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本当の思いを言わ/えない本当の理由

親しかった友人の連れ合いが亡くなった。顔も何もかも大づくりで快活、声も大きくどこに行ってもすぐ人と打ち解け合うような人柄だった。徴兵 ちょうへいにもあい、生前、葬式は軍隊式にしてほしいと云っていた。

けれども、葬式埋葬は弟がユダヤ教に のっとって式の全てを取りしきった。お棺がおろされ、人々が慣習に従って次々に一つかみの土を握ってそれをお棺の上に投げたが、友人はその場に立ったまま動こうとしなかった。

20年以上も一緒に住んだ友人たちは結婚しなかった。二人が結婚という枠にはまらず、それぞれ独立した個人でいたかったためだろうか。そのため「正式な妻」でなかった友人は、連れ合いのユダヤ教の家族を押し切って「軍隊式の葬式を!」と言えなかったのだろうか。。。それで、せめてもの抵抗だったのか。

この友人は隣人たちとコミュニティをつくってその中で4人の子供たちを育てあげた。感情が豊かで創造力にあふれ、大声をあげて笑う魅力的な女性。ジャズがお気に入りで、よくそれに合わせて自由気ままにステップを踏んで踊った。そんな彼女は大勢に愛された。

それでも、友人が言葉でなく反対意見を表したときがまだあった。それは、ニューヨークのアパートで執り行われた娘さんの結婚式。花嫁は白と決まっているが、ほかは色々で良いというので、昼間でもあり水色の服で出席した。すると花嫁の母親であるこの友人が黒ずくめの服で現れた。その場の人たちが息をのんだ。

最近になって米国の特に北東部では、黒いドレスを結婚式に着ていっても物議 ぶつぎを起こさなくなったが、その当時には目に立った。この結婚が、娘さんにとり悲劇ともいえる結果になったことも後で知った。これも、結婚に異議のあった彼女のせめてもの抵抗だったのだろうか。

反対にあうのを承知で自分の本当の思いを声に出して主張するのは誰にとってもたやすくないが、男社会では女、白人優勢社会では非白人には超えなければならない見えない壁がある。

友人は女であり非白人であるところまでは自分と同じだが、それだけでなく、過去の体験、トラウマがある。アメリカ人として米国で生まれ育ったのが、16歳の時、真珠湾攻撃でいきなり家土地を取り上げられ、家族ごと極寒酷暑の砂漠地の収容所に入れられたのだった。(写真)

それからもう40年は経っていたある日、その衝撃や困惑、無念さや恥辱を涙ながらに語ってくれた。当時「収容所は日系人のあなた達を守るのが目的なのだ」という説明を聞いたが、友人は見張り台からの鉄砲のほこ先が外にでなく収容所の中の自分達に向かっているのに気づいていた。

健康そのものに見えた友人は糖尿病を患っていた。母親も同じ病で心臓に疾患を引き起こし60代で亡くなった。そのせいもあり、医者に心臓手術を勧められた。執刀の二日前、病院を訪ねると「わたし、この手術本当は受けたくないの」と云った。手術をしないでも訪れた死、その方を選びたかったというのだった。そう思っても友人は医者には口に出して言わなかった。

手術直後、訃報 ふほうを聞いた。驚きと悲しみがごっちゃになったわたしの心が騒いだ。彼女自身が云いだそうとしないときに自分が云うわけにはいかないと、声を医者にとどけようとしなかった自分。。。もしそうしていたならどうなっただろう。。。

本当の思いを最後まで主張することなく逝った友人の心のうちは、誰にもはかり知れない。「遠慮」だったのか、日本育ちの自分も「なぜ言い張らないの?」と聞けなかった。だから本当の理由を知る由もない。

悲しければ人前でも涙を流して泣きうれしい時は大声をあげて笑った彼女には、おとなしいおしまいは似合わない。戦争の爪痕 つめあとという言葉を聞くが、あれだけ生きる喜びに満ち溢れた活発な友人の心のひだには、自分より大きな力には到底 あらがえないといった思いが一生つきまとっていたのだろうか。

自分の気持ちに怒りに似た思いがわいてくるのに気がついた。この愛すべき友人に向かってなのか、それとも彼女を「あらがえない」と無言にした過去のトラウマだったのか。



つか子と「あの人」(創作大賞・恋愛小説部門応募作品)
どうぞお読みください。ありがとうございます。




 

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