長野ゆうほ

歳を重ねる日々、残る時間、母の詠んだ短歌が一人でも多くの方のお心に届くよう願っています…

長野ゆうほ

歳を重ねる日々、残る時間、母の詠んだ短歌が一人でも多くの方のお心に届くよう願っています。できたら、母と父、出会った多くの師にならって、どなたかの心のどこかにのこるものを生み出せたらこの上ない幸運です。

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  • 長野ゆうほのフィラデルフィア・ストーリー

    米国最初の首都、日本から移住して数十年、人種、貧富、考えの違う人々の住む愛するフィラデルフィア。この街にできる限り溶け込んで、心柔らかに生活し続けたい。クエーカー。

最近の記事

プロローグ1 :わたしのダブルに会っちゃった

   今日のつか子、へんだよ。おかしいよ ええっ? ごめん   さっきから、 どっかよそむいてる感じ そうかっ。ワルかった   どうしたの? う〜ん、信じてもらえるかな。自分のダブルに会っちゃったんだ   つか子のダブル?へえっ。どこで? いつ? ウン、2、3日前、見覚えのない日記が出てきて、ちょっと読んだら、ものすごくこっちの胸に入ってくるの、その書いた本人、昔、昔の大昔のワタシなんだけどサ    ヤダ。なんだ、そんなの、気持ちワルい、ほっとけば? でも、

    • 母の短歌6:遠き日のたぎりたつ おもい よみがえる

      遠き日のたぎりたつ おもい よみがえる 当時の歳の 女性と 在る今 五十余年 おきざりにせし 情熱を 今かきおこす 若きわが友 燠火をば かきおこしくれし 若き女性 けさみしゆめの 姿忘れじ (木下タカ作) (木下タカの短歌作品14点は、長野ゆうほ著「地球自転の音のない音」の短編小説の中に組み込まれてあります。)

      • 母の短歌5:漂(ただよ)える 甘さの風に身をのせて

        漂える 甘さの風に身をのせて うす虹色の 空に舞うわれ 触れあいのほほより昇る 甘きもの ゆらゆらゆれて わが魂をつゝむ 情熱は 今吹き出して 霧を吹き 虹をつくりて われを 巻き込む (木下タカ作) (木下タカの短歌作品14点は、長野ゆうほ著「地球自転の音のない音」の短編小説の中に組み込まれてあります。)

        • 明治の母と昭和の娘

          明治生まれの母から「がまんしなさい」という言葉を聞いたことがない。 「がんばって」それもない。それどころか「『がんばって』と人に言うのは自分はきらいだ」と母がはっきりいうのは聞いた。人が自分で勝手に?がんばるのはかまわないそうで、他人が「がんばれ」と言うのはお門違いだというのだ。 したいことは何でもさせてもらった気がする。「子供がやりたい」と言ったら「その時やらせなくちゃ、半年後ではもう子供の気持ちはどこかいっちゃっているだろうから」というのだ。 娘はそれに全く同感と

        プロローグ1 :わたしのダブルに会っちゃった

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        • 長野ゆうほのフィラデルフィア・ストーリー
          3本

        記事

          母の短歌4:光る波(は)ざまに時は流れる

          触れもせず 見ることもなし キラキラと 光る波ざまに 時は流れる 七十路の山のぼりてふりむく ふもとには 菜の花畑に 遊ぶわれ見ゆ 三歩進み二歩後退の ちんどんやの鐘のきこゆる わが人生 万を越す 日々を棹し 今日に着く 欠けたる一日も なきが命か 秒針の 動きはいたく 我を打つ この回転の上に 我儘はなしと (木下タカ作) (木下タカの短歌作品14点は、長野ゆうほ著「地球自転の音のない音」の短編小説の中に組み込まれてあります。)

          母の短歌4:光る波(は)ざまに時は流れる

          昭和40年代:学生村のはなし 長野県

          故郷のない都会の学生のうちどのぐらいが学生村と呼んだ長野の山村などで夏休みをすごしたのだろうか。 新宿から電車を乗りつぎ乗りつぎ、降りた駅からはバスで50分。たどり着いたのは、山あり清い水の流れる川あり、ひと昔前までは蚕を育てていた作りの良い家々がぽつんぽつんと一国一城の風情で見られる村だった。 それぞれの家には名前があり、「与五郎山」の主は、有線ラジオで短歌などを詠む矍鑠とした初老の人。 その屋敷の階下の座敷は学生たちが集まる格好の場所だった。以前蚕部屋だった二階は小

