [5]  母の短歌 [6]  母の短歌 [7]   明治の母と昭和の娘 (木下タカの短歌作品14点は、長野ゆうほ著「地球自転の音のない音」の短編小説の中に組み込まれてあり

          母の短歌5:漂(ただよ)える 甘さの風に身をのせて

          明治の母と昭和の娘

          明治生まれの母から「がまんしなさい」という言葉を聞いたことがない。 「がんばって」それもない。それどころか「『がんばって』と人に言うのは自分はきらいだ」と母がはっきりいうのは聞いた。人が自分で勝手に?がんばるのはかまわないそうで、他人が「がんばれ」と言うのはお門違いだというのだ。 したいことは何でもさせてもらった気がする。「子供がやりたい」と言ったら「その時やらせなくちゃ、半年後ではもう子供の気持ちはどこかいっちゃっているだろうから」というのだ。 昭和生まれの娘はそれ

          明治の母と昭和の娘

          母の短歌4:光る波(は)ざまに時は流れる

          触れもせず 見ることもなし キラキラと 光る波ざまに 時は流れる 七十路の山のぼりてふりむく ふもとには 菜の花畑に 遊ぶわれ見ゆ 三歩進み二歩後退の ちんどんやの鐘のきこゆる わが人生 万を越す 日々を棹し 今日に着く 欠けたる一日も なきが命か 秒針の 動きはいたく 我を打つ この回転の上に 我儘はなしと (木下タカ作) 母の短歌 [1]   母の短歌 [2]  母の短歌 [3]  母の短歌 [4]   母の短歌 [5]  母の短歌 [6]  母の短歌

          母の短歌4:光る波(は)ざまに時は流れる