          昭和40年代:学生村のはなし 長野県

          母の短歌3:沖縄の低くたれたる雲の海に 太鼓は我を つきぬけてゆく

          若き日に 熱砂の上を  はだしにて 走りし海の 空 まぶしかりし 岩に跳ね 淀みにはまり ゆく先の 大海原に あをむきて まぶし 玄海の荒き風波と 夕凪は 南の情熱を つくりあげしか 海と空その空間は われの住む 俗と清とを 分けて やさしく 沖縄の低く たれたる 雲の海に 太鼓は我を つきぬけて ゆく (木下タカ作) (木下タカの短歌作品14点は長野ゆうほ著「地球自転の音のない音」の小説の中に組み込まれてあります。)

          母の短歌3:沖縄の低くたれたる雲の海に 太鼓は我を つきぬけてゆく

          母の短歌2:笑む母の まなざしやさし今も変らず

          我娘 三人 腕に包み 笑む母の まなざしやさし 今も変らず ある仕事を ある人を追うて ゆく日々は 色美しく 糸玉は ふくらむ そのあとに ふくらむ 出会いの 心情をば 綯いて 縁の美しき紐 菜の花の 長野の里に ありと云う ローランサンに 会い度しと思う さよならと 云うがごとくに もみぢ葉は そっとふれあい 潮流に乗る (木下タカ作) (木下タカの短歌作品14点は長野ゆうほ著「地球自転の音のない音」の小説の中に組み込まれてあります。)

          母の短歌2:笑む母の まなざしやさし今も変らず

          母の短歌1・春の朝陽よ 水ぬるめてよ

          あいさつを 交わす河原の 鳥たちに 春の朝陽よ 水ぬるめてよ やわらけき なをやわらけき 細き茎 花つけて立つ 朝露の中 水の輪に しばし憩える 水すまし ふんばる足は 細き針金 手のひらに 水面の月を すくいきて キラキラかがやく  映えに魅入る 鼻緒をも 濡らす野草の 小路ゆく おぼろ月夜に 漂うは夢 (木下タカ作) (木下タカの他の短歌作品14点は長野ゆうほ著「地球自転の音のない音」の小説の中に組み込まれてあります。)

          母の短歌1・春の朝陽よ 水ぬるめてよ

          スッキリ、あっさりの「共同」生活:フィラデルフィア

          20代の頃、リブの仲間などで「としをとったら、どうせ私たちのように好き勝手なことばかりする人間は、たぶん夫と呼べる人もなく、近しくせわをしてくれるような子供たちもいないだろうから、一緒に住もうよ。でもわがままいっぱいの我々じゃ、同じアパートではまず続かないだろうから、アパートは別々にして、同じビルで好きなことをしながら楽しくくらそう。。。」そんなことを言い合ったことを覚えている。 実際そうしている昔のリブ仲間もいるのだろうか。 思えば、今、自分は、そんなところに住んでい

          スッキリ、あっさりの「共同」生活:フィラデルフィア

          伝統ある黒人教会のボランティア:フィラデルフィア

          月曜日は週一度のボランティアの日。伝統的に黒人教会と言われるところで食料品をくばるグループに参加させてもらっている。 さそってくれた人は、今はチベット仏教徒になったが、もともとは同じクエーカーの集会で知りあった。グループのリーダー格は二人いて共に70歳代半ばの女性たち。最終的にはこのうちのどちらの女性が一番のリーダーかというのが、よそから来た私のような者にも見てとれる。このリーダーは、そこまでやらなくてもと側で思えることでもやり続ける。食料品をうけとりに集まる人たちの中の大

          伝統ある黒人教会のボランティア:フィラデルフィア

          地球自転の音のない音

                   第一章 春浅く  :つか子の願い・出会いそして別れ・出国 第二章 春深まる :つか子の生きてきた道・躊躇するつか子 第三章 夏の夜明け:大自然・再会・「あの人」の沈黙・初めてで最後 第四章 秋の光:「あの人」の生きてきた道・たった今・つか子の生きる所           第一章 TOKYO - PHILADELPHIA - POKHALA - NOVA SCOT

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